静かな愛のその波紋

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 お姉様が犬を飼いたいと言い出したのは、十の誕生日を控えてのことでした。  当時読んでいた物語に大きな犬が出てきていたので、それに影響されてのことなのでしょう。私も、ペットには興味があったので楽しみにしていました。  誕生日の前日、お父様がつれてきたのは私たち姉妹と同じぐらいの大きさのコでした。  とても痩せ細っておりました。毛並みも悪く、劣悪な環境にいたことは一目でわかりました。  怯えていて、お父様の後ろに隠れていました。両手でお父様の服の裾をつかんで。二本の足で立って。  お父様がつれてきたのは、獣人の少年でした。  耳やシッポ、顔つきをみるに、犬科の生き物の獣人ではあるようです。  違う。そうじゃない。  お姉様は膝から崩れ落ちました。私も、気持ちはよくわかります。  一部の貴族の間で、獣人を奴隷やペットにしているという噂はありました。けれどさすがに、お姉様も私も同じ言語を使う相手をペット扱いするのには抵抗があります。いえ、異なる言語ならば良いというわけでもないのですが。  どうやら、見世物小屋で粗雑に扱われていたのを見かねて、思わず引き取ってきてしまったらしいのです。  元の場所に戻してくるよう言うこともできません。  これが人間の少年ならば、孤児院を手配したりもできたのでしょうけれど、獣人となると難しい話でした。  彼らと人間との争いは、表面上収まりはしたものの確執は深く、人間社会では対等な存在と認められておりませんでした。彼らのコミュニティへの接触も容易ではありません。  結果、私たち姉妹の、主にお姉様の遊び相手として我が家に迎え入れることとなりました。  お父様はお母様にこっぴどく叱られました。せめて事前に相談するようにと。  彼はとても良い遊び相手でした。  少しおどおどとした所はあるものの、物覚えも身体能力も高く、すぐに様々なゲームで私たち姉妹と対等に渡り合えるようになりました。  同年代の子にチェスで負けて悔しそうにするお姉様は、とても貴重です。  お姉様が木から落ち、彼がとっさに受け止めてくれ、事なきを得たこともありました。お母様には危ない遊びをするなと叱られてしまいましたが。  本人は付き人のように振る舞っている様子もありましたが、実の家族のように私たちは思っておりました。実際、ほどなくして生まれた弟は、長いこと彼を実の兄だと思っていたようです。  その結果、お姉様が学校にいきたくないと言い出しました。  最初は私も、何を言い出すのかと首をかしげました。  どうやら、彼が入学できないのが納得いかず、ならば自分もいかないということらしいのです。  よき家庭教師を雇えるならば、学校に通わずとも事足ります。とはいえ、学校は勉学を修めるだけではなく、将来のための繋がりを得る場でもあります。また、多種多様な価値観に触れられる場でもあります。  説得には、彼が名乗りをあげました。  随分と長いこと、話し込んでいたようでした。どのように説得したのかは知りません。何がお姉様の心を動かしたのかもわかりません。それでも、お姉様は最終的に入学を決意されました。  学校から帰ると、お姉様は学んだことを彼に教えておりました。大方、それが説得の内容だったのでしょう。真実は知りようもありませんが。  やがて、お姉様は社交の場にも積極的に参加するようになりました。華やかな場を好む人ではないので、とても不思議でした。  一度、理由を訊ねたことがあります。  お姉様は、種を蒔いているのだと答えました。  穏やかな夏の昼下がりでした。  私たちは書斎にいて、お姉様の学校で流行っているという物語を読ませてもらっていました。  翌日のお茶会にあまり気乗りしていない様子でしたので、ならば欠席してしまえば良いのではと。無理に参加する必要ないのではと、何とはなしに訊ねたのです。  お姉様は少し困ったように微笑んで、今は種を蒔いている途中だからと答えました。  獣人に対する偏見や差別をなくしたい。同じように学校に通い、職に就き、家族になれるそんな社会にしたい。  そのためにも、少しずつそんな考えを周りに広めるのだと。あからさまにやると警戒されるので、気づかれぬよう刷り込んでいくように。  その時、私の手元にあった物語は、獣人と人間が手を組んで巨悪に立ち向かうバティものでした。  他も、獣人と人間の禁じられた恋だとか、疑似家族ものだとか。きっと、こういった物語が流行るよう仕向けたのも、お姉様なのでしょう。  窓の外では、弟が彼の手をひっぱって走り回っていました。  あのような光景を、当たり前にしたいのだと、呟くお姉様の眼差しはとても優しく、愛おしげで。私は何も言えなくなってしまいました。  やがてお姉様に縁談が寄せられるようになりました。お姉様はそのすべてを断りました。  お姉様と彼が言い合いをしたのはその頃です。  