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ー「看守長、Mを連れてきました」 ニコルソンに促され執務室に入る。革張りの椅子に腰掛けた看守長のフリーマンが待ち構えており、手で払うようにしてニコルソンを退出させた。 「やあ」 「どうも」 「掛けなさい。…どうだい、最近」 相手を探り合うような鋭い目つきはお互い様だが、フリーマンはリラックスさせるような穏やかな声色で尋ねた。 「俺は至って普通ですが、更生プログラムで薬物治療をしてる奴らが、ちょっと頭に血がのぼりやすくなってます。治療用の薬物を減らされたせいだと抗議してますが」 「それはこちらでも把握している。だが理事会と医局とのあいだで、その療法のほうが有効だと見なして決定されたものだからな。苦労をかけて済まないが、小さいイザコザは、お前やヘムズワースでどうにか収めてくれ。もちろん手に余ると判断したらすぐに看守に言ってほしい。特にひどいのは?」 「うちの棟の奴らだと……エイドリアンとBJが特に。電話の順番でイチャモンをつけたり、不必要に壁を蹴ったりというのが増えてます」 「ふむ…ライアンは?」 「ライアンは…まあ、暴力的なことは特にないですよ」 「悪化はしてるか?」 「悪化なのかどうか…ただ俺はわざわざ訂正する必要はないと判断して、妄言に付き合ってます。仲間内のやつらもそうです。だがともかく、ライアンは問題ないです」 フリーマンは何かを逡巡し、「そうか」とうなずいた。 「それより看守長、のほうも……いろいろと鬱憤が溜まってるように感じますが」 「どういうことだ?」 「看守同士も、もうちょい結束を固めるなり何なりして、軋轢を減らすべきかと。看守どものイライラの捌け口にされるから、俺たちもよけいにストレスが溜まる。人種差別的な発言や、ライアンにわざと…彼の思い込みを茶化すようなことを言って、面白がっている。そういう業務外の不要な挑発を続けると、また暴動のキッカケになりかねません」 「それに関しては申し訳ない。お前の言うとおり、危険な挑発となる。だが今お前らの棟を取り仕切っている、アル、それからB棟のロバート。奴らの対立のせいで神経を摩耗させているんだ。2つの駒をどう収めるかで、看守たちのあいだでも意見が別れたりしてな。どっちも同程度の悪たれだが、看守は奴らとの日ごろの付き合いの中で、当然少しでも扱いやすい方をボスにしたがるからな。買収されてる奴らもいるはずだ。そうなると、ロバートにうまいことボスの座を得てほしい看守たちが、アルの側についている囚人に圧力をかける。アル派もまた然りだ」 「………」 「……つまり今の状態は」 「前回の暴動が起きた時と似ている」 「勘がいいな。その通りだ。正確には奴らの抗争、および暴動の引き金を引くものを、事が起きる前に排除しなければ。当然、私自身の保身もある。私の管理下で暴動など起きてみろ。また死人なんかが出たら降格どころじゃ済まされない」 Mは冷静な態度を貫くが、実は内心では動揺していた。 フリーマンとは、本人が今まで渡ってきたあらゆる刑務所で「鬼軍曹」との異名で呼ばれた、冷徹で寡黙な人間である。 ここに着任したばかりのころもそうだった。フリーマンに反抗的な看守は1ヶ月以内に施設内から一掃され、規則を守れない囚人は容赦なく刑期を延ばされ独房送りにされていった。 また軍人として幾度も戦地に赴いていた経験があり、ハッタリや暴力などには眉ひとつ動かさない強靭な精神と肉体を有している。 かつて覇権を取っていた屈強な囚人グループのメンバーに"見せしめとしての制裁"を食らわせてから、フリーマンに歯向かう者は無くなった。そのおかげで、ここはこれでもだいぶまともになったのだ。 そんなフリーマンがこのように長々と話をし、大柄なMよりもさらに大きな図体で、何やら弱気なことをぼやいている。Mは警戒した。 自分は棟内での囚人の「世話係」という立場にあるが、おそらくを依頼されるために、こうしてここに呼ばれたのだと察した。 