一章 幼馴染との再会

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一章 幼馴染との再会

「友達や家族の名前を刻んだ装飾品を持っていると、その人とつながっていられるの。いつまでも一緒にいられるんだって」  セレナ・エスランは得意満面の顔で緑の瞳を輝かせて、友達の少年――テオに仕入れたばかりの話を披露した。  場所は魔術師の子供に勉強を教えるための私塾で、二人は隅のほうの席に並んで座り、ひそひそと話をしていた。授業がはじまるまでにまだ時間があり、教室に来ている子供の人数はまばらだった。  二人は今年で八歳になり、同じ私塾に通い出してそろそろ一年になる。この一年でテオとはすっかり打ち解けて親しくなれた、とセレナは感じていた。  テオドール・カナートという少年は、他人とかかわるのが苦手そうな大人しい子だが、セレナにだけは優しく穏やかな顔を見せてくれるようになった。  自分にだけは特別な姿を見せてくれるようで、嬉しかった。  それにテオは色素が薄く、亜麻色の髪も紫の瞳も綺麗だ。動く人形のようね、と褒めてあげたら渋い顔をされたけれど。  テオはセレナの話を聞いて、疑問点を挙げた。 「別れることになったら?」 「また逢えるおまじないになるわ」  そこまで含めて素敵な話だ。しかしうっとりしてばかりもいられない。今日は話を披露したいだけではなく、渡したいものがあったのだから。  授業開始までまだ時間はある。他の子供をからかってくるような塾生はまだ来ていない。いまがいい機会だ。むしろいまを逃したら、たまたま二人が早めに席についている日は次はいつになるだろう。  セレナは鞄から、思い切って小さな包みを取り出した。 「だから、これ見て」  顔が赤くなるのを無視して、握り締めた包みを二人の間の長机の上に置いた。 「家で装飾品を作る練習をしたの。そのときにいくつか余分に作ってみて、わたしたちの名前を入れてみたわ」  包みをほどくと、銀の板に鎖を通したペンダントが二つ、姿を現した。ペンダントトップにはそれぞれ二人の名前が彫られている。  職人が作ったものに比べたら稚拙なものだが、頑張って作ったものだった。 「余分にって、家族にはバレてると思うよ……」  銀細工を作る材料はそれなりに高価だ。怒られはしなかったが、バレているなら親にどう思われているのか冷やりとした。 「そ、そうかしら。まあいいわ。わたしの名前を彫ったほう、あげる。持っていてくれると嬉しいわ」  自分の分は手元に引き寄せ、もう一つのペンダントを包み直して、テオに差し出した。  テオは紫の瞳を見開いた。驚かれただけだろうか、と思った直後に、目が細められた。 「……ありがとう」  柔らかな微笑がとても嬉しそうに見えて、さっきまでの照れくささが吹き飛んだ。あげてよかった、と思った。  包みを握り締め、テオはなにかを決心したように頷いて、口を開いた。 「今度お返しをするから」 「本当? 作ってくれるの?」  彼も魔術師の家の子供だ。十六歳になる年になったら魔術学院に入るため、大人になったら立派な魔術師になるため、いまは様々なことを吸収している最中だろう。  魔術道具の装飾品は、魔術の威力を上げるのに使われたり、耐性強化や防御などの補助的な役割のために身に着けられる。一人前の魔術師なら自作できるに越したことはない。  しかし以前私塾で粘土細工の授業があったとき、テオはとてつもない不器用さを発揮していたから、細かい装飾品を作れるだろうか。一抹の不安が過ぎった。  案の定、テオは考え込んでから、自信なさそうな答えを述べた。 「作れるかは……どうだろう」  困った様子が可愛くて、セレナは波打つ黒髪を揺らしてくすくすと笑った。そしてテオの名前を刻んだペンダントを手にして指を組み合わせる。 「お祈りをしましょう。ずっと一緒にいられますように」 「……うん。約束」  テオも包みを手にして指を組み、目を閉じた。  魔術師見習いの子供が作った装飾品に、古くから語り継がれているような力が宿るはずはなかったけれど。  幼い子供たちは、心からの願いを込めて祈った。  二人がともにある未来を。  夏が終わり九月になり、レヴィナス魔術学院の入学式の日。真新しい制服とローブに身を包んだ新入生の中に、セレナはいた。  故郷の街から離れた地にある学院で、新生活がはじまる期待と不安の中、セレナは新入生の他のクラスの集団の中に見覚えがある顔を見つけた。 