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侵入者
「本当だ、この目で見たんだ!」
驢馬の取り巻きの男が、何かを必死に訴えていた。それを皆が馬鹿にするような、怪訝な目で見ている。
「どうしたんだ?」
「お、おかえり、ヘビ」
フクロウが、中心で手を上げた。
「どこ行ってたの? 大丈夫?」
ラブの元へ、アダムが駆け寄ってきた。
「外で……ヘビと驢馬の手がかりを探してたの」
「アダム、皆集まって、どうしたの? 何があったの?」
「見たんだって」
「何を?」
――驢馬を。そう言って、アダムは、笑った。
「驢馬を探して、結構遠くまで歩いたら、丘の向こうに驢馬立ってたんだ!」
男は、恐ろしいものを見たかのように、震えていた。
「そんな訳ないだろう、だって驢馬は、生きていると思えない怪我だ。もし、奇跡的に生きていても立てない」
フクロウが、男をあやすように肩を叩いた。
「でも、間違いない。驢馬だった。怪我一つしてなかったんだよ!」
「じゃあ、なぜ一緒に戻って来なかった」
土竜が聞いた。
「お、俺も呼んだんです。無事だったんだな、コッチに来いよって……でも、驢馬、目つきがおかしくて、表情もなくて、こっちの声も聞こえてるのか……直ぐに何処かに消えちまって」
「つ、疲れていたんじゃないですか! 生きているはずない、ってハジメも言ってたじゃないですか」
鳩は、落ち着きなく大きな体を、動かしていた。ヘビの厳しい視線が、鳩に注がれる。
「そんなの、てめぇに言われなくても、分かってる!」
男の足が、鳩を蹴りつけ、フクロウとヘビが止めに入った。
「一つ聞きたいが」
ヘビが、男に向き合った。
「お前が見た驢馬は、腕輪をしていたか?」
「腕輪? どうだったかな……」
男は首をかしげ、たっぷり考えたあと、してなかったと答えた。
「そうか」
ヘビが、驢馬の腕輪を取り出した。
「さっき、荒野の先の林で見つけた、驢馬の腕輪だ」
ヘビが、鳩を見ると、鳩は目を見開いて、隠れるように体を小さくした。
「なぜ、生きているなら帰ってこない。なぜ腕輪を外した、あの怪我の映像は何だったんだ? もはや、誰の何を信じて良いか分からないな」
土竜が、聴衆に同意を求めるように苦笑した。
「ホントだよ! 結局あの子は生きてるのか? 死んだのか、殺されたのか、どうなってんだよ!」
キボコが、怒りを含んだ悲痛な声で叫んだ。
『あの映像は、本物です。あの怪我と、予想される出血量では、驢馬の生存の可能性はありません』
「俺は、本当に見たって言ってんだろうが! このクソ機械が!」
「きゃあ」
カッとなった男が、近くの女の手にしていた本を掴んで、天井に投げつけた。
ライトが割れ、破片が飛び散った。
「……」
ラブの頭上は、ヘビのコートと、アダムの腕に守られた。
「俺は、このコロニーに不信感を抱いている。丁度良い。驢馬が外に居るかもしれないなら、俺は外で暮らす。驢馬は、コロニーの誰かに暴行されて、怖くて戻れないのかもしれないしな。アイツは、威張っているが気の弱い小心者だ」
土竜が言った。
「アタシも、行くよ」
キボコが手を上げると、稲子も頷いた。土竜の取り巻きと、驢馬の取り巻きも、次々と手を上げた。その数は、十三人に及んだ。
「おーい、待て、待て。驢馬は、獣に襲われて死んだかもしれないんだぞ」
フクロウが、驚いたように両手を挙げた。
「アダム達のコロニー付近には、獣も出ないんだろう。生活基盤もあると聞いた。俺達は、これを期に移住する」
「正気で言っているのか? アダム、まさか受け入れるのか?」
