【六月三日(木)】

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 しかしながら、あたりに助けを求められる人影などない。アキのとるべき道は、やはり一つしかなかった。  カラシの唸り声は続く。  意を決し、アキは低く張りだしている枝をよけるよう、身を折った。  むろん、まったく見えないというまでではないが、暗さは目算通りだった。  アキはリードだけを視界に入れるよう意識し、歩を進めた。  突如、かがめた頭上すれすれを奇声がかすめた。 「ああっ!」  驚きが、両の手と膝を地面に突かせた。  途端、強烈な腐臭がアキの脳天を突きあげた。  思わず鼻と口を押さえた。手の汚れなど気にする余裕などあるはずもなかった。  幸い、突いていた片手は、持ち手のすぐ脇にあった。  アキはすかさずリードをとると、体勢を戻した。  その刹那、“リードだけを”の意識が薄まった。  アキは凝固した。  あげてしまった視線の先、唸り続けるカラシの先に、想像以上に群れるカラスの固まりがあった。  集団はなにかを必死についばんでいる。  それを理解できたのは、繁茂をすり抜け、そこにだけ差し込んでいた朝陽のせいだった。  どこからともなく、また一羽が、集団に舞いおりてきた。  塞ぐ手の奥で、アキの悲鳴が凍りついた。  新参者のおかげで、けたたましい奇声と羽音をともなってばらけた場―――そこに現れた腐臭の発生源を、アキの視神経は、しかと捉えていた。  脳内に浮かべた「まさか」の台詞が、「やっぱり」に自動転換された。  集団はまたすぐ、発生源を消した。  だがそうしたところで、スポットライトのごとき陽射しの中に見た、皮下組織のほとんどを剥ぎとられ転がされている人頭の、それも、アキを見あげる漆黒に穿たれた両の眼窩の記憶は、彼女の脳細胞から永遠に消すことはできないだろう。
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