「……テオ」  思わず名前が口をついて出た。  亜麻色の髪に紫の瞳。魔術学院のローブと制服を規則通りに着用している。子供の頃の姿から数年分年を重ねているが、入学式の会場である講堂にいたのは、何年も会っていなかった幼馴染の少年に間違いなかった。  入学式と初日の授業が終わった後、セレナはテオのクラスに急いだ。しかしざわめきに満ちて新入生同士が交流を図ろうとしている教室に、彼の姿はなかった。 「テオドール? ってああ、例の……ここにいないってことは帰ったんじゃないか?」  そのクラスの生徒に訊いてみると、そうした返事をされた。  この学院は全寮制で、男子寮と女子寮は校舎からしばらく歩いた場所にある敷地に隣り合って建っている。新入生は遅くても前日には入寮して荷物を運び入れていて、寮の場所ならわかっていた。  いますぐ追いかければ、男子寮に入る前に追いつくだろう。そう思い、セレナは校舎をあとにした。  入学式の後は連絡事項と生徒の自己紹介だけで、午前中で授業は終わりだ。だが教室に残って何人かで集まったり、食堂で昼食を食べながら話をしたり、学院の中を見て回ったりする者が大多数で、授業が終わったからといって即、寮に帰る者はごくわずかだった。  見かける生徒がまばらな中、セレナは寮への道を急いだ。  やがて、亜麻色の髪の後ろ姿が見えた。襟足を伸ばしていて、黒いリボンで結っている。魔術師は髪に魔力が宿ると言われているから、魔術師は男女問わず長髪の者が多かった。 「いた……テオ!」  視線の先の少年が振り返った。  元々色素が薄くて人形染みた外見の子供だと思っていたが、十六歳になったテオは整った容姿の少年に成長していた。表情の変化が乏しく、前髪とサイドの髪が顔を隠し気味なのが勿体ないほどに。  テオの近くに駆け寄り、セレナは息を整えながら顔を上げた。 「久しぶりね」  伏せがちの瞳が一瞬目の前の人物をとらえ、わずかに逸らされた。 「いきなりいなくなって、行き先もわからなくて手紙も出せなかったけど。これからは同じ学院にいるのよね。なんにせよ、再会できて嬉しいわ」  返事はなかった。 「……もしかしてわたしのこと、憶えてない? セレナ・エスランよ。子供の頃に同じ私塾に通っていて、よく一緒に遊んだ――」 「そうか」  声変わりした低い声は、知らない人の声のようだった。 「それで話は終わりか?」  無表情のまま、冷たい言葉をかけられた。大した用事もないなら話しかけるな、とでもいうような。  テオと再会したら言いたいことが沢山あったはずなのに、咄嗟に返事が出て来なかった。  それをもう用はないと取ったのか、テオは踵を返した。 「じゃあ、寮に帰ってからやることがあるから」  そのまま寮に向かって歩き出すテオを、呼び止めることができなかった。  テオと親しかった頃のことを思い出した。テオとは魔術師の子供に勉強を教える私塾で出会った。会った当初のテオは他の子供と交流することなく、いつも一人でいた。  子供は簡単に異分子を排除しようとする。年上の男の子たちに絡まれているのを、何度も助けてあげた。  近所に住むテオとともに遊びまわった。ずっと一緒にいようねと約束したのに、ある日突然、テオはいなくなってしまった。  その理由を聞きたかった。また会えたのだから、離れていた頃の時間を埋めたかった。  それなのに、テオは幼馴染のことなどどうでもよさそうな素っ気ない態度で歩き去ってしまった。名前も呼んでくれなかった。  ――セレナ。  どこか気恥ずかしそうにそう呼ぶ様子が、好きだったのに。 「ねえ、ペンダントつけてくれないの?」 「汚したりなくしたりしたくないから、服の下につけてる」 「大事にしてくれてるのね」 「……うん」  目を細めて嬉しそうに頷くテオの姿が、薄れていく。  子供の頃の夢を見て、セレナは目が覚めた。カーテンから朝日が差し込んで、室内を照らし出す。  ここは慣れ親しんだ家の自室ではなく、入寮して日が浅い寮の部屋だ。最初から机とベッドとクローゼットが設置されていて、家具を持ち込まなくても学用品と着替えさえあればひとまず生活できるようになっている。必要最低限のもので構成された、画一的な部屋だ。  しかしこの部屋も、一ヶ月、半年と過ごして好みの内装に変えていけば、自分の居場所になっていくことだろう。  そうだ。一度声をかけて邪険にされたくらいで諦めてどうする。あのときは本当に用事があって急いでいたのかもしれない。  話をすればわかり合えるはず。そう思い、セレナは気合を入れて身支度をした。