田中家のサンタたち

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 細く開けた寝室のドアをそっと閉めて、私は夫の正晴に振り返った。正晴はソファーに座ったまま、私の背中越しに寝室の様子を伺っている。ボリュームを絞ったテレビでは夜十一時のニュース番組が流れていて、クリスマスイブを渋谷で過ごす人たちのインタビューが映っている。彼氏にどんなプレゼントを買ったのか、これからどんな素敵なレストランに行くのかーー。画面の若いカップルの瞳は、クリスマスツリーの星のように輝いて見えた。昔の正晴と私もこんな風だったのかしら? 「悠太と光太は?」  テレビのボリュームと同じくらい声を抑えて、正晴が聞いてきた。私はうなずく。 「大丈夫、二人ともぐっすりだよ」  悠太と光太は私と正晴の子供だ。悠太は小学三年生、光太は一年生。悠太は勉強好きで妙に大人びている。それとは反対に光太はいつも元気いっぱい、外で駆け回ってばかり。それでも二人は仲の良い兄弟で、よく家では一緒にテレビゲームをしたり、お風呂に入ったりしている。悠太が光太の宿題を見てあげることもしばしばだ。 「よし。じゃあ、プレゼントを出そうか。奈緒子は小さい方をお願いできる?」  正晴はソファーから立ち上がって寝室とは別のドアへ向かう。リビングと廊下を仕切るドアだ。正晴が開けると、キーッときしんだ。きしみ用の油をスプレーをすれば直るのに、忙しくてつい後回しになってしまう。この前ようやくスプレーを買ってきたばかり。年が明けるまでには直したい。  私はリビングの隅にある棚に向かった。一番上の扉をつま先立ちして開けると、両の手のひらに乗せられるくらいの大きさの包みを取り出す。赤い包装紙に描かれたたくさんの小さなサンタクロースが私に微笑みかけた。これはテレビゲームの将棋のソフト。  戻ってきた正晴が持ってきたのは金色のリボンがかかった大きな緑色の袋だ。重さはそこまでないけど、身長一八〇センチの正晴が抱えて持たなくてはいけないほど大きい。中身はクマのぬいぐるみだ。玄関近くの納戸に古い毛布をいっぱいかけて隠しておいたけど、子供たちに気づかれなくて本当によかった。  我が家ではプレゼントはリビングのクリスマスツリーの下に置く。子供たちが保育園のときに読んだ絵本の絵がそうなっていて、それを読んで以来二人ともそういうものだと思っているからだ。 「奈緒子は悠太の話、聞いた?」  二つのプレゼントをツリーの下に置いた正晴は、そばにおいてあった蓋付きのバスケットを持ち上げながら私に振り返った。  そのバスケットは子供たちが用意したものだ。サンタさんへの『プレゼントありがとう』の手紙とお礼のクッキーと牛乳が入っているはずだ。去年まではトレイにクッキーのお皿と牛乳の入ったグラスを置いていたけど、今年はバスケットにしたようだ。サンタさんにクッキーとミルクを用意するのはアメリカの風習らしいけど、それもまた、幼稚園の絵本で読んで知ってから悠太と光太が毎年自分たちで用意している。そして毎年正晴と私でこっそり頂き、サンタさんが食べたように装って、包み紙だけを残しておくようにしている。牛乳もしっかり全部飲む。 「ああ、サンタさんを捕まえるって話?」  ふふっと笑った私に、正晴も微笑んだ。正晴はバスケットをリビングのテーブルに置くと、 「奈緒子にも話していたんだ。『サンタさんを捕まえて、一晩で世界中を駆け巡るソリの仕組みを知りたい。そのスピードと耐久性を研究すれば、すごい乗り物ができそうだから』って」  二人でソファーに並んで座りながら、私はうなずいた。 「ええ、今日の夕方に聞いた。『宇宙に一瞬で行けるような乗り物を作るのが夢だから、最高の研究対象だ』って私には言っていたわよ」 「光太はそれを聞いて、『お兄ちゃんがまた難しいこと言っている』ってあきれていたな」 「そういえば毎年サンタさん宛の手紙に欲しい物と一緒に書いていたよね。『ひこうちゅうのようすについてききたいので、おはなししたいです。そりもみせてほしいです』って」  悠太と光太は今夜寝る直前まで天体望遠鏡を交互に覗いていた。サンタさんが飛んでいるのが見えるかもしれないからって。その天体望遠鏡は去年のクリスマスに悠太にあげたものだ。 