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任務がありどうしても彼女を訪ねることが出来なかった僕は、知り合いのブランディス卿に頭を下げ、アメリアを晩餐会に呼び出した。
家同士のつながりで交流のあったブランディス卿は元騎士で、奥方は事業を興している社交界では有名な女性だ。舞踏会でブランディス卿と会話をしたアメリアが、奥方のことを憧れの人だと言っていたのを利用させてもらうことにしたのだ。
「それは、協力するしかないかな」
屋敷を訪ね頭を下げると、ブランディス卿は急ぎアメリアに手紙を出してくれた。
「こんな早朝に突然訪ねてくるんだから、余程切羽詰まってるんだろう?」
「申し訳ありません」
「責めてるんじゃないよ。その気持ちはよく分かるからね」
目を細めて僕の顔を見て笑うブランディス卿に、そばで話を聞いていた奥方が少し恥ずかしそうにクスクスと笑っていた。
――けれど、やっとのことで捕まえたアメリアの口から出た言葉は僕の心を打ちのめした。
彼女が僕を受け入れないのは、恐らく互いの身分や仕事のことだろう。
だが、もしかしたらそれすら僕がいいように考えただけの、ただの思い込みかもしれない。
でもどうしてもそれだけではない、アメリアの中に確かに僕がいるのを感じるのだ。短い時間を過ごしたあの中で、確かにお互いの中に何かが生まれている。それは間違いない。
だからこそ、僕が彼女のそばに居られるよう手を尽くすしかない。
どれほど彼女を愛しているか、彼女に示さなければならない。
卑怯な手を使っても。
僕は、行動を起こすことに決めた。
*
「カイネル隊長!」
アメリアと中庭の回廊で別れ、僕は急ぎ王城の近衛騎士団詰め所へ向かった。
騎士団員の正装姿の僕を見て、すれ違う近衛騎士たちは何事かと訝しげな表情を見せたが、僕が誰なのか分かると特に声を掛けてくる者はいない。
「――マリウス? なんだ、こんな時間に」
銀色の髪を後ろに撫で付け口髭を蓄えた父が、執務室に飛び込んできた僕を見て眉根を寄せた。
王城の警備で多忙を極める近衛騎士隊の指揮を執る父も、この期間は一度も屋敷へ戻っていない。仮眠は取っているのだろうが、四日目ともなると疲労の色が隠せない。と言うよりは、暫く母に会えていないことに苛ついているのだ。
「お話があって参りました」
「それは今聞かねばならない事なのか」
定時報告をしていたのだろう近くにいた騎士が、どうしたものか黙ったまま様子を窺っている。
「今でも遅いくらいです」
「なんだと?」
「僕を南のルース領へ派遣するよう手を回してください」
「何?」
ぎゅっと寄せられていた眉が、今度は垂れ下がり目を丸くした。
「来月から」
「ちょっと待てマリウス、何を言っている」
「そのままです」
「いや……」
父は額に手をやると暫く黙りこみ、俯いたまま騎士に手を振り出ていくよう指示を出す。
騎士は僕の顔を見て少しだけ肩を竦めると、一礼して退室した。
「……堂々と手を回せとは、一体何の話だ」
「ルース領の騎士団に僕を派遣するよう手を回してください。とにかく大至急」
「説明しろ!」
どさっと来客用ソファに身体を沈めた父は、深く背もたれに背中を預けた。だがこちらも急いでいるのだ、座って悠長に話している場合ではない。
「大切な女性のためです」
「……なんだと?」
父は僕の言葉に背もたれから身を起こし、前のめりになり僕を凝視した。困惑、疑心、なんとも言えない複雑な顔で眉を顰めた父は、じっと僕を見上げる。
「それは誰だ」
「まだ言えませんが、彼女のそばにいるために必要なんです」
「……お前がこの父に頼みごとをするなど初めてのことだ」
「お手を煩わせたくありませんでしたので」
「だが今回は」
「初めて、我儘を申しております」
そう言って、さっと頭を下げた。
ぐっと何かを呑み込む父の様子に、それでも顔は上げずさらに言い募る。
「僕はこれまで、家名や父上や兄上たちの名声に頼らないよう、努力してきたつもりです。今いるこの地位も、決して与えられたものではなく自分で手に入れたものだと自負しています。ですが、どうしても今だけは使えるものは使いたいのです。卑怯なことは承知の上で、どうかこの一度きり、僕の卑怯な手段に加担していただけませんか」
「加担だと?」
そう言うと父は声を上げて笑い出した。
そっと顔を上げ父を見ると、仰け反り天を仰いで大きな声で笑い、ひとしきり笑うと眦の涙をぬぐいはあっと大きく息を吐きだした。
「……なるほど」
「なるほど?」
一体何がなるほどなのか?