子供の頃より長く伸ばした波打つ黒髪が、寮に持ってきた鏡の中で揺れた。 「テオ。放課後、学院を見て回らない?」 「学院長に呼ばれているから」 「そちらのクラスは授業でなにをやったの?」 「他の生徒に訊いてくれ」 「一緒に昼食を食べましょう」 「遠慮する」  しばらくテオに声をかけ続け、そのたびに避けられているような反応をされた。それでも諦めることなく幼馴染の様子を窺い、現状を確認した。  そもそもテオは学院の生徒とかかわることなく、いつも一人でいた。クラスの誰かと親しくしている様子はなく、男子に話を聞いた限りでは寮でも同様らしい。  用があればテオから話しかけてくることもあるし、級友が声をかけたら対応する。会話がまったく成立しないわけではない。だがそれ以外は基本的に単独行動をしていて、級友も彼を遠巻きにしていた。  たまにテオに声をかけてくる別のクラスの小柄な少年がいた。他人に壁があるテオに物怖じせず近づくのは、その少年くらいのようだった。  テオはその少年に対しても素っ気ない対応だったが、少年は慣れた調子で受け答えをしていた。学院に入る前からの知り合いなのだろうか。少なくとも用もないのに話しかけるな、とは言われていないようで、羨ましかった。  いや、セレナも直接そう言われたわけではないが。あそこまで壁がある態度では、用がない限りかかわるなと言っているようなものではないか。  九月下旬になり、学院での生活にも慣れてきた頃の休み時間に、セレナはテオを見かけて声をかけた。 「ねえ、どうしてわたしと話をしてくれないの?」  しつこく食い下がっていると、冷めた視線を向けられた。 「君とかかわる気はない」 「で、でも、幼馴染だし、同じ学院の生徒なのだから――」 「子供の頃とは違うんだ」  その言葉は鋭利な刃のように、心を抉った。気がついたときには、早足でテオの前から立ち去っていた。  テオは子供の頃に両親が亡くなり、住んでいた街から姿を消した。私塾の先生も詳しい事情を知らないようだったが、遠方の親戚に引き取られたのでは、と噂されていた。  その後、このレヴィナス魔術学院の学院長、グェンダル・レヴィナスに魔術の才能を見出され、養子になったらしい。  学院長に認められるほどの才能なら、かなりのものなのだろう。他の生徒からも一目置かれていて、協調性が皆無でも排除されることはない。他人とまともに交流しなくても、見下されることはない。  子供の頃とは違う。幼かった子供は立派に成長し、学院長の養子になったのだから苗字も変わった。そして多分、並の魔術師にはない力を持っている。  ――魔術学院に入学したものの、授業についていくだけで精一杯のわたしとも、まるで違う。  子供の頃は親しかった幼馴染に、断絶を感じた。  ふと、子供の頃のことを思い出した。  ――ついて来るなよ。  ――普通の魔術師の家の子と仲良くする気はないから。  子供の頃は優しくて穏やかで無邪気な面もあったと思ったが――テオと知り会った当初は、いまと大差ない素っ気なさではなかったか。  そしていまと同じように他の子供とかかわることなく、暗い瞳をしていたような気がした。  ◆  それから数日経過したが、あれ以上テオにかかわっていって、当たって砕ける気にもなれずにいた。  九月も今日で終わり、明日から十月だ。入学から一ヶ月経過しようとしている日の放課後、セレナは屋外の階段の踊り場でぼんやりとペンダントを眺めていた。  こんなものを持っていても、もう意味はないのだろうか。会いたいと思っていた相手からは避けられている。子供の頃にかけた願いは無駄になったのだろうか。  テオの名前を刻んだペンダントを所持しているから、いつまでも未練が消えないのかもしれない。持ち歩くのはやめようか。いっそ捨ててしまったほうが――。  そんなとき、急ぎ足で階段を駆け上がって来る生徒の腕が、ペンダントを持つセレナの背中にぶつかった。 「えっ……」  踊り場の手すりの上にあった手をつい離してしまい、ペンダントは階段の下に落ちていった。 「あ、悪い……」  謝罪の言葉を背中で聞きながら、セレナは急いで階段を駆け下りた。反射的な行動だったが、捨ててしまおうかと思ったからといって、いますぐ捨てようとしたわけではなかった。  ――まだ待って。迷っているときに手放してしまったら後悔する……!  ペンダントを回収しなければ。焦りとともに、そう強く思った。  だが落とした地点には上級生らしき長身の男子生徒がいて、ペンダントを拾い上げていた。 