大きな柱時計

1/2
42人が本棚に入れています
本棚に追加
/26ページ

大きな柱時計

駅の、長い連絡通路は、ザワザワと人々が通り過ぎていく。 この通路の、一番奥にある、小さな看板には 【旧駅舎博物館(きゅうえきしゃはくぶつかん)】と書かれている。 百三十年ほど前の、開業当時のままの、改札口、駅構内、 ホームなどが自由に見学できる。  改札口の横に置かれた、大きな柱時計。 黒塗りで、ローマ数字の銀色の文字盤の下に、銀の振り子がついている。 今は、振り子は止まり、文字盤の秒針もピクリともしない。 時計職人の西沢(にしざわ)圭佑(けいすけ)は、時計の前で熱心にそれを見ていた。 「どうですか」 後ろから声をかけられ、振り向いた圭佑は軽く会釈をした 「館長さん、一度持って帰って、じっくり見てもかまいませんか?」 館長はにっこり笑って答えた 「はい、お願いします。博物館に移動されても、この時計には元気でいて欲しいですから」  圭佑は手袋をはめると、慎重に柱時計を持ち上げた、下から50センチ程は台座で、その上から外れるようになっていた 用意していた、梱包材と毛布で、丁寧に包むと、 館長の手を借りて、車に乗せた。 「直せるかどうかと、修理にかかる費用や時間は、電話でお知らせします」 「はい、圭佑君に直せない時計は無いと思っていますよ」 館長は手を振って、博物館へ帰っていった。 圭佑は、館長の後ろ姿を見送ると、車を発進させた。    圭佑の店は『西沢時計店(にしざわとけいてん)』といい、 商店街のメイン通りから、細い横道に入ったところにある。 五年前に、亡くなった祖父から、譲り受けた小さな店だ。 祖父が、主人だったころは、時計店だけだったが、 三年前からは、店内の一部を改装して、カフェを併設している。    奥に長い店の、出入り口に近いほうにカウンターがあり、 そこに五席しかない、小さなカフェだ。  店の奥には、時計店のお客様のために、ソファーとローテーブルが置かれ。 ローテーブルの上に腕時計が数本ディスプレイされている。 ソファーの横には、作業用の机とライト、部品用のチェストや棚が、 作業机をぐるっと囲んでいる。 壁には、アンティークの掛け時計が、ずらりとならび、 古い時計店らしい、歴史を感じる。  圭佑は、駅から預かってきた、あの柱時計を、店に運び入れると 車を、近くの駐車場に移動した。  圭佑が、店に戻ると、隣の画廊の女主人 麻積三和子(あさづみみわこ)が 柱時計の前に、腕組みをして立っていた 「三和子さんいらっしゃい」 圭佑は【close】の看板をひっくり返して【open】にしながら声をかけた 「この時計、駅のだろう」 「はい、そうです」 「大丈夫かいこんなもの預かってきて」 「時計を直すのが、俺の仕事ですから」 圭佑は、何気ない事のように言った。    コートを脱いで、カウンターに入ると、手を洗って、カフェエプロンをかけた。 三和子は首を振って、カウンターの椅子に座った 「ご心配をおかけして、すみません」 圭佑は三和子に頭を下げると、コーヒーを入れる、準備を始めた。  ケトルを火にかけると、コーヒー豆を一杯分ミルに入れ挽き始めた、 一杯分ずつ豆を挽いて、ゆっくりドリップする、それがこの店のスタイルだ。 「気の進まない仕事を断るのも、仕事だよ」 「はい、…でもこの時計好きなんです、直してあげたいんです」 圭佑は、三和子の方を見ないで言った。  三和子と目が合ってしまったら、もう彼女に逆らえないことを 知っているからだ。  圭佑にとって、この駅の時計は、つらい思い出の一部だった。 圭佑がまだ子供のころ、父と離婚して、町を出て行った母と、わけもわからず別れた場所が、丁度この時計の前だった。   別れ際母は、圭佑を抱きしめ「いい子でいるのよ」っと言って頭をなでた 母は、少し出かけるだけで、すぐに帰ってくると思っていた圭佑は、 改札を抜けていくその後ろ姿に、いつもとは違う何かを感じて、その場を離れられなくなった。  どれぐらい時間がたっただろう、夕焼けのオレンジ色の光が、足元まで長く差し込んできた時、肩を誰かにつかまれた。 振り向くと、悲しそうな顔の祖父が立っていた。 「お母さんが返ってくるの待ってるの」 そう言った圭佑を、祖父は優しく抱きしめた、 祖父が泣いていることに、その時の圭佑は気付かなかった。  突然いなくなった、圭佑を心配して、三和子や、三和子の夫の(あきら)、商店街の人たちが総出で探してくれていたらしい。 圭佑が見つかったことを、祖父が、探してくれていた人たちに連絡すると、三和子と明が、その場に駆け付け、圭佑を代わる代わる抱きしめてくれた。 とても不思議な出来事で、その時の事を、圭佑は、今でもよく憶えている。
/26ページ

最初のコメントを投稿しよう!