フリーマンは、Mと同じ模範囚で世話係のアダム・ヘムズワース、囚人内で権力を二分するアルとロバート、それから部下である副看守長のローレンスにすら、会話を5分以上することはないし、業務以外の話はしない。 しかしこのMに対しては特別なものを感じているのか、たびたび所内のことを聞いたり意見を求めたりするために、こうして執務室に呼びつけることがあった。 「もっと厳密なが必要だ」 「と言うと?」 「表向きの暴動指示者を突き止めただけでは、この刑務所は何も変わらない。クーデターを起こしたかった、看守に鬱憤がたまっていた、と証言されてしまえば、管理不行き届きと見なされて、理事会に私が叱られ、マスコミに叩かれ、それで終わりだ。……だがここでの暴動にそういう意義はない。起きるとすれば、と密接に関連して引き起こされているはずだ。でなければ……以前の看守長が殺されたり、麻薬の密輸ルートが変わったりしないはずだ。混乱に乗じて、どさくさ紛れにが何かを行っているんだろう」 「俺たちの中の誰かと密なやり取りをしているネズミがいるということですね。囚人側の不満だけなら、わざわざそんな面倒な暴動まで起こしてケムに巻くようなことをしなくとも、見えないところでひっそりリンチでもすりゃ済む話だ」 国中のどんな刑務所とも同様、ここだって看守と囚人のあいだが鉄壁で隔たれているということはない。どこかに穴は空いているものだ。 「一応言っとくが、俺は麻薬には絶対に手を出しません。使用や密輸はおろか、この手のひらに錠剤や粉の袋を置くことすら、この所内ではしないと決めています」 「わかっている。だからお前にここまで話しているのだ」 「だが、密輸やら売買の現場を見ていないとは言えません。それでもその詳細をここであなたにチクることは出来ません。それは理解してください」 「それも頭の痛い問題のひとつだ。そんなことを面と向かって言われて、そのままお前をここから解放すれば、本来なら私の処分は免れない。……だが敢えてそのことを明言してきたからには、もちろんお前なりの考えと、私に協力するという意思があるととらえてよいのだろうな」 「……仮釈放があと3ヶ月後なんです」 「よろしい。まあ、任務のようなものを課すつもりはない。世話係として今までどおり囚人たちの面倒を見てやってくれ。ただし、報告とお前なりの見解を、本来なら今まで黙ってきた範囲のことまで逐一私に示してほしい。私はお前のチクリを他言しない。……M、はっきり言う。ずっと避けてきたが、私はいま初めてお前に圧力をかけよう」 フリーマンがじっと目を見つめて言った。 「仮釈放の権限はあくまでもこの私が掌握している。コトをうやむやにしてシャバに出たとしても、黙っていたことがあとでバレた場合、犯罪に加担したと見なしてお前をすぐにここに引き戻すことも、私ならば可能だ。……信頼しているからこのようなことを敢えて言った。悪く思うな」 「……俺はアルやロバートみたいなボスでもないし、ただの世話係ですから、得られる情報は他の情報通の奴らより劣ります。だがあなたに背くつもりはない。いま黙っていることも、早とちりの可能性があると厄介なのでしばらくは静観するつもりなだけです。……俺は面倒なことが心底嫌いです。あまり首をつっこむタチじゃないということだけは分かってください」 「大丈夫だ。だから別に任務を課すわけではないと言ったろう。何かを知ったとき、或いは疑わしいことが起こったとき、すぐに私の耳に入れてくれればいいのだ。お前はアルたちとは違った意味で囚人たちから信頼されている。人望があり、キレ者だからな。お前がボスじゃなくてよかった」 フリーマンが口元だけで笑い、ガラス越しのニコルソンに合図をした。 Mは再び右腕を取られ、A棟へ連れ戻された。広間でようやく右腕を解放され、ニコルソンが去っていく。机にはもう先ほどの面々の姿はなかったが、ライアンが部屋からMのことをのぞいていた。
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