「テオ……ドール? これは」 「それ、わたしのです。拾ってくれてありが……」  セレナのほうを向いた金色の瞳と目が合った。  長い銀髪を片側で一つにまとめ、身体の前に流している。テオが人形だとするなら彼はよくできた彫刻のような彫りの深い容貌で、均整の取れた体格を持ち合わせた、外見に恵まれた少年のようだった。  拾ってくれたのなら返してくれるだろうと期待して、息を整えつつセレナは手を差し出した。だが返されたのはペンダントではなく、疑問の言葉だった。 「お前はテオドール・レヴィナスの知り合いか? 名前を彫った装飾品を持っているなら、恋人か」 「ち、違います!」  慌てて否定した。あれだけ邪険にされているのを見ていたら、そんな勘違いなど起きないだろうに。 「わたしは一年のセレナ・エスランといいます。テオ……テオドールの幼馴染です。そのペンダントは、昔作ったもので」 「ふむ」  彼はしばし考える素振りを見せてから、さもいいことを思いついたと言わんばかりに宣言した。 「ならば決闘だ。私と戦って勝てたら返してやるし、勝者の命令を一つだけ聞いてやろう」 「なんでそうなるんですか!?」 「あやつ本人に決闘を申し込んだら断られたからだ!」 「わたしだって断りますよ! あなた、確か……」  入学式に壇上から挨拶をしていた、一年上の先輩。生徒会に所属する、家柄実力ともに申し分ない人物。  ハインリヒ・レヴィナスという少年は、魔術学院の創始者の子孫であり、名門レヴィナスの一族の本家の令息だった。 「そう、学院長のお孫さんですよね」 「よりによってその言葉で私を定義するか!」  強気に笑っていたかと思えば、眉をつり上げて怒りの形相になった。喜怒哀楽が激しい人のようだ。テオが無表情や口数の少なさも含めて人形のような印象なのに対して、ハインリヒは肌が日に焼けていて、言動も態度も生気に満ち溢れていた。 「ああ、いえ、とにかく文武両道で、魔術も剣技も優れているという噂は聞いています。そんなすごい方に、わたしのような並の一年が勝てるはずがないでしょう」  この場を切り抜けられるならなんでもいいとばかりに、必死に愛想笑いを浮かべてセレナはそうまくし立てた。  しかし――並。並だろうか。むしろ落ちこぼれな気がする。  子供の頃のセレナは、将来魔術師になるのだと信じていた。長子なのだし、家を継ぐものだと思っていた。  だけどここ数年で気づいてしまった。弟妹のほうが魔術の才能がある。周囲の人々もそう言っている。  魔術師の家は長子相続ではなく、魔術の才能がもっとも優れている者が継ぐ。  自分は駄目なのかもしれない。レヴィナス魔術学院に入学はできたが、立派な魔術師になどなれないのかもしれない。両親の期待を裏切るかもしれない。弟妹に軽蔑されるかもしれない。  ――だったらわたしは、なんのために魔術師の家に生まれてきたの。  そうした想いが何度も去来した。子供の頃に存在していた万能感も自信も、ここ数年ではどこかに行ってしまっていた。  だからハインリヒ相手に勝てるはずがない。決闘なんて真っ平だと思っているのに、ハインリヒは強引に話を進めていった。 「女子生徒と剣で対決する気などないし、魔術で勝敗を決めずともいいだろう。勝負方法はそちらが決めてよいぞ」 「えっ……」 「チェスでもカードゲームでも、楽器演奏でもダンスでも、なにかを作って審査してもらうのでも、なんでもいいぞ。得意なものを選ぶといい」  一瞬、それなら勝てるのだろうか、と思ってしまった。だがハインリヒは文武両道なだけでなく、貴族や魔術師の教養とされているものはなんでもそつなくこなしそうだ。  そしてなんでもいいと言ったからには、どんな種目で勝負することになっても勝てる自信があるのだろう。 「……ちなみにハインリヒ先輩が勝ったら、わたしになにを命令するんですか?」 「そうだな。私のものになれ」 「はあ!?」 「なんと、喜ばぬのか」  本気で驚かれてしまった。  そういえばハインリヒは学院で女子に人気があって、毎日黄色い歓声を浴びていた。美形で異性に好意を持たれるのが当然な人間は、強引な口説き文句で女子は落ちるものだと思っているらしい。……成績優秀なはずなのに、微妙に残念な思考回路なのは気のせいだろうか。 「まあよい。負ければ困った状況に置かれるとあれば、やる気にもなるだろう」 「あ、あのですね……」 「私はあやつが気に食わん。テオドールの幼馴染を我が物にしたならば、あの少年はどんな顔をすることだろう」  完全にとばっちりだ。  