「一向にサンタさんと会えないからしびれを切らして捕まえることにしたのか。その解決法はいかがなものかと思うけど」 「それはともかく捕まえるなんて無理でしょ。だってサンタさんの正体はーー」  そこまで言って私は口をつぐんだ。声は抑えていたけど、一瞬背後の寝室の様子をうかがう。だってサンタさんの正体はあの子たちのお父さんとお母さん、つまり正晴と私なんだから。 「トラップを仕掛けるって言っていたぞ。悠太は」 「トラップ?」  正晴の言葉に私は眉間にしわを寄せる。 「サンタが来たらわかるようになってるらしい。『サンタさんは子供には絶対姿を見せないし、僕たちも寝ているから、プレゼントを持って来たら気づいて僕たちが目覚められるようにした』ってさ」 「どういうことかしら?」  私は思わずリビングを見回す。ツリーとプレゼントがあること以外はいつものリビングだ。寝室から子供たちが起きてくる気配もない。  正晴も室内を見回していたけどやがて首をひねった。 「何だろうな。特に何もなさそうだけど。ーー考えたけど実行できなくて諦めたのかもな」  正晴はほっとしたように肩の力を抜いてバスケットの蓋に手を伸ばしたけど、内心私は首をひねっていた。悠太と光太のことだから、きっと思いもよらないことを考えたはず。まだ安心するのは早いんじゃ······? 「な、奈緒子、これ見てくれ」  私ははっとして正晴の手元に視線を落とした。バスケットの中身はいつものクッキーとミルク······じゃない。これはーー! 「厚さと固さと噛んだときの音の大きさに定評があるせんべいね······」  正晴は二枚のおせいべいが入ったビニールのパッケージを取り出して頭を抱える。  去年までのクッキーはなんとか静かに食べられたけどこれは無理だ。だからと言って子供たちがせっかく用意してくれたものを捨てるのも隠すのもしたくない。  ふと私は一週間前のことを思い出した。光太と一緒にスーパーに行ったときのこと。いつもはチョコやポテトチップスばかり選ぶ光太がなぜか普段は見向きもしないせんべいを欲しがり、あれこれ吟味した挙げ句、この固いせんべいを買うことになった。あのときから悠太と光太の計画は始まっていたんだ。なんて用意周到な子たちなの······!  せんべいの他にバスケットに入っていたのは、湯呑みと緑茶のティーバッグと小さな魔法瓶、それに手紙だ。  手紙は悠太と光太の連名になっていて、『サンタさん、いつもプレゼントありがとう。そちゃですがどうぞおめしあがりください。今年は日本のでんとうてきなおかしをよういしてみました』と鉛筆で書かれている。悠太の字だ。 「『そちゃ』······粗茶なんて言葉、どこで覚えたんだ?」  眉間にしわを寄せた正晴に私は首を振ると、 「それより、どうしようこの固いおせんべい。静かに食べるにはかなり難易度が高いよ」 「そうだ、廊下で食べればいいんじゃないか」  正晴は自分の言葉にうんうん頷き、ソファーから立ち上がる。私は正晴の腕を慌てて引いた。 「だめよ。さっきあのドア、きしんでいたでしょ」  今度は私がソファーから立ち上がり、キッチンの隅の棚を開ける。ペンチやドライバーなど簡単な工具が入っている棚で、この前買ってきた潤滑油のスプレーもここに入れた、はずだ。 「無い。スプレーが無い」  私はできるだけ静かに棚の中を漁るけど、どれだけ探してもしまったはずのスプレーが無い。 「納戸か玄関の棚に入れたんじゃない?」  様子を見に来た正晴に私は首を傾げる。 「確かここに入れたはずなのにーー」  いずれにしてもスプレーは使えない。納戸も玄関もきしむドアの向こうにあるから、取りに出たら音で子供たちが起きてきてしまうかもしれない。私は天井を仰いだ。 「これじゃあサンタは音を立てずにリビングから脱出するのは不可能よ」  悠太と光太の用意してくれたおせんべいは何とか食べたい。でも食べれば大きな音がしてサンタの存在を信じている二人に、正体が私たちだとバレてしまうかもしれない。一体どうしたらーー。  そのとき、正晴がすっと私の肩に手を置いた。その顔はいやに清々しく、何か大きな決意を秘めているかのようにまっすぐに私を向いていた。 「このトラップをかいくぐる方法がひとつだけある」
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