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 明治十六年といえば――、  明治政府が欧米列強に肩を並べんと富国強兵策を強硬に推し進め、一方で土佐出身の板垣退助らが起こした自由民権運動が、不平士族のみならず農民や都市ブルジョワ層を巻き込んだ巨大なうねりに発展し、政府と激しい対立を繰り返していた時代である――。  その九月二十三日。  ところは神奈川県南多摩郡原町田村(現・東京都町田市)。   横浜開港によって輸出品の花形となった生糸が、集散地である八王子から横浜まで運ばれるちょうど中間点にあたるこの村は、宿場町として急速な発展を遂げ、各地から生糸商人が参集してくるようになった。  毎月二と六のつく日に催される「二・六の市(にろくのいち)」では、大都市にひけをとらない活況を見せ、アメリカのゴールドラッシュさながらの賑わいが、この地に巨万の富をもたらした。  しかし村の中心部から北西に外れた境川沿いには、江戸時代から時間(とき)が止まったような藁ぶき屋根の老朽化した平屋が立ち並び、田畑と原野がどこまでも続いている。ここでは近代と近世がいびつな形で共存していた。  橘龍二(たちばなりゅうじ)は、古びた土塀に背をもたせ掛け、目の前に広がる時代に取り残された側の家並をぼんやりと眺めていた。  小一時間もそうしていただろうか。  貧相な家々の屋根越しに、巨大な夕陽がゆっくりと沈んでいく。彼はそれを眺めながら、動こうとしなかった。  臆したわけではない。  腹は決まっている。  修羅場はこれまで幾度も潜り抜けてきたし、人を殺めたことも一度や二度ではない。  だから臆したわけでは決してないのだが、釈然としないものが胸底に沈殿しているのもまた事実だった。
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