第1章

8/14
180人が本棚に入れています
本棚に追加
/74ページ
 翌日から呉内さんは仕事がはじまったらしく、それ以降、朝からスーツで出勤するところや夜に車で帰ってくるところを何度か見かけることがあった。 「理人くん、おはよう。これから大学?」 「おはようございます。はい、今日は一限からなので」 「よかったら送って行くよ」  エントランスで偶然会ったときは、ときどきこうして大学まで送ってもらう。時間が経つうちに夢のことも思い出さなくなり、呉内さんと一緒にいても変に意識することはなくなった。 「すみません、たびたび送っていただいて」 「気にしないで。家でいつも一人だからさ、こうやって少しでも誰かと話すと楽しくて」 「ありがとうございます。それじゃあ」 「うん、またね」  車の乗り降りの際、ドアの開閉はたいてい呉内さんがやってくれるので、大学につくと女の子からの視線がすごい。そりゃ、スーツを着たイケメンが車から降りて来てたら誰だって二度見するよな。  中には声をかけてくる女の子もいるので、申し訳なさもありつつ、それでも呉内さんと話すのは楽しいので、送ってもらうのを断るつもりはなかった。  その週の土曜日の夜は、予定通り合コンに参加した。約束の十分前に俺と近野と柴本と他学科の相模の四人で小綺麗な居酒屋に行き、相手の女の子が来るのを待っていた。 「しっかし近野、お前よく聖女との合コン取り付けたよな」 「いやー、さすがだわ。無理だろ、普通」 「すべての男子の憧れだよな! 聖女!」 「とにかく理人は静かにしとけよ。お前が喋るとまじで全員持ってかれるんだから」 「あのなぁ、いくらなんでも全員はないから」  とりあえず一人でもいいからいい子がいれば、その子と連絡先を交換しよう。それくらいの軽い気持ちで女の子たちが来るのを待っていた。 店に到着してから十分後、予定通り聖洋大学の女子四人が居酒屋に入って来た。  鎖骨のあたりまである真っ黒な髪に、化粧気のない清楚な雰囲気の女の子と、ショートヘアのモデル並みに顔が小さく背の高い女の子、茶髪を団子ヘアにしたアイドルみたいな顔の女の子、そしてきれいに髪の毛にパーマを当てた外国人のような彫りの深い顔立ちの女の子。 四人とも顔の系統は違うものの、いわゆる美人に分類されるタイプで、近野たちのテンションが一気に上がっていた。 「はじめまして! あ、俺は幹事の近野です! とりあえずみんなこっち座って」  全員が席に着いたところで各々ドリンクを注文し、自己紹介をすることになった。  三十分ほどかかってようやく自己紹介を終え、適当に料理を注文し自己紹介のときに話していた趣味や特技、大学で専攻している科目について当たり障りのない話をはじめた。 「ねえ、ねえ、八月一日くんって本当に彼女いないの?」 「俺? いないない。いたら合コン来ないって」 「ええ! 嘘ー? だってめっちゃかっこいし、モテそうなのに」  黒髪の女の子の甲高い声が耳につく。おまけに背が低い訳でもないのに、喋るときは必ず上目遣いでこちらを見てくる。こういうタイプは苦手だ。付き合うと絶対に面倒なことになる。   その次に話しかけてきたのは茶髪のアイドルみたいな顔の女の子だった。茶髪の子はとにかくよく喋るが、俺は近野に言われた通りできる限り喋らないようにして、話を聞く側に徹することした。  それぞれの話を聞く限り、俺としてはショートヘアの女の子が好みだったが、だからかといって付き合いたいとか好きだという気持ちはあまりなかった。まだ会ったばかりだし何度かデートすれば気持ちも変わるだろう。 「ねえ、八月一日くん、連絡先教えてよ」 「あ、私も私もー!」  二時間ほど酒を飲みながらだらだらと話をしているうちに連絡先を聞かれた。久しぶりの合コンというのもあって、自分でもあまり考えずにお酒を何杯も注文してしまい、頭がぼうっとして全員と連絡先を交換してしまった。 必要なければあとで消せばいいか。それくらいの軽い気持ちだった。  