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昼夜問わず元気です
声が出なかった理由を話しながら、家族みんなで朝食となった。
最初は半信半疑だった夫家族だったが、私が実家で行っていた仕事内容や、兄の結婚の話、そして声が出ない故に邪魔者だった反省を口にすると、こちらが申し訳ないくらい同情してくれた。
私自身はさほど大変な境遇だとは思っていなかったのだが、話しているうちに彼らにとって、私は随分不遇な立場の男爵令嬢になってしまった。
領地経営についても大変ではあったが嫌なものではなかったし、むしろ学びがあって楽しかった。引継ぎもままならず兄に任せたことには一抹の不安はぬぐえないが、兄ならきっと成し遂げてくれると信じている。
「うっうっ……そうなのねアラーラ……。安心しなっ、うちの嫁になったからにはあたしの娘同然だよ!」
「こんな綺麗な子を虐げるとは、やっぱり貴族ってやつぁ信用ならねぇな!」
義母も義父も目に涙を浮かべて憤ってくれている。
大変申し訳ないと思いつつも、これを嬉しいなんて思ってしまっている私もいた。こんな風に私のために感情を荒げる人がいるなんて。
ちらと夫ロアを見ると、彼は神妙な顔をした。
むりやり押し付けられた私という負債に、迷惑している事はわかっている。
私は自分の薄い胸を叩いた。
「この一か月!!! 商人に必要な統計学!!!! 大陸で使われる母国語以外の五か国語の読み書き!!!! 販売スキルについての専門書を読み漁り!!!!! 少しでも御企業にとって有益な妻であるように努力してまいりました!!!!! まずは妻だと思えずとも!!!! ただの従業員として!!!! お役に立てるように頑張ります!!!!!」
なお今朝振る舞った朝食も、その一環だ。
平民は身の回りの事全てを自分たちでやると聞いていたので、嫁入り先を知った一か月の間、執務をこなしながら学んできたのだ。
しかしそれをせめてもっと前に知っていたら、できることが増えていたというのに。一か月前に知ってしまった私の絶望を、どう言い表したらよかったか。
だがこれから長い人生、学ぶ機会はいくらでもある。
目を真ん丸に見開く私の夫ロアに向かって、私は今できる最上級の笑顔を作ったのだった。
気が付けば「おとなしくしている」という母の呪いも同時に解けたようだ。
難解な母の呪い……もとい祈りは、私の表情筋から仕事を奪い、自由に野山を駆け回ることすら制限されていた。
母は母なりに、貴族らしくないお転婆な私を心配してくれたのだろうが、長年抑圧されていた私は周囲から陰気だとレッテルを貼られるには十分だったと思う。
せめて悲しみの涙を零す事くらいは許して欲しかったけれど、今は十分幸せなのだから何も言う事はない。天国の母も、娘が幸せなのならそれが一番嬉しいだろう。
それから解放された今なら分かる。
自由であることの素晴らしさが。
嫁いでから一週間。今日も店先で仕事に精を出す。
「いらっしゃいあっせえええええ!!!!!!!!!」
おっといけない、まだまだ音量調節が苦手なのだ。エレガントにいらっしゃいませと伝えたつもりがまるで山賊のカシラのようになっていまい、私は思わず口元に手を当てて微笑んだ。
驚愕に目を見開いたお客様は一瞬だけ押し黙り、それからガハハと大声で笑った。
「元気な姉ちゃんだなぁ! 何くったらそんなに元気になるんだぁ? 姉ちゃんみたいに元気になれる保存食は置いてあるかい!」
お客様はそういうと、店の中へと入ってくれた。
我がピッツラ商会は、この辺では少し名の知れた商会だ。
扱うものは多岐に渡り、専門的な他店とは品揃えが違う。他国のものも多くあり、食品から文房具、武具に至るまで様々なものがあるのだ。そのせいで知識は必要とされるが、今のところ問題なく仕事ができている。
