辛杉家の憂鬱 キャロル編 衝撃の転校生

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 よく晴れた朝だった。いつものように家を出て、いつものように登校した。こんな当たり前の学校生活が、ずっと続くと思っていたのだが。  転校生がやってきた。俺こと辛杉シンのクラスにだ。  その名も。 「辛杉……だと⁈」  唐杉ならともかく辛い杉。黒板に書かれた転校生の名前の苗字は俺の家族につくもの以外では見たことがなかった。いったいこいつは何者なんだ。正体不明の同じ苗字の相手を前に、俺は表面上静かに、しかし内心激しく動揺していた。 「辛杉キャロルよ。よろしく」  クラスみんなの前で名乗りを上げたそいつは、あまりの衝撃に立ち上がってよろけた俺を勝ち誇ったように見た。うん、表面上静かにしていたつもりだったが、顔をクールに保った代償に体が思い切り反応してしまったらしい。  そんな俺を前にそいつは言った。 「ふふん。よくも今まであたしの存在を知らずにのうのうと生きてこられたものね。シン」 「どういう……意味だ」  初対面だ。初対面のはずなのに名前を呼ばれた。名札があるわけじゃないんだぞ? なぜ俺を知っている。やはり身内か。身内なのか? といっても、うちの両親は駆け落ち結婚だと聞いているから、俺は自分にどんな親戚がいるのかも知らない。  動揺を隠して短く聞けば、キャロルはこちらを煽ってきた。 「おやぁ? 謎の転校生を前にそれ聞いちゃう? 自分で調べてごらんなさいよ」  謎の転校生、確かにそうだ。漫画やライトノベルなんかでは王道中の王道! こういうキャラは簡単には素性を明かさないものだったりする。 「よろしい、ならば調べて見せよう! 貴様は俺の厨二病魂に火をつけた!」 「ふん、やれるものならやってみなさい」  売り言葉に買い言葉で応じていると、担任の先生が手を叩いた。 「そこー、イトコ同士で煽り合わない」 「は⁉」  思わぬ方向からのネタバレに、俺の情緒はジェットコースターだ。いやなんなら乱気流だ。 「ちょおぉっと先生! いまいいとこなのに!」 「そうだぞ担任よ。俺もせっかくノッてきたというのに!」  正体をばらされたキャロルに思わず援護射撃をしてしまう。第一印象はなにやらいけ好かないが、隠す側と暴く側でこれから切磋琢磨できたかもしれんというのに、こんなネタバラシはないだろう。  しかし担任は頭を抱えた。 「キャロルさんからシンとイトコって聞いたときは嫌な予感がしたけど、やっぱりここの家系は特殊だな……」  なぜかため息までつかれている。解せぬ。  というか自分から担任にネタバラシをしていたのか。それは貴様の落ち度だぞキャロルよ。秘密はいつどこから漏れるかわからないのだぞ。  ――そんなこんなで、俺の日常には新たに、謎の転校生改め謎のイトコが加わったのだった。  しかしこのキャロルという女、甲高い声でぴーちくぱーちくキャンキャンキャンキャンよく吼える。 「ちょっと聞いてるのシン。次の授業、教科書を貸せって言ってるのよ」 「そうしたら俺の見る教科書がなくなるだろう。別なクラスから借りてこい」 「転校してきたばかりのあたしに教科書借りれる友達がいると思ってんの? あんたの方がこの学校長いんだから、よそのクラスから借りてくればいいじゃない」 「ふっ、残念だな。俺は友達が少ない」 「胸を張って言うな!」 「貴様こそなんで初日から教科書を忘れてくるんだ⁈」  一限の前からこの調子である。このキャロルという女は無茶苦茶だ。 「つべこべ言わずに貸しなさいよ。あんたの物はあたしの物。あたしの物はあたしの物」 「すがすがしいほどのジャイアニズムだな。俺は君とは今日が初対面だが、俺はすでに君のことが嫌いだ」 「こっちは一万年と二千年前からあんたのことが嫌いだわ」 「さすがに盛りすぎじゃないか?」 「八千年過ぎたころからもっと嫌いになった」 「よろしい。なら俺も一億と五千年あとも君が嫌いだ」  廚二病満載の会話をしていると、ホームルームに引き続き一限の数学も受け持っているため、教室に残っていた担任が告げた。 「そこ、予備の教科書を貸すからおとなしくしなさい」  すっかりげんなりしているが、今日の担任は寝不足かなにかだろうか。体調管理を怠るとは怠慢だな。  教科書の件のような応酬を延々と続けてきたせいだろうか、転校生の女子だというのに、気づけばキャロルはクラスの女子たちから遠巻きにされていた。俺とばかりしゃべっているから、みんな気を遣ったのだろう。