ヘビが、アダムを睨むように視線を送った。
「えー、別に歓迎しないけど、拒否もしないかな。僕とラブの邪魔にならなければ、別に良いよ。まぁ、ちょっとは何かの役にたってくれそうだし」
アダムは、ラブにガラス片が付いていないか確認しながら、興味なさそうに答えた。
「……アダム」
ラブには、こんな形で、彼らが外で暮らすことが良い事だと思えなかった。土竜が、驢馬の事を想って言っているように思えない。何か、嫌な予感がして仕方なかった。
「許可できない」
「此処を出るのに、お前の許可が必要か?」
土竜は、ヘビを煽るように顔を近づけた。
「今度は外で問題を起こすつもりか? アダム、お前も考え直せ」
ヘビの意見に賛成するラブは、アダムの腕を引いて真剣に見つめた。
「俺も、俺も行く!」
バンビが、大人を掻き分けて、アダムの前にやって来た。
「驢馬が生きてるかもしれないなら……母さんも生きていても不思議じゃないだろう! 俺も外の世界で暮らす!」
「えー」
アダムは、面倒くさそうに頭を掻いた。
「バンビ、貴方のお母さんは、もう……」
クイナが、バンビに手を伸ばしたが、その手ははたき落とされた。
「皆、まずは驢馬の事から解決しないか? それから、もし移住したいという者がいるなら、先行調査するべきだ」
「解決って、探す以外に何があるのよ」
キボコがヘビに顎をしゃくった。
「……驢馬の腕輪には、鳩との通信記録があった」
皆の視線が、鳩に集まった。
鳩は、頭を抱えて、ガタガタと震えている。
「おい、てめぇ。どうゆう事だ!」
男達が勇んで鳩に詰め寄るのを、フクロウとヘビが間に入ってとめた。
「あの夜、何があったのか聞かせてくれ」
ヘビの問いかけに、床に座り込んだ鳩が、口を開き始めた。
「あの夜……驢馬さんは、き、機嫌が悪かったみたいで。憂さ晴らしに俺を外に呼び出しました。いつも通り、殴られて、蹴られながら文句を言われました……でも、その後、疲れた驢馬さんは、俺にさっさと戻れって言って……俺は、それ以降は知りません! 本当です!」
「何で黙っていたの?」
クイナが聞いた。
「それは……流石に馬鹿な俺でも、最後に一緒に居たのがバレたら、疑われるって分かってましたから……言えなかったんです!」
鳩は泣きながら、すみませんでした、と頭を床に擦りつけた。
「結局、何にも分からないじゃない。人なの獣なの」
キボコが、呟いた。
「扉の開閉は、九回。鳩、お前は驢馬と一緒に出たか?」
「いいえ……外に来いと呼び出されて、出たら出入り口で驢馬さんが待ってて、蹴られながら山の茂みの方へ連れて行かれました」
「それなら、あと二回不明な開閉が有る事になるわね」
その二回は、アダムだった。
ラブは、緊張と恐ろしさで、何度も髪に手を当てた。
どうして、言わないの? ラブは、アダムを見やった。アダムは悪びれる様子もなく、普段通り微笑んでラブを見下ろしている。
「もー面倒くさいなぁ、いい加減名乗り出ろよ! 後から自分だったなんて言ったら、犯人にされるぞ」
イラついた稲子が、人々に睨みをきかせた。
「怪我したのが演技で、だから外でピンピンしてるとか?」
アゲハが言った。
「うっせーな、お前は黙ってろよ!」
「君も落ち着いて」
アゲハに噛みつきそうな稲子の前に、イルカが身を乗り出した。
「とりあえず、明日、鳩が驢馬と会った付近を中心に調べてみないか?」
ヘビが提案した。
「まぁ、俺達にも準備が必要だしな」
土竜が言うと、手下たちが「此処で稼いだ金を使い切らないと」と冗談めいて言った。
コロニーを出る気が無い者たちは、眉を顰めている。
「くれぐれも、ルールは守れ」