ああ、でもそうか。気に食わないときたか。  レヴィナス本家の子息なら、祖父である学院長が養子を取ったのならそれは気になるだろう。跡継ぎの座が揺らぐくらいなら、いまのうちに叩きのめしておきたくもなるだろう。  だからテオに決闘を申し込んで断られて、セレナがテオの幼馴染だと知ると決闘の相手に指名した。レヴィナス家の事情に巻き込まれた形だ。そこまでは理解した。 「……いや、そうは言ってもですね。わたしは現在、テオとは友達ですらありませんよ。わたしがハインリヒ先輩のものになったところで、彼は痛くもかゆくもないと思いますが」 「幼馴染というのは結婚の約束をしているものだろう?」 「ロマンス小説お好きなんですか!?」 「うむ。最近幼馴染ものを立て続けに読んだな!」 「そうですか、とにかくそんな甘酸っぱい関係じゃありません!」  確かに子供の頃は仲が良かったが。異性の中では一番親しかったが。友達として大切で、大好きだったが。  たまにどきっとするようなことがあったとしても、それは恋に恋していたようなものだ。  容姿が整っていて、物静かで同年代の男の子よりも落ち着いているように見えた子が、自分にだけ打ち解けた様子を見せてくれた。万能感に満ち溢れていた少女が特別感に浸るには十分な相手だった。  それに――本当に恋していたというなら、再会してからつれなくされている現状が、さらに辛くなる。 「決闘を受けないのなら、これは返さぬが」  ペンダントを見せつけるように掲げ、ハインリヒはそう言った。  ぎり、とセレナは奥歯を噛み締める。  別にそのペンダントは、テオにもらったものではない。子供の頃のセレナが作っただけのもので、魔術道具としての効用だってない。  ただ、テオにあげたペンダントとお揃いで、あのとき一緒に願いをかけたものだというだけで――。  でもこれがなくなったら、テオとのつながりがさらに薄れてしまう気がした。 「今日中に返事をくれぬのなら、どことも知れぬ場所に捨てて――」 「やります。受けましょう、決闘」  売り言葉に買い言葉で、その場の勢いで――そう返事をしてしまっていた。  ――セレナって見た目は清楚なのに、中身は猪突猛進。  子供の頃、テオにそう評されたことを、ふと思い出した。  翌日の昼休み。食堂の隅で昼食をとりながら、セレナは悩んでいた。 「――どうしよう、決闘なんて……」  昨日の今日で既に後悔していた。自信も策もなにもない。それなのに今日の放課後には勝負方法を決めて来いと言われている。伝えに来なかったらその時点で不戦敗だとも。  決闘を挑まれた噂は、既に学院に広まってしまっている。  男子生徒から「決闘で負けたら先輩の愛人になるのか?」とか言われたときは、殴りたくなった。  噂に尾ひれがつき、 「セレナがハインリヒ先輩に付き合ってもらいたいから決闘を申し込んだのよね」 「本来ならどうやっても釣り合わないからってそんな手を」  と解釈している女子生徒もいて、ハインリヒに熱を上げている方々から睨まれている。  教室で席が近くて話をするようになった級友や、寮で近くの部屋の寮生が、こぞって余所余所しくなったのがとても辛い。上級生に悪い意味で名前を憶えられたかと思うと泣けてくる。 「セレナも大変ね」  昼食が載ったトレイを手にした級友のブランシュ・マーニュがセレナのテーブル近くを通りかかり、そう声をかけてきた。金茶の髪を結い上げた、優雅な所作の少女だ。 「そう思う? ブランシュはわたしの味方よね?」 「ええ。影ながら応援しているわ。では、私は先輩のお姉様と約束があるので」  食堂で行き会っても、このつれない態度。  魔術を学ぶためというよりも、魔術師同士の人脈を広げるために学院に入学したと公言しているブランシュは、時折友達甲斐がない態度を見せるのが玉に瑕だった。  話の中でセレナの名を呼ばれたからか、周囲のテーブルについていた生徒がちらちらとセレナのほうを見た。小声でなにか言っているのが途切れがちに聞こえる。ほら、あいつ。身の程知らずだな。ハインリヒ先輩もどうしてあんな娘に。  針のむしろに座っている気分だ。なぜこうなるのだろう。みんな人気と実力と権力がある者の味方か。  ペンダントの一つくらい、諦めたらよかったのだろうか。ふと頭を過ぎった仮定に、セレナは慌てて首を振った。
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