そう問おうとして口を開くと父が勢いよく立ち上がり、扉を開けて廊下の向こうに叫んだ。
「ルーカスとネイトを呼べ! 騎士団第二部隊のグライスナーもだ!」
警備についていた長兄と仮眠中だった次兄、突然近衛騎士隊長に呼び出されたグライスナー隊長は、喜色を浮かべ明らかに色めき立つ父を前にして相当困惑していた。
「何事ですか? 警備に問題が……」
「マリウスをルース領へ派遣する」
「「「は?」」」
突然の父の宣言に「今? え?」と困惑するグライスナー隊長、兄たちの巻き込むなと言う迷惑そうな視線を受け、僕はにっこりと笑みを返した。
「ご期待に沿えるよう、精進します」
そしてこの夜、いかに人事を動かすか最適解を求め夜通し話し合い、空が白み始めた頃、人事案を持った父が嬉々として王城へと足を向けたのだった。
「マリウス、さっき走って追いかけていた女性はどうした?」
目の下にクマを作った隊長がニヤリと笑うと、その言葉に兄たちが反応した。
「走って逃げられた?」
「何お前、女性を走って追いかけてたのか? え、お前が?」
先ほどまで睡魔に襲われ眠そうにしていた兄たちが、急に好奇心を刺激され目を輝かせる。
「逃げられてはいないんですけど、するりと躱されてしまったんです」
「それを逃げられたって言うんだろう」
「これから捕まえに行くんです。もう逃がすつもりはないので」
「へえ、なるほどねぇ」
長兄が父と同じような顔をして顎をさすった。
長兄もそのうち父のように髭を蓄えるのかもしれない。
「ここまでして逃げられたとか、情けない報告は聞きたくないからな」
面白そうに笑う隊長に背中を叩かれ、兄たちにも後で詳しく話すよう詰められ、僕は逸る気持ちを抑えたまま、また警備へ戻った。
*
部下からの報告書に目を通し、溜まっていた仕事を捌き、陽が高くなってきた頃にやっと騎士団の詰め所に戻り仮眠室で横になった。
外は明るいが、重たいカーテンを閉めベッドに横になると、どっと疲労に襲われた。身体が重い。
交代の時間まで一時間はあるだろうか。
それまで少し眠り、また任務に就かなければ。
――人事通達はいつ頃になるだろうか。父のことだ、何かしらの手を使っただろう。来月は無理だとしても、雪が降る前には彼女の領地へ向かいたい。
今あの地で取り仕切っている隊長は確かミラー隊長のはず。昨年、家族を王都に残し単身で異動した人だ。
身勝手な気持ちだが、ミラー隊長にとってもいい異動になればいい。
だめだ、目を瞑ってもグルグルと頭の中で思考が止まらない。
なんだか頭痛もしてきた。
その時ふわりと、頭を撫でられる感覚がした。
――ああ、アメリアだ。
アメリアが優しく、僕の髪を梳き頭を撫でてくれている。その手つきは気持ちよく、僕はいつまでだってこうしてもらいたいと思っている。
「好きよ、マリウス」
小さく小さく、アメリアの囁く声が聞こえる。
それは僕が聞きたい言葉、欲しかった言葉。
僕も、僕も好きです、アメリア。貴女が好きです。
「さよなら」
だめだ、行かないで。
まだ待ってください、僕は――
重たい瞼を無理やり開くと、部屋の扉の前に立つアメリアの後姿が見えた。カーテンから零れた一筋の白い光が、彼女の凛とした後ろ姿を美しく浮かび上がらせる。
待って、待ってください。
彼女を捕まえたくて、もがくように腕を伸ばした。
バンっと開きかけた扉を押さえ、彼女を腕の中に囲む。頭がぼんやりする。これは夢?
腕の中の彼女の肩に顔を埋めると、甘く、それでいて森のようなさわやかな香り。そして温もり。
「アメリア」
アメリアの細い腰に腕を回す。腕の中でアメリアが身じろいだ。逃すものか。
「ま、マリウス」
「……夢かと」
彼女の細い顎をそっと捕らえ上向かせる。
灰色の複雑な瞳が、キラキラと輝き僕を捉える。頬を染め、美しい形の眉を少しだけ顰めて、彼女は絞り出すように言葉を零した。
「……貴方が、好きよ、マリウス」
――僕はこの日初めて、愛する人から愛の言葉を聞くことが出来た。
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