第一話   七日前

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 夜の世界では出会いは突然。別れも突然だ。流れつくのは何かしらの理由がある。けれどその理由について深入りしないのが暗黙で絶対のルール。この世界で長く生きるには、身の程を正しく知ることも必要だ。  また、受け止める側の人間は『来るもの拒まず、去る者追わず』の場合が多い。言い換えれば『使えるものは使う。使えないものは口を塞ぐ』となる。下っ端ならばともかく、中堅以上は内部に入り込んだ分、機密を持っている。その機密を外に流させないためにも、『念』を押す必要がある。  業は下っ端だった。こんななり(・・)で、他の下っ端からも上に見られているが、上がることを拒否した下っ端だ。下っ端だが在籍が長く、仕事は真面目、堅実、上司からの評判は良い。だから眼鏡をかけた男(ボス)にも顔が知られていた。これまで我儘一つ、口答え一つ言わなかった業の、初めての我儘。  眼鏡をかけた男(ボス)は天井を見上げる。目を細めながら、揺蕩(たゆた)う煙を見つめる。目だけでは煙の存在がわからない程に薄くなったところで呟いた。 「オメーは一途だなぁ」  反応はしなかった。意味が分からなかったわけではない。否定しようと思ったわけでもない。ましてや肯定したいわけでもない。けれど、大男としては『肯定したくはないが間違ってはいない』程度の感想だった。業には、辞める目的があった。 「それが、自分の生きている目的です」  煙草から灰が落ちた。革に穴が開き、焦げた臭いが煙に混ざる。  眼鏡をかけた男(ボス)はため息を吐きながら、仰け反った背中を丸める。灰の落ちた煙草をテーブルに投げ捨て、開いた手は頭を掻いた。 「水取れ」 「はい」  部屋の隅にある小さな冷蔵庫から、ペットボトルを取り出した。大男はキャップを緩め、眼鏡をかけた男(ボス)の伏せた頭の近くに「どうぞ」と置く。  眼鏡を介さずに覗く眼光が、ペットボトルではなく業を射す。けれど微動だにしない。舌打ちが聞こえた。苛立つ眼鏡をかけた男(ボス)は、頭にあった手でテーブルを殴る。そのままペットボトルをとり、未だ焦げ臭い灰めがけて水を落とした。 「このソファー、俺のお気に入りだったんだよなあ」 「はい」 「テメーのせいでキズモノになっちまった」 「すみません」 「辞める? いいぜ、辞めさせてやる」 「ありがとうございます」 「だが逃げられると思うなよ。どこに逃げようが見つけ出して、このソファーを弁償するまで働いてもらう」 「わかりました」 「俺が目の前に現れるまで怯えて生きろ」 「生きて帰ってきます」 「……さっさと行けよ、バーカ」  空になったペットボトルを、大男に向かって投げつけた。深く頭を下げた大男は、ペットボトルを拾って部屋を出る。部屋の外に響く靴音が遠ざかって行った。  眼鏡をかけた男(ボス)は、三本目の煙草に火をつけた。長く吸い、軽く咽る。もう一度吸い直して、長く吐きだした。煙は揺蕩い、模様を描いて痕跡を消した。  これが『復讐者専門学校』招集、七日前のこと。
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