;第一話 桜が、お好きなのですか

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上様への目通り後、宴が催された。 正式な婚儀とは別に、わたしと上様との縁を祝す歓迎会とのことだった。 「───どうぞ、あたたかい内にお召し上がりください」 「ありがとうございます……。これは、なんの魚ですか……?」 「そちらは鱚の煮付けにございます」 「きす……」 豪勢な食事に舌鼓を打つ。 わたしには見たことも聞いたこともない料理ばかりで、感動より疑問が(まさ)った。 とりわけ海の魚は、どうやって内陸まで持たせたのか、不思議でならなかった。 「───謹んで、お慶び申し上げます、ウキ姫様! 今宵はどうぞごゆるりと、心ゆくまで我らの荒唐無稽を笑ってください!」 「まずは(わたくし)めが、この者を人面獣心に()かして御覧に入れましょう!」 賑やかな芸者達による舞踊と演奏を愉しむ。 舞踊はお腹に力が入るほど可笑しく、演奏は肩の力が抜けるほど雅びやかだった。 出張見世物、とでも言えば良いか。 「───どうだ、ウキ。楽しいか?」 「はい、とても」 「そうか」 畏れ多かった上様との列席にも、段々と慣れた。 さすがに鱚の保存方法については尋ねられなかったが、歓談らしいことも少しは出来た。 上様の穏やかな横顔が、わたしの生きた心地と繋がっていた。 「───お茶のおかわりは?」 「ありがとうございます、いただきます」 身に余る持て成し。 生まれて初めての経験。 興奮冷めやらぬまま後ろを振り返ると、玉月さんがいる。 自分はお呼びじゃないからと、生真面目な正座で忍んでいる。 彼女とも、並んで食事が出来たなら。 今回は残念だが、いつかの楽しみにしておこう。 「───残りは燗にしてくれ」 「承知しました。そちら様は?」 「わたしはもう結構です。ご馳走さまでした」 「畏まりました。では、お下げ致しますね」 亥の刻に差し掛かり、宴もたけなわとなった頃。 上様と側近の方々とで、晩酌の延長に入られた。 他の参列者たちは、後片付けに就寝の準備にと席を立ち始めている。 ここからは、大人だけで愉しむ時間。 上様とわたしではなく、上様お一人のための宴に切り替わるというわけだ。 「(男の人って、ほんとうにお酒が好きね。 そんなことないのは、父さんくらいだったかしら)」 かくいうわたしも、箸を置かせてもらった。 上様への挨拶もそこそこに、我慢していた厠へ立つ。 「姫様。よろしいですか」 すると玉月さんが話し掛けてきた。 わたしに接触する機を、ずっと窺っていたようだ。 「どうしました?」 「お連れしたい場所があるのですが、お付き合い頂けますか?」 玉月さんからのお願いを断る理由は、わたしにはない。 ただし、すぐには応えられない理由が、()のわたしにはある。 「もちろん、いいですけど……。その前に、ちょっと……」 「なんでしょう?」 「個人的に、といいますか、寄りたいところがありまして……」 恥を忍んで打ち明ける。 皆まで言わずとも察したらしい玉月さんは、周りに悟られぬよう計らってくれた。 「宴の熱に当てられたのですね。 さぁ、こちらへ。お休みになる前に、夜風で涼んでいきましょう」 まずは厠へ寄らせてもらって、"お連れしたい場所"こと例の座敷へ。 「───あの、玉月さん。 今更ですけど、わたし達、勝手に抜け出して良かったんでしょうか……」 そういえば、誰にも断らずに大広間を出てきてしまった。 道すがらになって気付いたわたしは、機嫌を損ねた上様の姿を思い浮かべた。 「いいのですよ。 宴の終わりに、姫様を例の部屋へお連れするよう、上様より仰せつかっておりますので」 玉月さんによれば、問題なしとのこと。 上様じきじきのご用命ならば、安心して玉月さんだけに従える。 それはそれとして、何のためかが分からない。 あくまで来客を通すための部屋ならば、わたしはもう関係ないはずなのに。 首を傾げつつも、玉月さんに付いていく。 「どうぞ」 目的の座敷に到着する。 玉月さんから、先に中へ入るよう促される。 わたしは言及もせずに、自分の手で障子戸を開けた。 そこには、当初とは一味違った絶景が広がっていた。 「これは───」 全開にされた引き戸の奥、縁側を跨いだ更に奥。 月明かりに照らされた桜木が、ゆらゆらと影を落としている。 真昼以上の存在感を放ち、風がなくとも強く香る。 「夜桜です。 昼の桜も()いですが、月下ではまた違った趣があるでしょう」 背後からの声に、わたしは呆然と返した。 「本当に、綺麗、です。 桜って、昼と夜とで、姿を変えるのね」 吸い寄せられるように、夜桜へ近付いていく。 「今宵からは、姫様のものですよ」 「えっ?」 わたしに続いて、玉月さんも中に入ってきた。 振り向いた先の玉月さんは、微笑んでいた。 「ここが貴方のもの、貴女の居場所となるのです」 笑顔の玉月さんとは対照的に、わたしは酷く間抜けな顔を晒しているに違いない。 「い、ばしょって……。 ひょっとして、ここが、わたしの自室になると?」 「たった今から。 自由に使って()いとのことです」 「ほ、ほんとに?こんな立派なお部屋に、わたしなんかが住んでしまっていいのですか?」 「はい」 今日からここが、わたしの帰るところ。 俄に信じがたい話だが、玉月さんは傷付ける嘘をつく人ではない。 「居場所……」 きゅうと、胸を締め付けられる感じがする。 妙に切なくて苦しくて、涙が出そうで出なくて。 知っていそうで覚えのない、この感情は一体なんだろう。 「わたし、の……」 立っているのも儘ならず、引き戸に凭れ掛かる。 「怖いですか?」 先程より近くなった背後から、先程より低くなった声がする。 「正直を言うと、まだ、少し怖いです。 これからどうなるのか、一人でもやっていけるのか……。 当たり前になってくれる日は、いつになるか……」 気配が横を通り過ぎる。 視界の端に、玉月さんの足が映り込む。 「いいえ姫様、一人ではありません」 今度は斜向かいから声がした。 視線を上げると、玉月さんはこちらを向いていた。 暗闇に紛れた彼女が、わたしには何故か光って見えた。 「これからは、私がいます。いつ如何なる時も、貴女のお側におります」 首が、頬が、目頭が、じわっと熱くなる。 「住めば都、というように、いずれこの景色が、貴女にとって安息の印とならんことを……。 私は、願っております」 昼と夜とで姿を変えるは、桜のみならず。 『霧雨(きりさめ)
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