珍しく、感情を乗せたヘビの物言いに、男達が一瞬、騒ぐのをやめて「わかっているさ」、と誤魔化すように笑った。
皆が落ち着かない空気を纏っていた。
第 章
夜になると、土竜たちは、酒や食糧を大量に用意し、食堂で集まっていた。いつもは、自分達の部屋や、人の目に触れにくい場所で騒ぐのだが、まるでヘビたちに見せつけるようだった。
彼らに関わりたくない者たちは、今後のコロニーの未来に不安を抱きながら、目を逸らし部屋へと戻った。
ヘビやフクロウたちも、最初は彼らを見張っていたが、問題を起こすまでに至らないと判断し、引き上げた。
ラブは、アダムと畑で話をしていた。
「ねぇ、どうして話をしないの? 土竜たちを本当に連れていくの?」
木の根元に寄りかかり、サルーキの耳で遊んでいるアダムに、ラブが近寄った。
「何を話すの?」
「……アダムが、私と外へ出る前に、一回外へ出たでしょ? その時、驢馬は居たの?」
ラブは、疑うような質問をすることに後ろめたさがあり、アダムから目を逸らした。
「どっちだと思う?」
「分かんないから、聞いてるの」
「まぁ、別に僕は殺してないよ、驢馬の事。あの時は、外がもう雨降ってないか確かめに出ただけだよ、ラブが濡れちゃうから、雨なら何か雨よけが必要でしょ?」
「そう……で、土竜たちの事は?」
「僕らの楽園、最終的には、ここのコロニーの人達も一人ずつ招待しようと思ってたんだよ」
「そうなの?」
「うん、だから、ちょっと計画通りじゃないけど、良いかなって。彼ら悪い事、考えてそうだけど、安心して。楽園は、僕らにとって安全な場所だから」
アダムの手がラブに伸ばされた。ラブの体が抱き寄せられて、ポンポンと背中を叩かれた。
安心するはずの、片割れの腕の中なのに、ラブは何だか居心地が悪かった。
それは、今の落ち着かない気分のせいなのか、ラブは深いため息を吐いた。
「今日は、もう戻るね」
ラブは、アダムの胸を押し返し、立ち上がった。
「送っていくよ」
「大丈夫、もう迷ったりしないよ」
「じゃあ、サルーキ、君がラブのナイトになって」
アダムの言葉に、サルーキが真面目な顔で立ち上がった。
ワン、と吠えてラブを振り返り、気取って歩き出した。
「おやすみなさい、アダム」
「うん、おやすみ」
「結局、驢馬が居たのか、答えてないよ……アダム」
ラブは、サルーキと歩きながら、肩を落とした。
(私は、色んな人を疑っている、良くない感情を抱いている……嫌だな、初めてヘビとあったあの日から、時間がたつに連れて、自分が単純じゃなくなっていくのを感じる。あの時は、自分の片割れの男性に会えて良かった、嬉しい、お腹空いたしかなかったのに)
ラブは、ヘビに貰った飴の袋を取り出し、ぎゅっと握りしめた。
すると、サルーキが首を伸ばし、クンクンと袋の匂いを嗅いだ。
「駄目だよ、サルーキ。飴は、きっと食べない方が良いよ」
「ワン!」
ラブの声かけに答えたサルーキが、早足で歩き出した。
「ちょっと、何処行くの? そっちは、居住区じゃないでしょ」
「ワン!」
呼び止めるラブを、サルーキは自信満々の知った顔で振り向き、頷いた。
「何? ま、待ってよ」
勝手に何処かへ向かうサルーキを、ラブが追いかけた。
サルーキは、滝を眺める事が出来る部屋の前で止まった。そして、カリカリとドアを爪で掻いた。
「此処を開けるの?」
ラブは、首を傾げながら、ドアを開いた。
ざーっと水が流れ落ちる音が聞こえてくる。
「誰だ?」
中から、ヘビの声が聞こえてきた。
「ヘビ?」
ラブは、ドアの中を覗き込み、足を踏み入れた。
「お前、何をして……」
