西風の残影

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「それでは少しお時間をください。その方の近況など分かりましたら、またご連絡します。」  番組のアシスタント・プロデューサーはそう告げると、中浦丈とマネージャーの石本を残して会議室を出て行った。 「本当に探し当てられたら面白いとは思うんですけど…どうですかね。」  石本が少し心配そうな表情で、丈を見る。 「え、どの辺が?」  丈の返しに、石本は柔らかい笑顔で答える。 「だって中浦さんはいいかも知れませんが、相手の女性もそうだという保証はない訳じゃないですか。もし結婚とかされていたら、今のパートナーに話せるかというと、それはちょっと…。」  それは、そうだよな…。確かに、八年前に離婚して独り身の丈とは状況が違うかも知れない。そのことに、妻帯者の石本から言われるまで思い至らなかった。 「まあ、とりあえず調査結果を待とう。ところで明日のスケジュールは?」  午前十時からドラマの撮影でスタジオ入りだという。それを聞いて丈は席を立った。  二週間後、プロデューサーの田丸から連絡があった。 「いろいろ手は尽くしたんですが…。」  電話口で頭を掻く姿が目に浮かんだ。要は交渉が成立しなかったということらしい。 「あの人と再会したら…」という、あるバラエティ番組内のコーナーへ出演を打診されたのが一か月前。別れてから長い時間が経過してしまった出演者ゆかりの人物を番組が探し出してスタジオで再会するという、よくある企画だ。首尾よく現況が判明してその人物が出演を承諾すれば番組が成立するが、そうではない場合その出演者での企画はボツになる。今回、丈が指名した人物も相手側から断られる可能性こそ想定していたが、それでも探し当てられなかった、という田丸の回答には、意外だという印象を持った。スタッフが探し回り、それでもダメなら探偵事務所を使ってでも見つけ出す、と聞いていたからだ。 「もしかして、もう亡くなっていたとか?」  少し嫌な予感がして、丈は声を潜めた。その答えはしかし、彼をさらに困惑させるものだった。 「いえ…というかですね。」  田丸が口ごもる。丈が回答を急かすと、ようやく口を開いた。 「結論から申しますと、そのような方が本当にいらっしゃったのか、と言う話でして…。というか、立ち寄られた定食屋やアパートはもとより、おっしゃった街の地名や、それどころか訪れたという岬の名前、もっと言うと降り立った駅ですら実在していない、という結果だったんです。」  そんなバカな話が…丈は一笑に付したが、電話の向こうの田丸は大真面目に言葉を続けた。 「時々、出演者の方の記憶違いで、地名やご本人の名前などが誤っているというケースはあるんです。その場合、地名なら付近で似かよった名称を探したり、人の名前の場合も、“こんな感じの方はいらっしゃいませんでしたか”というように地元の人に聞いてまわるうちに運よく解決する、なんてことも過去にはありました。ですが今回はそういった手掛かりも全く無く…。失礼な話なんですが、中浦さんの別の記憶と差し替わっているとか、そういう可能性は無いでしょうか…?」  田丸が旧知のテレビマンでなかったら怒って電話を切っていたかもしれない。信頼のできる男だったから、無礼を承知でそう聞かれても冷静でいられた。いや、正直に言えば、少々苛立っていた。俳優としての芸歴も三十年を超え、今ではいわゆる大物として丁重に扱われている。少々気難しい性格でも知られ、最近の若手スタッフの中には彼を恐れて近寄ってこない者もいた。 「まあ…いずれにせよ、彼女には会えなかったってことですよね。でしたら仕方がない。」  申し訳ありません…。田丸はこの企画が無くなることを言外に滲ませ、何度も詫びを入れた後で電話を切った。  俺、そこまでボケてないけどな…。失笑とともに、丈はスマホをソファーの上に放り投げる。明日も午前中から撮影がある。酒棚に手を伸ばし、鹿児島にロケに行った際に入手した、希少な焼酎の瓶を抜き取る。そいつを少しだけ飲んで、ベッドに入ることにした。                 ※※※ 「ようやく約束が果たせた。撮影お疲れ様。」  ドラマのクランクアップの二日後、数少ない友人の一人である脚本家の川岸と都内の日本料理店で盃を重ねた。 「そういえば、あの再会企画の件、ボツになったんだって?」  お前がバラエティ番組に出るなんて珍しいなと思っていたんだけど、その姿を見られないのは残念だ、と川岸が陽気に喋る。 「ただの番宣だよ。」  そう答えた後で、本音を言うとその女に会ってみたかったからだ、と丈が付け加える。多分そんなことだろうと思った、と川岸が笑った。 「けどさ、変な話なんだよ。」  丈は田丸から受けた報告を、川岸にも話した。 「確かに三十年も前の話だから、細かい記憶違いならあると思っていたんだけど、さすがに駅まで存在しません、と言われると…。」  街の名前も、彼女と訪れたはずの岬の名称も、何から何までどこにも見当たらないと回答されてしまった。 「似た名前とかも、無かったの?」  全然らしい…と答えて、丈は日本酒をあおる。 「でさ、撮影が終わってこの後一か月ほどオフだろ。いい機会だから、旅でもしてみようかと思って。」  実際に「その地」を訪れ、自ら当時の痕跡を探してみたくなったのだと告げた。  別れ際に、川岸が言いにくそうにしていたので、何だ? と言葉を促した。 「一か月後に撮影の始まる俺が書いたドラマ、ちゃんと戻って来いよ。」  何を言っているんだ、と丈は笑って手を挙げた。川岸も、そうだよな、と頬を緩ませる。そのまま丈は歩き出す。その背中を何故か川岸がずっと見ているような気がした。
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