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プロローグ
「あなたのお子を妊娠いたしましたの」
「はあっ?」
山口章太郎は、絶望した。
マッチングアプリで知り合った女が妊娠したというのだ。
彼女の名前は『コハク』。一つ一つの所作が美しく、遊び慣れてない知的な女だった。マッチングアプリに登録した理由も『人生経験を積みたいから』。よく尽くす女で、章太郎が一方的に決めたルールを破ることなく、半年ほど付き合っていた。
章太郎は、相手を刺激しない言葉を模索する。
この女は違うと思っていたのに。
章太郎の統計上、遊び慣れていない女ほど、既成事実を利用して引き留めようとするものだ。
電話で別れを告げるだけでもいい男だと自惚れていた章太郎は、コハクに電話をかけたことを、ひどく後悔していた。
家に来てほしいと言って、行けば両親が待っていて、嘘か本当か明かさないまま、金か結婚を迫るパターンだろう。
マッチングアプリに登録しているような女だ。妊娠が事実だとして、自分の子じゃない可能性も。毎回、持参したアレをつけていたが……コハクが細工していないとは、言い切れない。考えれば不安ばかり。耳元で吐息を漏らすコハクに発狂寸前の章太郎は、電話口から離れて体を縮め、スピーカーに切り替えた。
「あの、信じなければ、それで。もし楽になりたいとお考えでしたら、来月の三日、夜八時。出会いの場所へお越しくださいませ」
コハクは非常に冷静で、身構えていた章太郎をさらに怯えさせた。
コハクの感情が見えなのだ。勝ち誇った口調で金銭を要求してくれれば、少しは楽になれたのに。
「いや、待てって。俺、ちゃんとつけただろ?間違いじゃないの?」
「いいえ、間違いありませんわ。あなたのお子です」
コハクは即答した。『アレを装着しても知能の高い人には無意味』と証明された章太郎は、二度と頭のいい女とやるもんかと歯ぎしりをした。
完全に油断していた。こういう女は、一度きりか、早々に切るべきだったのだ。
章太郎は、単身赴任二年目で本部勤務を打診され、あと五か月で妻の待つ新居に帰る予定だった。妻から安定期に入ったという嬉しい報告も聞いて、自慢の父親になると決意し、マッチングアプリは全て解約した。妻は単身赴任中に俺の両親との同居で流産したことがあるため、妻に負担をかけたくない。
いや、待て、諦めるのはまだ早い。
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