ヘビは、はっと鋭い目を見開くと、手すりから離れ、ラブの方に一歩踏み出すと、此処を通さない、とばかりに長い腕を広げた。
「もう」
飛び込んだりしないよ、言いかけてやめた。面白くなって、両腕を構えた。ヘビを掻い潜り手すりに触れる事が出来たら勝ち、そんな気がした。
「たあああ!」
ヘビの脇を通り抜けようと、走り込んでいく。
「何なんだ⁉ どういうつもりだ」
あっさりと捕まり、後ろからホールドされて、手すりから離された。
「あはは、無理だったかぁ。負けちゃった」
ヘビに抱き上げられ、足をブラブラさせながら、ラブは笑った。
「何の勝負だ。意味の分からない事をするな、もう水辺に近づくな」
ヘビの大きな溜め息が、ラブの髪を揺らした。
(駄目だ……本当にもう駄目。ヘビの事が好き)
ラブの顔は、真っ赤で、心臓はドキドキと高鳴った。
「は、離して。もう飛び込んだりしないよ!」
「……本当か?」
「本当だってば!」
ラブの足は地に着いた。
「一人でフラフラ出歩いて何しているんだ?」
「え? 一人じゃないよ、サルーキと……あれ? 居ない」
ラブは、サルーキを探し、キョロキョロと見回したが、サルーキの姿はない。
「気をつけろ、土竜たちは、もう此処に残るつもりはなさそうだ。何をするか分からない」
「うん……ヘビ、大丈夫?」
「何がだ?」
「色々。あのね、えっと」
ラブは、アダムの話をしようと思い、部屋のドアを閉めた。
挙動不審なラブを、ヘビが心配そうに見下ろしている。
「今、話をすることって、ハジメも聞いている?」
「……」
ヘビは、少し考えた様子で動きを止めてから、自分の腕輪とラブの腕輪を弄った。ピピッと電子的な音がした。
「口元を押さえて、小さい声で話せ、認識されない」
ヘビの言葉に、ラブが大きく頷いた。そして、ヘビの事を手招きして、腕を引いて前屈みにさせた。
ヘビの耳に手を当てて、コソコソと話始めた。
「本当は、あの日……私とアダムが外に出る前に、アダムが先に外に出たの。ほんの数分だったけど……アダムは、驢馬を殺したりしてないって言ってるし、やっぱり驢馬は獣に襲われたんじゃない?」
ラブが、ヘビの耳から離れた。
そして、今度は、ラブの腕を引いたヘビがラブの耳元で口を開いた。
「ならば」
「ひいいい」
話を始めた途端に、ラブがくすぐったがって、耳を押さえて離れた。
「……おい」
「だ、だって! くすぐったいし、緊張するし!」
「お前も、同じ事をしただろう」
俺だって耐えていた、ヘビは、そんな目で偉そうにラブを見下ろした。
「むー」
口を噤むラブに、もう一度ヘビが顔を寄せた。
「なぜ、アダムは黙っているんだ? まぁ、アイツなら愉快犯的に口を閉ざしそうな気がしてきた……」
「私も、ちょっと、そう思う。ヘビは、驢馬が生きてると思う?」
ラブは、口元を隠すように俯いて、顔を寄せているヘビの頭に、自分の頭をくっ付けた。
「……AIは、配慮がないし、心もないが嘘はつかない。ハジメが出してきた画像は本物だと思う」
「じゃあ、やっぱり驢馬は、獣にやられて死んじゃったのかなぁ?」
嫌な事をされて、嫌いだったし、許せないと思ったけれど、死んで欲しいとまでは思っていなかった。
「何とも言えない。今、イルカが腕輪を詳しく解析している。音声は録音していないが、位置情報の推移と、生体反応の情報は取り出せるはずだ。何か分かるかもしれない」
「……ごめんね」
「なぜ、謝る?」
「ラブ達が、外で暮らすなんていうから、土竜たちも外に行くって言いだしたんでしょ? それって、ヘビや、此処に残る人にとって、良くないことだよね?」