「元気でしたら!!!! こちらの!!! モリノー茶はいかがでしょうか!!!! 長寿で知られるモリノー国の!!! 職人が丹精込めて作ったお茶で!!! 飲めば医者いらずと言われるほど精がつきますよ!!!!」
もちろん医学的なものではないが、それはきちんと値札に記載している。
そう勧めるとお客様は「ほう」と興味深そうな顔をした。
「姉ちゃんの旦那もこれを飲んで「毎晩元気」なのかい?」
にやりと笑うお客様に、私は笑顔で頷いた。
「勿論です!!!! 主人も飲んでいて!!!! 毎晩どころか昼夜問わず元気です!!!!」
先日試食も兼ねて、家族皆でモリノー茶を頂いたところだ。それからみんな元気にばりばり働けているのだから嘘ではない。
私の声に店内の人々がざわついた。なぜかカウンターの中にいるロアは、真っ赤な顔で私を見ている。どうしたのだろう。今元気だと伝えたばかりなのに熱が出ていたら嘘になっていしまうだろうか。
「お、おお……姉ちゃんの旦那は昼夜問わず元気なのかい……そりゃあ……すげえな」
「はい!!!!! すごく元気です!!!!」
再び店内がざわついた。夫ロアの顔がどんどん赤くなっていくせいで、従業員たちもロアをちらちらと見ている。皆、心配なのだろう。
お客様は「ふむ」と言うと、ポンと手をたたく。
「よし、なら店先に出てる分全部くれ」
「ありがとうございます!!!!!!」
安くない金額のモリノー茶が、こんなに一度で出るのは珍しい。平民には少し贅沢品だが、その分滋養強壮には良いものだから胸を張って売ることができる。
店頭のものを全て手に取ると、そのまま夫のいる会計カウンターに持って行った。
「旦那様、お願いいたします」
その瞬間、店内がまたざわついた。
あれがあの人の夫なのか、とか。あんな優しそうな顔をして昼夜問わず元気なのか、とか。そんな言葉が耳に入ってくる。
そしてなぜか隣に立つ義父までもが驚いた顔をしている。
「ろ、ロアお前、役に立たないって聞いたけど違ったんだなあ。そんな……そうか。いつの間に」
「ち、ちがっ! ちょ、アラーラ……!」
「本当の事ですもの!!!! 旦那様は!!!! 連日本当にお元気ですわ!!!!!」
またつい大きな声を出してしまって、店内の視線を一心に受けてしまう。
はしたない事だ。ごまかし笑いをする私を、先ほどのお客様はなぜか尊敬したような視線を向けていた。
「はあ……旦那も凄いが嫁も凄い。この商会は安泰だなぁ」
そういって会計を済ませると、そそくさと商品を持って帰っていった。
そして店内では残された人々が私たちのそばにワッと集まった。
「在庫は! 在庫を出してくれ! 俺にもひとつ!」
「こっちにも一つ……いや二つくれ! 俺も久しぶりに男を見せたい!」
「私にも頂戴! 旦那に食べさせなくちゃ!」
そう言って結局、在庫も全てなくなってしまった。
それどころか絶対に入荷したら教えて欲しいと言われ、前払いの予約客まで殺到してしまったのだから不思議なものだ。皆、疲れているのかもしれない。
ひと波去った店内では、ぐったりとした様子のロアがいた。
「旦那様、お疲れでしたら裏で休まれてはいかがでしょうか」
「いや、大丈夫だ。きみは……天然なのか?」
「……? 人工物ではありませんが……?」
「そういう意味ではない。なるほど……天然か」
それだけ言うと、フラフラと裏へとまわってしまった。やはり疲れていたのだろうか。
私はといえば、結婚初日から身体の自由が戻り、活力がみなぎり大変元気だ。
「じゃあ私は、店先に納品されたものを裏の倉庫へ片付けて参りますわね」
従業員たちにそう告げて、ひょいひょいと木箱を担いで裏へとまわった。
後で聞く話によると、その様子を見た街の人々にはさらにモリノー茶の需要が高まったのだとか。嘘ではないが本当でもないので少し心苦しいが、私が店の宣伝になっているのなら良しとしよう。
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