性格はともかく見目はいいのに、男子も一人だってキャロルに話しかけようとしない。まあ、正解かもしれないが。  それはともかく、昼だ。昼。  俺はうっきうきで自作の弁当を広げた。 「なにそれ。ただの麺じゃない」  いつの間にか背後にキャロルが立っていた。不覚。しかしキャロルよ。貴様の目は節穴か。確かにこの弁当箱一面に敷き詰めてあるのは麺だ。しかしただの麺ではないぞ。  俺はこれ見よがしにカバンからもう一つ、スープジャーを取り出して開けた。途端にあふれるスパイシーな香りを堪能しつつ、濃厚な中身を麺だけの弁当箱の中へ投入する。  そうしてできあがった、これは。 「ただの麺ではなく担々麺だ!」  ばーんとかざすようにすると、キャロルは少し言葉に詰まった。ふふふ。弁当に麺類を持ってくるとは思わなかっただろう。俺は天才だからな。どうだ褒めてもいいんだぞ。  そう思っていると、キャロルはふーんと一気に興味を失くしたような息をついた。 「その発想だけは評価してもいいけど、あたしの弁当には敵わないわね」 「なに?」  どういう意味だ。そう問いかけると、キャロルはどすん、と勢いをつけて俺の机に弁当箱を置いた。二段になっている可愛らしいピンクの弁当箱だ。キャロルはパカリと上の箱を開けた。入っていたのは生野菜中心の健康的なサラダだ。彩りは豊かだが、これくらい俺にだって作れる。そう思っている間に、キャロルは二段目の箱を開けた。  そこから出てきたのは、チキンライス……に見えた。しかし、それにしては大変刺激的な香りを放っている。 「なん、だこれは」  目の前で広げられた弁当に、俺はなんとなく嫌な予感がした。この香りは唐辛子か何かだろう。推測する俺にキャロルは言った。 「一口あげるから食べてみれば?」  くすくす……笑う声に嫌な予感しかしない。が、俺だって辛杉家の人間だ。辛さには普通以上の耐性がある。ここで逃げては男が廃るぞ。  そう思ったので、俺はいざ、と箸を持った。  そして、そのチキンライスに見える赤い米と鶏肉を、パクリ。 「んっぐ⁉」  はあああぁ⁉  口に含んだ瞬間、爆発した。なにを言っているかわからないと思うが、俺自身が何が起こっているのかわかっていない。いや、口内が爆発したような錯覚がしたと言った方がちかいのか。  辛杉家の意地にかけて吐き出すような無様はしなかったが、飲み込むだけで精いっぱいだ。たった一口で口内は痺れ、冷や汗が止まらない。 「なんっ、なんなんだこれは。ありえないくらい辛いぞ……!」  間違っても気軽に学校に持ってきていい辛さじゃない。劇薬じゃないか? 俺じゃなかったら飲み込めなかったぞ。  あまりの驚きにキャロルを見ると、ニタァ、と勝ち誇った悪魔のような笑みを浮かべていた。なんかむかつくなこの顔。  そう思ったのだが、次の彼女の発言でむかつくとかいう感情は吹っ飛んでしまった。 「キャロライナ・リーパーの粉末で炒めたごはんよ」 「きゃっ……」  思わず乙女の悲鳴じみた声を上げる俺。教室が一瞬ざわついた。待ってくれ俺は別にそういうキャラではない。純粋に驚いただけだ。 「キャロライナ・リーパーだと?」  世界一辛い唐辛子としてギネス認定されているやつではないか。俺の父が好むブート・ジョロキュアよりも辛い。  というかやっぱり気軽に弁当に持ってくるものではない。2018年に報告された事故例として、アメリカで開催された大食い大会でキャロライナ・リーパーを食べた男性が脳血管攣縮を起こして倒れ、病院の集中治療室で手当てを受けた事例がある(ウィ〇ペディア情報)。  はっきり言ってやばいやつなのだ。こんな平和な学校で広げられる弁当には似つかわしくない。  しかしキャロルは俺の前の席から椅子を手繰り寄せて座ると、目の前でそのとんでもない飯を食べ始めた。しかもうーんおいしー。と満面の笑みである。  俺は顎が外れるかと思った。うっそだろ。そんな普通のチキンライス喰うみたいに食べるもんじゃないだろ。こっちはまだ舌が痺れているんだぞ。  あまりのことに愕然としていると、赤いライスを頬張りながらキャロルが俺を見た。いや、見下した。 「これぐらいの辛さも食べられないなんて。――すっこんでろよ三下が」  がらりとガラの悪い口調になって、おまけに中指まで立ててくる始末。 「くっそ」  本当にくそ憎たらしいが、正直あの辛さにはついていけない。  これはとんでもない化け物が来たなと、平凡な高校生活の終わりを悟った俺は窓の外に視線を投げるのだった。
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