「良いか、悪いかは、時間が経たなければ分からない。一人の人間としての結果の善し悪しと、全体としての判断はまた別物だ。ただ、対立し分断してしまい、交流がなくなるのは、どちらにとっても利益がない。感情だけで社会を築き維持することは難しい。だから……例え、お前達が外で暮らしても……お互いに助け合う必要がある」
ヘビが天を仰いだ。
「結局は、ハジメの言ったとおりだ」
「ヘビ?」
「正しいのは、いつも機械だ。やはり、俺はハジメに従い、お前は運命とやらに従うのが〝正解〟なんだろう」
ヘビはラブに向き合うと、恐る恐る、手を伸ばした。ラブの頬に、ヘビの荒れた手が添えられた。
触れられるだけで、嬉しくて、切なくて、胸が痛い。感情の高ぶりで、ラブの目が潤む。
「ヘビは、感情だけで言うと、どんな気持ちなの?」
「……」
ラブをジッと見つめ、暫く時を止めたヘビが、操るように自らの口角を上げた。
「言葉にするのは、難しい。ただ、自分が滑稽で可笑しい」
「可笑しい?」
「ああ、黒を白に変える方法がないか、滝が空に昇る方法がないか、馬鹿な事を考える」
ラブは、ヘビの物言いが難しく、何度も首を捻った。
「どういうこと?」
「何でもない」
ヘビは、ラブの腕輪に触れ、また同じ電子音を響かせた。
「部屋に戻るぞ」
「う、うん」
二人が居住区に着いた頃、コロニーが緊急事態を知らせた。鳴り響く警戒音に、ラブは驚いてヘビに飛びつき、人々が何事かと部屋から顔を出した。
「何?」
「ハジメ、何が起きた?」
『獣が侵入しました』
「何故だ⁉」
コロニーの出入り口は、厳重な扉で電子制御されている。獣が入り込むなど、考えられなかった。様子を見に部屋の外へ出た人々に動揺が広がる。今まで、このコロニーの中は、平和だった。殺人事件もあったが、それはあくまで人同士の争いだ。
『驢馬が戻ったのでロックを解除したところ、彼が獣を引き入れました』
ハジメの返答を聞いた者たちが、悲鳴を上げて部屋に戻った。部屋が施錠される音が次々聞こえてきた。
「何だと……」
「驢馬、い、生きてたの?」
『分かりません。ただ、驢馬だと名乗り、驢馬と認証される者が帰還しました。彼の引き入れた獣は、五頭です』
驢馬が生きていた。そして、獣を連れて戻ってきた。彼の目的は分からないが、人間を食べる肉食獣が家の中に入って来た。平和的な物語が始まるとは思えなかった。
「くそっ、全員個室に退避するように勧告しろ!」
『分かりました』
ヘビは、ラブの腕を掴むと、自室に駆け込んだ。彼は、その足でクローゼットに向かった。
「ヘビ、どうするの?」
「驢馬がどういうつもりか分からないが、侵入された以上、獣は駆除する」
ボディアーマーを着込み、ライフルと拳銃、ナイフを装備した。
「あ、危ないよ!」
「問題ない」
「私も行く!」
何か武器を頂戴、と手を出した。すると、ヘビは掌サイズの拳銃をラブに渡した。
「もし、ここに驢馬や獣が入って来たら、躊躇わずに打て」
「ヘビ!」
置いて行かれる前提の話に、ラブが不満の声を上げた。
「良いか、絶対にこの部屋から出るな。安全が確認出来たら迎えに来る。あいつ、アダムが来た時だけ出ても良い。それ以外は、開けるな」
ヘビは、ラブに顔を近づけ、強い眼差しを向けた。
「わかったか?」
ラブにも、自分が足手纏いになることは予想出来た。だが、ヘビの事が心配だった。
答えられずにいると、ヘビの腕輪が鳴った。
『ヘビ、フクロウだ。獣と驢馬は別行動している。獣は散り散りにコロニーの中を走り回っている。殆どの人間は自室にいる。土竜たち数人がまだ戻ってない。俺は食堂に向かう』
「わかった。俺は、驢馬を追いながら獣を減らす」
『了解』
フクロウとの通信が終わり、ヘビがドアに向かって歩き始めた。
