45.殿下、それは鬼畜眼鏡では?

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45.殿下、それは鬼畜眼鏡では?

 メイド服。  それはメイド喫茶やらでコスプレ衣装として着られるもの。某激安の殿堂などでその服は見たことがあるけれど、まさか自分がこの年になって着ることになるとは。 「良いですか、見習い。ロイ坊っちゃまは朝はゆっくりされる方です。間違えても寝室に勝手に入るなどはしてはいけません!」 「………はい」 「朝食の前に薔薇の花びらを浮かべたお風呂に入ることがありますから、その際は浴槽を掃除する際にすべての花弁をまずは取り除くこと」 「薔薇の花びら…?」  思わず吹き出しそうになった。1LDKの風呂の狭さに文句を垂れていた彼はこの世界では大層な生活をされているようだ。花びらを掬うネットの場所を聞きながらボケっとしていたら、アビスという名の年配のメイド長の逆鱗に触れたようだった。 「見習い!聞いているのですか!?」 「私の名前はメイです」 「見習いは見習いです!坊っちゃまはグーテンベルグ家の跡継ぎなのですから、無礼がないようにしてください」 「分かりました。ロイ…様に呼ばれているのでそろそろ行きますね。失礼します」  アビスがまた何か言い出す前に私は踵を返してロイの部屋へと向かう。自称皇太子というだけあって王族の彼の家は部屋数も多いし、使用人の教育も徹底しているようで。  私は膝丈でひらひらと旗めく自分のスカートの裾を見ながら長い廊下を走る。壁に掛かっている肖像画はこれまでのグーテンベルク家の当主たちなのだろうか。金髪に王冠を被っていかにもな表情でこちらを見据える男たちは、ロイによく似ていた。  とんでもない場所に来てしまった。  でも、それはかつての彼も同じ思いだったはず。  私は初めて出会ったロイを完全に不審者だと思ったし、ごはんこそ提供したものの、警察に突き出すかどうかも悩んだりした。  彼はよく私の部屋で粛々と生きていたものだ。今日の夜、私は安眠出来るのだろうか。慣れないベッドで何度も寝返りを打つ自分の姿は容易に想像出来る。  考えごとをしていたせいで、勢いよく曲がった角先で人に激突した。相手は驚いた様子で一歩下がり、私は慌てて舞い落ちる書類に手を伸ばす。シルヴェイユ王国の文字なのか、何やら見慣れぬ文字が羅列された紙の束を手で整えて顔を上げた。 「すみません、私のせいで!」 「見ない顔ですね。新しく雇用された方ですか?」 「はい。あの……?」  差し出した書類を受け取った男は黒縁の眼鏡の下に笑みを浮かべたまま、私の手を離さない。にこにこした優しい笑顔と裏腹に結構な力を入れて掴まれているので、どうしたものかと焦った。 「ごめんなさい、手を…えっと……」 「あ!そうですね、あまりにもお美しい方だったので」 「………はい?」 「どちらの部屋へ向かうのですか?ご案内しましょう」  びっくりして言葉が出なかった。  転生したら乙女ゲームの主人公でした、的な展開ならば納得するものの、私は見た目も中身も変わらずただの平凡な女だ。むしろ転移して来た皇太子を追ってこの世界に来たのですが……  未だに手を離さない男の姿を観察する。  足首まである長い濃紺のローブはフード付きで、少し長めの黒髪に黒縁眼鏡。一見穏やかそうだけど、こういうタイプって乙女ゲーム界隈では意外とヒロインに執着してネチネチと追い掛け回したりする。一昔前にブームの去った黒縁眼鏡だけど、この容姿に心臓撃ち抜かれる層もまだ一定数は存在すると思う。かく言う私もその類なので。 (………というか、この顔どこかで……)  既視感のある立ち絵に、顎を手に当ててそろりそろりと全体を眺めていると後ろから聞き覚えのある声が飛んで来た。 「メイ!」  振り返るとロイが険しい顔でこちらに向かって走って来る。それを見て私は、自分がロイの部屋に行く途中だったことを思い出した。いきなりのインテリ眼鏡の登場で停止していた思考がゆっくりと動き始める。 「イヴァン、彼女は俺の専属メイドだ。手を離してやってくれ」 「なんと……それはそれは。ロイ様のお世話は今までメイド長のアビスが自らすべて行っていたと聞いていたので、正直驚いています」 「気が変わったんだよ。アビスばかりに任せてられない」  彼女の後継者も必要だろう、ともっともらしい言い訳を平然と言い放つロイの顔を見据えて眼鏡の男はまた少し笑った。  なんだろう、この見たことある感じ。  あり得ないのだけれど私は彼の顔をとてもよく知っている気がする。優しそうなのに目の奥が笑ってないこういう笑顔をなんて言うんだっけ。 「メイさんと言うんですね。また近々お話しましょう」 「え……あ、はい」  何を?という疑問を私に残してイヴァンは去って行く。  風を受けて耳にかかった黒髪が揺れた時、耳に付けた個性的なピアスが目に入った。キラキラ光る青色の小さな宝石が揺れている涼しげなデザイン。  そうだ、私はこの男を知っている。 「『鬼畜眼鏡の溺愛ラビリンス』のイヴァン・ローレライ!?」  口から飛び出した声は想像したより大きく廊下を震わせた。
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