13人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ
5.あなたのままでいい
「なに……?」
──あんこフィルター、取れちゃったね。
木彫りのインコの体からあんこの声が聞こえてくる。意味がわからない。呆然と鳥籠の中を見つめる俺に、あんこは淡々と言った。
──ねえ、テツ。圭太ってどんな奴だっけ?
「は? 圭太はお前の飼い主だったろ。あいつは俺の……」
言いかけて俺は口を噤む。
圭太は俺の小学校時代からの……。
思い出そうとして俺は頭を押さえる。目の奥を回転灯の赤い光がすうっと薙ぐ。
そして。
──なんで、あんたが生きてて圭太が死ぬの?
──嫌われ者のあんたをあの子はずっと構ってあげてたのに! そのあの子を突き落とすなんて……。本当に、本当にあんたって。
──神様が間違えて命を与えちゃった子なんだろうね。
「うわあああ!」
我知らず俺は叫び、床に膝をつく。
圭太は俺の小学校時代の友達。
グズでなにもできない俺のことをいつもそばに置いてくれた、俺の、友達。
圭太は俺によく言ってくれた。「お前はそのままのお前でいいよ」と。
──だって、そのままのお前の方が都合がいいから。
俺にはその言葉は……俺を認めてくれる言葉に思えた。だって親を始め、教師もクラスメイトも俺に「そんなんじゃだめだ」「なんでできないのか」と変化を促す言葉を投げつけるばかりだったのだから。
俺が俺であることを認めてくれたのは圭太だけだったのだから。
でも、あの日、俺は圭太をジャングルジムから突き落とした。彼は言ったから。
──ほんとお前ってキモい。お前のこと好きな人間なんて一生、いないんだろうなあ。
と。
あの瞬間、なにかが切れた。気が付いたら俺の手は圭太の背中を思い切り押していて、圭太は真っ逆さまに落ちた。
圭太は……助からなかった。
そして、俺は周囲のすべての人間から憎悪を向けられる対象となった。
クラスメイトをジャングルジムから突き落として殺した殺人犯を、赦してくれる者なんて誰もいなかった。
それは、俺自身もまた例外じゃなかった。
俺は圭太を殺した俺を憎んで憎んだ。憎み過ぎて……最終的に俺の脳は全部を放棄した。結果、あのジャングルジムでの記憶は消え、キモいと言われた俺の人格もすべて消えた。
そうしてできたのが「優しい」俺。
誰も傷つけない、すべての人にとって良い人である、俺……。
──でも、そんな簡単に消しちゃ絶対いけないんだよ。あんたもそれがわかってる。だから良い人に必死になろうとしながらも自分がなんで嫌われるのか、自分がなぜ憎まれるのか、探してる。そうして断罪してほしいと思っている……確かにさ。
淡々としていたあんこの声がまろやかさを帯びる。ゆるゆると顔を上げるとあんこは木彫りの体のまま、囁いた。
──確かにあんたは絶対にやっちゃいけないことをした。どんな理由があってもあれはやっちゃいけないことだった。それだけは間違いない。けれど、圭太に言われたことまで許すことはないと私は思うよ。だってさ、あんたはあんたを愛したかっただけだから。それってみんな普通に持っている感情だからさ。そこまで否定することはないって私はずっと思っていたよ。
「ずっと……?」
掠れた声で問う俺を、木彫りのあんこは見つめ返す。その黒く丸い目になぜか見覚えがあった。
木彫りの、セキセイインコ。
それは。
──お前にやるわ。
そう言って家族で温泉に行ったという圭太がくれた……お土産。
圭太は決して優しいやつじゃなかった。俺のことを馬鹿にしていたことだってわかっていた。それでも、俺は圭太のことが好きだった。
圭太は俺にこれをくれたから。
……俺だけにくれたから。
しょうがねえなあ、グズで、と言って笑った圭太の顔が目の前を過った。
「俺、なんで、押しちゃったんだろうなあ、あいつの背中……」
呻く俺の頭の上でぱさぱさ、と音がする。視界がぼやけている。それでも必死に目を凝らして鳥籠を見つめると、ふかふかの黄緑色の羽を持つあんこがそこにいた。
──私はさ、あんたを乗せて飛びたかった。あんたが私にあんこって名前をくれたときからずっと。優しくなきゃ、とか良い人でなきゃ、とか思わないで、泣きながらでもなんでもあんたのままで私の背中乗って飛んでほしかった。私はさ、あんたの一部だから。
あんこの言うことはよくわからない。でも漠然とわかることもあった。
あんこはもうすぐいなくなる。俺の中で欠けていたピースがゆっくりゆっくりとはまり始めているから。
──もう、良い人に化けるのはやめなよ、テツ。そのままだって充分あんたは綺麗な羽を持っているよ。
そんなことないよ。
俺は圭太を殺しちゃったんだよ。それを忘れて良い人ってものになろうとしていた最低な悪魔なんだよ。
鳥籠に俺は手を伸ばす。あんこは笑っているみたいにくちばしをちょっと歪めてからぱさり、と羽を翻した。
一陣の風と共にあんこが飛んだ。鳥籠をすり抜けたあんこは数秒、羽をはためかせた後、すうっと空気中にほどけた。
ほどける瞬間、声が聞こえた気がした。
──飛ぼうよ、テツ。
声に向かい、俺は手を伸ばす。
少しだけ少しだけ、あんこの温かい羽の感触を感じた気が、した。
最初のコメントを投稿しよう!