「ヘビ!」
ラブは、ヘビを追いかけ、手を取った。ラブの手が震えている。
「大丈夫だ。この部屋に居れば安全だ」
「ヘビが、安全じゃないよ!」
「獣との戦闘は、何度も経験している。コロニー内だ、此方の方が有利だ」
「でも、でも!」
引き留めようとするラブを、ヘビは少し困ったように笑って、躊躇いながらラブの背中に右腕を回した。
「心配されるというのは……案外嬉しい事なんだな」
「ヘビ!」
ラブは悲痛な声で名前を呼んだ。
(どうしたら、我慢出来るのかな。ヘビを好きって気持ちを。どうしたら、知らなかったフリを出来るだろう。好きだよ、ヘビが……危ない所に行って欲しくない。心配で堪らない!)
ヘビの遠慮がちで、少しも引き寄せない抱擁に、ラブの心が囚われてしまった。
離したくない。誰かの為に危険を冒して欲しくない。
ラブは、ヘビの胸にギュッとしがみ付いた。
しかし、時は進み、ヘビの腕が離れ、伝わってくる熱が失われた。
「いいか、大人しくしていろよ」
ラブは、泣きそうな顔で見上げているのに、ヘビは晴れやかに笑って出て行った。
鳩は、必死に走っていた。あちこちに、腕や体がぶつかるが、構わず逃げ続けた。
迫り来る、恐怖から。
「ひぃいいい!」
笑顔の驢馬が、まるで鬼ごっこのように、鳩を追う。彼の腕には、先ほど畑で手に入れた鎌が握られている。
どうして、彼は生きているのか。なぜ、走れるのか、なぜ、腕を振るえるのか。
なぜ、なぜ――俺が、殺したはずなのに!
あの日、憂さ晴らしに呼び出され、鳩は驢馬の暴行を受けた。驢馬は、鳩の胸や腹を殴りながら、言った。もうすぐ、此処をでるが、新しい場所でも俺の奴隷にしてやる。
体を丸くして、今度は背中を踏みつけられながら、考えた。
こいつ居なくなるのか。
「やられてばかりでは駄目よ。貴方の方が、大きくて強いはずよ」
クイナの言葉が浮かんだ。そうだ、こいつらが皆いなくなるなら、俺が強い男になって、見返してやるんだ。
鳩は、立ち上がった。
「な、何だよ!」
怯んだ驢馬を見下ろし、殴りつけた。驢馬は、怒り狂い反撃をしてきたが、押さえつけて殴った。何度も、何度も。そして、驢馬は動かなくなった。最初は、酷く興奮していた。湧き上がる歓喜と優越感で、驢馬に口汚い言葉を投げかけた。しかし、落ち着いて冷静になったら、怖くなった。こんな事がバレたら、どうなってしまうか分からない。
隠さないと! バレたらまずい。鳩は、その一心で、驢馬を担いで、森へ向かい、滑落しやすい斜面に投げ捨てた。これで、森で迷って遭難したことにならないだろうか、でも、どうしよう、殴った跡が一杯ある。鳩は、しばらくソコで頭を抱え、逃げ出した。
生死は確認していない。
「し、知らない。俺は知らない。俺のせいじゃない」
自分に言い聞かせるように、呟いて走った。
驢馬が武器さえ持っていなければ、また勝てるかも知れないのに。ずるい、あんなもの持って振り回して。鳩は長い廊下で、驢馬を振り返って鎌を睨み付けた。
「驢馬さん、落ち着いてください! な、何があったんですか?」
鳩が話しかけても、驢馬は何も答えず、ずっと微笑んだまま、驢馬へと走りよってくる。
「ひいい」
話にならず、再び驢馬に背を向けて逃げ出した鳩の背中に、強い衝撃が走った。
「うわああ!」
近くに落ちた鎌を見て、投げつけられた事を悟った。幸いな事に、刺さらなかったようだ。
鳩は、素早く鎌を拾い上げて驢馬に向き合った。運良く、鎌を取り上げることに成功した。
「そっちが悪いんだからな!」
鳩は、鎌を振り上げ、驢馬の首に目がけて突き刺した。
溢れ出る血は? 肉を断つ感触は?