自分は獣人で、だからお姉様とは一緒になれないのだという彼に、お姉様はその理由は受け付けないと。必ず法律を変えてみせるから、断るならその後にするようにと。  人と獣人では一緒になれたとしても子供は生まれない。人間同士でだって、生まれない時は生まれない。云々。  そういう話は、二人きりの時にしてもらいたいものです。なぜ私もいる時にするのでしょう。  所在なく、カップに口をつけた時、お姉様がちらりとこちらを見ました。もしかしたら牽制だったのかもしれません。  私も彼とは親しくしています。話が合いますし、お互いにアドバイスしあう仲でもあります。けれど私にとって彼はすでに家族です。お姉様の心配するようなことは一切ありません。  彼といる時のお姉様はとても楽しげで、そんなお姉様を彼は眩しそうに見つめていて。私はそんな二人の姿に、とても満ち足りた気持ちになれるのです。  そうして、転機が訪れたのは、叔父夫妻が食事に来たときのことでした。  お姉様が養子にきてくれたらと冗談めかして言った叔父様に、お姉様は彼を推薦したのです。  獣人は養子になれません。けれど、王家の番犬とよばれる叔父様の家はとても強い影響力があります。  また、その性質上、血筋に重きをおいておらず、強い者を養子とし跡取りにすることが度々行われておりました。  この頃には、大きな劇場で獣人の物語が演じられるほど世間に受け入れられてきていました。そこに叔父様の働きかけがあれば、法改正も難しい話ではないのでしょう。  興味深そうに話の続きを促す叔父様にお姉様は、自分と彼は一緒になる予定なので、強い跡取りと自分をまとめて手にいれることができるとアピールしておりました。  そうして、後日行われる養子を決めるための剣術大会への彼の参加が認められ、見事優勝を手にすることとなりました。  とうとう王家の番犬が本当の犬になった、なんて揶揄する声もありましたが、所詮は負け犬の遠吠えです。彼は気にしているようでしたが、今後の成果で黙らせれば良いのです。  その後、多少の時間はかかりましたが、彼が養子となったのと同時にお姉様は輿入れしました。獣人と人間の夫婦第一号です。  結局、お父様がつれてきたのはペットではなく、将来の結婚相手だったのです。  やがてお姉様の懐妊が判明すると、今度は浮気だなんだと言われましたが、生まれてきた子供の顔を見ると、そんな声はすべて静かになりました。 「どうして?」 「それはね、生まれてきたあなたたちが、誰が見ても二人の子だったからよ」  甥っ子の、ふかふかなほっぺを両手で挟む。  そう。生まれてきた子供たちは明らかに彼の血をひいていました。獣人と人間とでは子を成せないというのは、迷信だったのです。  もしかしたら、本当は今までも二つの種族の血をひいた子はいたのかもしれません。その存在を知られていないだけで。 「………じゃあ、お父様とお母様は本当に仲良し?子供の手前、仲良しのふりしているんじゃなく?」 「そうよ。二つの種族の和平アピールのための結婚なんかじゃないわよ。むしろ、二人が一緒になるためだけに社会を変えてしまったのだから」  立場上、そう言われるのは覚悟の上だったでしょう。彼は、地位を得るために人間に取り入ったとさえ言われてます。  けれど、だからといって、この子達にまで誤解をされるのは、私には我慢なりません。 「いい?リカルド。あなたのご両親は深く愛し合っているし、あなたたち子供のことを心から愛しているわ。それだけは疑わないであげて?」 「ん。わかった」  リカルド。  彼の種族の英雄の名前。  これからは、二つの種族の絆となる希望の名前。 「じゃあほら、みんなと一緒に遊んできなさい。あまり危ないことしないように見ててあげてちょうだいな」 「はーい」  パタパタと元気よく駆けていく姿を見送っていると、背後から近づいてくる気配がありました。 「何の話をしていたのかしら?」 「あら、お姉様。お二人の大恋愛の話を少し」 「よしてよ。子供相手に。だいたい、大恋愛はそちらでしょう?許嫁の座を得るために決闘までして」 「何のことかしら」  とぼけて見れば、お姉様は呆れたように息を吐きました。その様子がなんだかおかしくって、少し笑ってしまいます。 「それで?お姉様に言われた通り、騎士団の訓練に今まで以上に力を入れるようにしているけれど、何かあるのかしら?」 「聖女様の残された魔方陣に、力が宿りつつあるの」 「それじゃあ」 「ええ」  もうじき、聖女様が戻られるということ。言い換えれば、魔族の結界にヒビが入りつつあるということでもあります。  鳥がチチチと鳴いています。柔らかな風が、頬を撫でます。遠くからは子供たちのはしゃぐ声が聞こえます。 「………平和ね」 「そうね」  いつかお姉様の望んでいた光景は、確かにもう目前にあります。  けれどまだまだ、障害は多いようです。
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