助手席の狸

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そんな日々が十年と続いた。 十年分、齢を重ねて少年は青年の姿になっていた。 こんな日々が永遠と続いていくように思っていたが、終わりは突然訪れた。 深夜、何かが倒れる音がして目を覚ます。 夜、飲みに出て行った男が帰ってきたのだと思ったが、様子がおかしい。 明かりを付けて玄関に行くと、男が倒れていた。 立ち上がろうとするが、うまく立てず、まっすぐと歩けない様子に尋常でないと分かる。 何とか抱えて布団に横たえ、救急車を呼ぼうとしたところで、腕をつかまれた。 「マコトさん?」 「いい…呼ぶな。もうダメだって自分でもわかる」 嫌な予感に鼓動が早まる。 「ダメって何ですか」 「酒をやめない限り、医者からは次はないって言われてんだ」 「そんな…。じゃあ、息子さんに連絡しましょう」 再びスマホに手を伸ばした自分をまた止める。 「息子はここにいるからいい」 「……偽物ですよ」 「偽物じゃねえよ。俺は、別れて以来息子の顔はあの写真しか知らねえんだ。ここに今いるお前は、お前自身の姿だよ」 思わぬことを言われ、狸は言葉に詰まった。 「なあ、最後の頼みだ。呼んでくれよ。親父って」 「最後なんて言わないでください」 男の呼吸がどんどんと浅くなる。 野生の本能も目の前の命がもう尽きようとしていることを教えている。 「頼むから」 「……とう、さん」 声は掠れて震えていた。 自分の言葉を聞いた男は、穏やかに笑ってゆっくりと息を引き取った。 最後の最後に、自分は男の本当の息子に化けることができたのだろうか。 後から後から頬をつたう涙をそのままに、狸は思った。 * 男が亡くなって部屋に居ることもできず、引き払うことにした。 部屋を出ようとしたところで、書きかけの手紙を見つけた。 「タカシ、元気か? 父さんは元気にやっている」 そう書かれた一行だけの便箋に、少し前に寄ったサービスエリアのスタンプが押された紙が添えられている。 それを封筒に入れて、封をして一緒に持ち出した。 男が墓などもっているわけもなく、遺骨とわずかな遺品を持って狸はトラックに乗った。 ミラーに映った自分の顔を見る。 男によく似た青年がそこにはいた。 おわり
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