「あっ……あっ……あああ……」
悲鳴を上げたのは、鳩だった。驢馬が、首から鎌を引き抜き、鳩の喉を切りつけた。
吹き出る血に、驢馬の体が赤く染まっていく。もがき、助けを求める鳩の手は、一本の藁を掴んだ。
「どうして……なんで……」
血の海に沈む鳩の体を、驢馬が踏みつけて先へ向かった。
この先に、悪魔が居る。
驢馬は、コントロールルームの方に向かっている。ハジメから報告を受けて、ヘビは急いだ。途中、一匹の獣を見つけた。獣は、横たわる人間を運ぼうと食らいついていた。
「くそっ」
此方を向いている鳩は、既に絶命していた。
ヘビが銃を構えると、獣が気がついて襲いかかってきた。打ち込んだ二発の銃弾は、獣の頭部と、胸に被弾し、獣は床に叩きつけられた。
ここ二、三年の間に外で数を増やしている獣だった。かつて栄えた動物のどれにも当てはまらないが、どこか既視感のある獣だ。猫科のような俊敏さと跳躍力を持ち、前足には、馬科のような硬い蹄を持つ。鋭い牙と顎の力も驚異的だ。
「……」
獣の死体の横を通り過ぎ、鳩の側で屈んだ。
「何かで、首を斬られている?」
広がる血の海、鳩の死因は失血死と予想される。
「……何だ?」
鳩が何かを握りしめてた。細い枝か……藁のような何かだった。
『ヘビ、驢馬が此方に迫っています』
「分かった」
もしも、驢馬がコロニーに恨みを抱いて、機能不全に陥るような破壊を行えば大変な事になる……ヘビは走り出した。
「うわぁ」
フクロウの口は、音を出さずに言葉を描いた。彼は、イルカと合流して、食堂へやって来た。食堂で、食事を召し上がっていたのは、獣だった。入り口でライフルを構え、イルカと目配せをして突入した。
ズドン、ズドン、と乾いた発砲音が響き、トン、トンと弾が床を転がる。獣は悲鳴を上げず、人々が騒ぐ声だけが聞こえてきた。
目視できた獣は、三匹。二匹はフクロウが仕留めた。一匹は、イルカの弾が被弾したが、まだ息があった。
「この、畜生め!」
立ち上がった獣に、土竜がナイフを突き刺した。
「あら、残念」
フクロウの呟きに、イルカは目を剥いた。フクロウは、唇に人差し指を当てて、ニッコリ笑った。
「……こっわ」
イルカがフクロウを見て、震えた。
「やぁ、皆さん。大丈夫かい? 生きてる人~」
フクロウは、ライフルを肩に掛けて、食堂へと乗り込んだ。
「遅ぇんだよ! 何だよこいつらは!」
腕に食いつかれた土竜は、落ちていたタオルを巻き付けた。
「息子さんが、拾ってきた……ワンちゃん? そんな感じかな?」
フクロウは、土竜に手を貸し、タオルをキツく縛った。
「はぁ?」
「驢馬が、帰って来ました。獣を連れて」
イルカが答えた。
「本当に生きてたのか?」
土竜は眉を顰めた。嬉しそうな様子はない。フクロウは、大袈裟に肩をすくめた。
驢馬は、すぐに見つかった。コントロールルームのドアを破壊しようと、鎌と腕で叩いていた。驢馬の様子は、異常だった。何かに取り憑かれているかのように、一心不乱にドアを叩いている。
「驢馬、やめろ! 抵抗するなら発砲する」
ヘビは、拳銃を構え、警告した。しかし、驢馬は、振り向きもしなかった。
「驢馬!」