そのあと二次会がどうとか話しながら居酒屋を出た。 ……というところまでは覚えている。だが、そのあとのことがまったくわからない。あのあと俺、どうしたんだっけ。  自分の部屋のベッドの上で天井を見つめたまま、昨日のことをできる限り思い出してみたが、居酒屋で連絡先を交換したあと何をしていたのか、どうやって自分の部屋に帰って来たのかわからない。  記憶がなくなるほど飲んだのははじめてだった。何度思い出そうとしても、出てくるのはさっき思い出した場面ばかりで、それ以降のことが何も出てこない。 さすがにこれはよくない。とにかくベッドから降りてシャワーを浴び、自分のスマホを確認した。 合コンに参加した四人の女の子から連絡が来ていた。今度食事に行こうとか、暇なときに電話してほしいなど大した要件ではなかったので、とりあえずあとで返事をしようと思いスマホを閉じた。  それにしても合コンに参加しておいて、一人も女の子を連れて帰らなかったのはどうしてだろう。てっきり誰か連れて帰って来て、朝早くにその子が一人で帰って行ったのかと思ったが、隣に誰かが寝ていたような形跡はない。 合コンに参加していた四人はそれぞれ特徴的な匂いの香水をつけていたが、シーツや布団にその匂いは残っていなかったし、スマホに届いていたチャットにもそれらしいメッセージはなかった。 記憶がないので理由はわからなかいが、どうやら本当に俺は合コンに参加しておきながら誰も連れて帰らなかったらしい。  彼女をつくる気があるのか。自分でも不思議なことだ。これじゃあ、合コンに参加した意味がまるでない。ただ酒を飲んで帰ってきただけだ。  いや、きっと誰も連れて帰らなかったのは、自分なりに理由があったのだろう。話しているうちに誰とも気が合わないと思ったか、面倒くさそうに見えたとかそんなこところだろう。 聖洋大学の女の子と合コンなんて次いつできるかわからないが、気が合わなかったなら仕方ない。無理して付き合ったところで面倒ごとが増えるだけだ。 無理やり自分にそう言い聞かせて、お腹が空いていることに気がついた。そういえばまだ呉内さんからもらったカレーが残っていたはずだ。冷凍しているものの早めに食べるに越したことはない。容器も返さないといけないし。  さっそくキッチンに行き冷凍庫から残りのカレーを取り出し、電子レンジで解凍する。 昨日の合コンについては気になるが、思い出せないものは仕方ない。どうせ近野のことだから、またそのうち合コンを開くに決まっている。そのときに声をかければいいだろう。 解凍したカレーを茹でたうどんに掛ける。これでカレーは使い切ってしまったので、今日は呉内さんに容器を返しに行ったあと、コンビニかスーパーで適当に惣菜かインスタントラーメンを買いに行こう。 ときどき一緒に夜ご飯を食べる約束をしたものの、さすがにこちらから言うのは気が引けるので、誘われない限りは自宅で味気ないご飯を食べるしかない。 まあ、恋人でもあるまいし、ときどきと言っても月に一回あるかないかくらいだろう。 食事のあとカレーの容器を洗って、家にあった小さなビニール袋に入れる。社会人といえど、今日は日曜日なので家にいる可能性は高い。 さすがにどの時間帯に家にいるかまではわからないので、とりあえず今から一度行ってみて、もし不在だったら夕方にでも行くとしよう。適当なTシャツに着替え、ジーパンを履いて部屋を出た。 いつもうまいタイミングで鉢合わせするので、今日もすんなり会えるだろうと思っていたが、七階に行って突き当たりの部屋に行くまでの間に、呉内さんと会うことはなかった。 突き当たりの部屋のインターフォンを押したが、一分経っても誰も出てこない。こういうこともあるだろうと思いつつ、念のためにもう一度インターフォンを押したがやはり誰も出てこなかった。 出かけているのかもしれないし、もしかすると昼寝をしているのかもしれない。夕方にもう一度行くと決めて部屋に戻った。
/74ページ

最初のコメントを投稿しよう!