これはお葬式味

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これはお葬式味

 末期の癌であったため覚悟はしていたつもりだったけど、いざ目の当たりにすると覚悟なんかできていなかったことを痛感させられる。心にぽっかりと穴が空いてしまったかのような喪失感に、溢れだす涙を止めることができない。愛する夫を失ったこの悲しみは、今までの人生で感じたものの中で一番に深く、そして痛みを伴っている。  お通夜の最中ですら、小学生の娘に支えてもらわなければ歩くのもおぼつかないほどだった。娘だって悲しいはずなのに、気丈に振舞って。本当なら私が娘を支えなければならないのに、情けないことこの上ない。 「うぅ……えぐっ、うわぁぁああぁあああぁあぁぁぁ……!」  ふと、参列者の一人が私の悲しみを体現するかのように号泣しはじめた。  黒く艶のある長い髪を揺らして泣いているのは妙齢の女性。彼女は周囲の人間など気にも留めず、大粒の涙を惜しみなく零しながら、外にまで響き渡るような大きな声で泣いていた。こんなにも泣いてもらえたなら、故人も少しは報われるだろうと、そう思えるくらいだった。 「うわぁぁああん!ひっく…あぁあああぁあぁぁぁ……!」  しかし、それから数分。あまりにも号泣し続ける彼女に、少しずつだが疑念がわいてきた。自分のではなく他人の夫が亡くなっただけなのに、どうしてそこまで泣き続けられるのか。身内以外の不幸にそこまで深く悲しめるものなのか。もしかしたら、彼女は夫と深い関係にあったのかもしれないと邪推までしてしまう。それとも、そんな風に考えてしまう私の心が矮小なのか。  恥ずかしさや悲しみを覆い隠すように疑念はどんどん深まり、怒りすらも芽生え始めた。 「ママ……大丈夫?」  娘の心配そうな表情を見て、すぐさま我に返った。  もし、彼女が夫とそういう関係だったとしても、もう今更どうにもならない。だからそんなことよりも、娘とのこれからを考えていかなくてはならない。  大丈夫だと、娘の頭を撫でると、安心したように目を細めた。  お通夜が終わり弔問客を別室へ案内した後、数珠がないことに気がついた。どこかで落としてしまったのかと、慌てて会場へ戻った。と、会場で一人、先ほど号泣していた女性がぽつんと立っていた。 「どうかされましたか?」  案内についていけてなかったのか、それとも私と同じく忘れ物でもしたのだろうか。  声をかけた彼女の目は、あれだけ号泣したにもかかわらず微塵も赤みは差しておらず、まるで何事もなかったかのように見えた。  彼女はまるで人形のように無機質な表情のまま、水を掬うようにすっと両手をこちらに差し出して、ぽつりと呟いた。 「謝礼をください」 「……へ?」  私は思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。今、彼女は何て言ったのか。私の聞き間違いでなければ、謝礼をくださいと言ったのか。もしかして返礼品のことだろうか。だったとしても、何故今それを求めるのか。彼女は何を考えているのだろうか。 「いっぱい泣いたから。謝礼をください」  なおも何かを催促する彼女に、苛立ちを覚えた。  それに泣いてほしいなんて私は頼んだ覚えはないし、それはあなたが勝手にやったことでしょうに。 「ご……ごめんなさい。それはまた後日——」 「じゃあ、返してください」  何とか平静を装い対応しようとしたのだが、彼女のその一言でぷつりと何かが切れた。大事な人が亡くなって、深く悲しんでいる人間に対して、ずけずけとどうしてそんなことが言えるのか。こんな女に包んでほしくないし、そんなものはいらない。 「いい加減にしてちょうだい!そんなに言うなら勝手に持っていきなさいよ!!」  そう叫んだ瞬間、不意に違和感を感じた。  熱い。身体がとても熱い。何が起こっているのか。喉が渇く。とてつもなく渇く。このままじゃ死んでしまう。水、水を早く飲まないと。助けて。熱い。喉が。誰か……た、助け、て。
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