ヘビは、一歩一歩、慎重に近づいた。何時でも撃てるように。しかし、近づくにつれて、不気味な違和感に襲われた。
「お前……それは……」
驢馬は、以前と違っていた。
人ではない、何かだ。驢馬ではなくなった、何かが此方を向いた。
「っ!」
彼の首元からは、枝や、藁がとびだしていた。鮮度を失い乾燥した筋肉の間を埋めるように、絡みついた植物が、ザワザワと蠢いている。
ヘビは、即座に頭を切り替えて、発砲した。しかし、撃ち抜く弾丸に手応えがない。
近づいてくる。死した生き物が。
咄嗟に、外のサバイバルで利用するライターを取り出して、着火して投げつけた。
途端に火柱を上げる驢馬は、目的を諦めたのか、炎に包まれながら走り出した。
「待て!」
ヘビは、距離を取って追いかけた。火災警報が鳴り響く。それと共に、ハジメが『居室に留まるように』と放送を入れている。
廊下には煙が立ちこめ、スプリンクラーが作動した。
前方、一メートルの視界も悪く、生理的な反応で涙も咳も止まらない。
煤と煙を追いかけた先は畑だった。扉が開くと、中に居たアダムが歩み寄ってきた。
「ヘビ、大丈夫かい?」
「ゴホッ……驢馬……驢馬は!」
室内は、煙いが炎が上がっている驢馬は見当たらない。
「ボーボー燃えてた人が入ってきたから、水かけて、そのダストシューターに蹴り落としたよ」
畑内で発生した有効活用できる、落ち葉や動物の糞は回収すると、壁に埋め込まれたダストシューターに放り込まれ、収集される。
「……」
ヘビは、外開きの鉄製のドアを開き、中を覗き込んだ。
つい、自分も蹴り落とされるのでは、と後ろを警戒してしまう。
「ごめん、助けた方が良かった? だって何か普通じゃないし、やばそうだったから、つい」
シューターは、五メートル以上垂直に落下し、その後なだらかな傾斜があり、最終処分場所に辿り着く。人の遺体も結局は、そこに落とされる。
「……問題ない」
「あれ、驢馬だったの?」
「ああ、恐らくだが……」
ヘビは、扉を閉め、フラフラと歩き、乾いた地面に腰を下ろした。思わず深いため息が出る。額を押さえ、天を仰ぐ――酷く疲れた。
『最後の獣は、出入り口付近に居ます』
「分かった」
ヘビは、膝に手を乗せて、立ち上がった。
「僕が、行くよ。コロニー凄い事になってるんでしょ、ヘビはそっちをどうにかしなよ。任せて」
「……ああ」
胸を叩いて笑ったアダムが、畑の鍬を肩に掛けて、鼻歌を歌いながら、かけ出した。ヘビは、アダムに銃を渡そうかと、手を掛けて、やめた。
「ヘビ、大丈夫ですか?」
入れ替わるように、イルカがやって来た。
「イルカ」
「煤だらけじゃないですか、うわー、とりあえず洗い流して来たらどうですか? 出入り口へは、フクロウさんも向かいました。問題ないと思います。あの人、戦闘になると、ニヤニヤ笑って楽しんじゃう所、どうにかなりませんかね。あ、クイナさんは、土竜と食堂で怪我人の手当に当たっています。ハジメから聞きました。驢馬は処理場にいるって、ちょっと確認しに行ってきます」
「ああ、頼んだ」
テキパキと話したイルカは、忙しそうに去って行った。
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