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 目の前の光景に、僕は自分の目を疑った。  見間違いでなければ、犬だ。目の前に広がる段々畑に植えられているのは。  綺麗に50センチくらいずつ間隔をあけ、埋まっている犬たち。上のほうまで全部犬だと考えると、100頭くらいはいるだろう。パッと見た限りでもゴールデンレトリバーや、トイプードルや、柴犬、様々な種類の犬が埋まっている。どの犬も目を閉じ、土から頭部だけ出した状態で、ピクリとも動かない。  墓にしては悪趣味だが……。  死んでいるのか……?  僕は一番手前の黒いラブラドールレトリバーの前にしゃがみこんだ。目と鼻の先まで近づいても、犬は微動だにしない。  やはり、死んでいるのだろうか。  しかし少し観察してみれば、鼻はつやつやと濡れており、閉じた目は時折ピクピクと動く。わけがわからないが、生きている、ように見える。  僕は恐る恐る、指先で犬の頭のてっぺんに触れてみた。 「あたたかい……」  それは日光に照らされた熱ではなく、確かに生き物としてのぬくもりだった。僕の指先と手の平に訴える、脈打つ命の感触。 「い、生きてる……」  これは、生き埋めではないか。誰がこんな可哀想なことを。とにかく生きているのだから、助けなければ。  僕は這いつくばって、犬の周りの土を手で掘り出した。  掘り始めてわかったことだが、どうやら犬は縦に、立った状態で植えられているらしい。結構奥まで掘らなければならず、なかなか骨の折れる作業だった。それでもなんとか救い出してあげたい。その一心で、額の汗を手の甲で拭い、爪の中までぎっしりと土をめり込ませながら掘り続けた。  ようやく後ろ足が抜けそうだ。もう少し!  土をかこうと腕に力を入れた、そのとき。 「ごらぁー! 何しとるんやぁ泥棒がぁー!」  段々畑の上から、しゃがれた叫び声が降ってきた。  声のするほうを見上げると、婆さんがひとり、ものすごい勢いでこちらに駆けてくる。手には何やら鎌のようなものを振りかざして。  話せばわかりそうな相手でないことは一目瞭然。ここは一旦逃げなければ。しかし、さっきまで膝をついて土を掘っていたせいで、足が痺れて踏み出せない。焦れば焦るほど、足はもつれて動かなくなった。  とうとう目の前まで来た婆さんは、ぜぇぜぇと肩で息をしながら、鎌を持っていない方の手で僕の首根っこを掴んだ。婆さんにしては物凄い力だ。しかもでかい。身長167センチの僕より、10センチは大きく見える。 「やい泥棒! そりゃ大事なお客様の大事な犬なんだよ!」 「ぼ、僕、泥棒じゃありません! 犬が埋まっていて、可哀想だから、助けてあげようと思っただけです……」  僕の情けない声を聞くやいなや、婆さんは僕を突き放すように手を離し、振り上げていた鎌を下ろした。 「ハァ? 助けるだぁ!? ハハハ、そりゃあ何かの冗談かい? 見てみな。アンタが掘り返した犬を」  僕は言われるがまま、掘り返した犬の顔を見た。なんら変わったところは見えないけれど……。 「あ」  さっきまでの様子とは違って、鼻が、カラカラに乾いてひび割れている。  嘘だろう。  慌ててまたしゃがみこんで、犬の頭に触れる。触れた頭は固くて、冷たかった。驚いて手をどけると、犬は僕が触れていたところから、白い砂へと変わっていく。  さらさら、さらさら。  あっという間に、黒いラブラドールレトリバーだった命が、白い砂の山へと姿を変えてしまった。 「そ、そんな……僕、こんなつもりじゃあ……」  混乱する僕に向かって、婆さんが「ばぁ」とも「ぼぅ」とも言えない太いため息をつく。 「ここの犬はね。アタシが種から丹精込めて育ててんだ。頃合いじゃないときに掘り返しちゃ死んじまうんだよ。ったく。どうしてくれるんだい」 「も、申し訳ありません……」  状況はよく呑み込めないが、自分が取り返しのつかない酷いことをしてしまったということはよくわかった。ここは誠心誠意、謝罪するしかない。  僕が土に膝をつこうとした、そのとき。 「ワン! ワンワン!」  段々畑の上から犬の鳴き声がしたかと思うと、一斉に「ワンワン!」「ウォーン!」「バウバウ!」大小様々な犬の鳴き声が重なる。  見ると犬たちは、目を閉じたまま鳴いているのだった。 「ちっ、エサやりの時間か。おいアンタ! せめてもの罪滅ぼしに、ちょっと手伝いな!」  犬に負けない大声で「こっちだよ!」と叫ぶ婆さんの後ろを、僕はおたおたとついて行く。  犬たちの大合唱を後ろに聴きながら。
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