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黎家に暁宇が戻った時、母や妹、家に残ってくれた数少ない使用人達は泣いてその無事と帰りを喜んだ。祖母の林芳でさえも目に涙をため、最初こそ暁宇を叱ったが、その声も途切れて、やがて息子の細くなった肩を強く抱きしめた。
その中で一人、宇晨だけが泣くことも喜ぶこともできなかった。
暁宇を囲む皆を、離れたところから見ることしかできなかった。
――どうして誰も、父上を責めないんだ。父上のせいで、みんな、苦しい目に遭ったのに。
やり場のない怒りと悔しさは、暁宇が帰ってきてからますます募った。
『宇晨、あなたの気持ちは十分分かっているわ。でも、どうかあの人を責めないであげて』
『ねえ兄さま、一緒に父上のお見舞いに行きましょう! 父上もきっと喜ぶわ』
母や妹の言葉に、何と返せばいいのか分からなかった。
父が戻ってからの黎家は、以前の黎家と違った。親族も使用人達もみんな仲良くて家族のようだったのに、宇晨は自分一人だけ異質なもののように感じていた。
そしてあの日、宇晨は暁宇が戻ってきてから初めて、彼の部屋を訪れた。
牀榻に腰かけた父の姿はほっそりとしていて、以前の逞しい姿とはまるきり違っていて、別人と対峙しているように思えた。
暁宇は宇辰を見てわずかに目を瞠り、少し視線を落とした後、顔を上げて小さく笑みを浮かべた。
「小晨」
それはかつて、幼い宇晨を抱き上げる時の顔と声と同じものだった。
だからこそ、宇晨は許せなくなった。
今になって、そんな顔を向けられたって。家族を顧みなかったくせに、そんな顔で笑うなんて。
気づけば、宇晨は口を開いていた。
「父上、どうして、あのようなことをしたのですか。どうして逆賊を庇い、家族を苦境に追いやったのですか」
強く詰る声に、暁宇の顔がわずかに強張った。しかし、血の気の無い顔は宇晨から逸らされることはなかった。以前より弱々しくなった身体とは違い、眼差しの強さは変わらない。まっすぐに宇晨を見て、暁宇は意を決したように口を開く。
「すまない、宇晨、私は……」
「どうして!」
宇晨は暁宇の言葉を遮るように、震える声を張り上げる。
聞きたくなかった。言い訳も何も。だって聞いたら、自分はきっと許してしまう。いや、聞かなくたって本当は許したいのだ。これ以上、父を恨みたくない。責めたくない。
父が無事に戻ってきてくれたことを喜びたいのだ。
なのに。
「父上は、私よりもあの子供の方が大事だったのですか!」
――本当は分かっていた。
父が家族を、宇晨をどれだけ大事に思っているかなんて。ただ、罪のない哀れな子供を見捨てることができなかっただけだ。そんなこと、最初から分かっている。
でも、あの夜に宇晨ではなく、逆賊の子供を選んだ父を、宇晨はどうしても許したくなかった。
子供の我儘だ。みっともない嫉妬だった。
その我儘は、放たれた言葉は、暁宇と、そして宇晨自身を深く傷付けた。
暁宇は小さく息を呑み、そして目を伏せた。逸らされた視線に、宇晨の胸は絞られるように痛んだ。
愚直なほど誠実で、弱者を守り強者に立ち向かう立派な父を、宇晨はずっと誇りに思っていた。その父の行いを宇晨は認めることができず、自分の幼い嫉妬心で責めたのだ。
それなのに、暁宇は謝ってきた。
「……すまなかった」
どうして謝るのか。決まっている。宇晨が責めたからだ。
でも、謝ってほしくはなかった。それではまるで、宇晨よりもあの子供の方が大事だったと言っているようなものではないか。
「っ……」
暁宇の謝罪の言葉をそれ以上聞きたくなくて、宇晨は部屋を飛び出した――。
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