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出会い
すっぽんぽんで、空の下。
女が、寝転んでいる。
裸族なのか?
舞台は、石畳の上。
太陽のスポットをギラギラと受け、彼女は輝いて見える。
色白でまろい肌。
艶やかな長い黒髪。
その毛先が緩やかなウェーブを描き、胸を覆い隠している。
睫毛が羽ばたいた。
女の瞳は、赤子のように澄んでいて、宝石のようだ。
「んー?」
青、どこまでも深くて、広い、あおいろ。
これが、空だ。彼女にも直ぐに分かった。
空に浮かんでいる気分になっているのか、頬が緩んでいる。
「キレーだね」
空に声を掛けても、返事は無い。
空と一体になっていた彼女の感覚が、体へと降りてくる。
まず、背中が痛い。
彼女が寝ている場所は、硬い、石畳だ。
周囲を見回し、建物の中だと気がついた。
壁は低い位置で青空に切り替わり、天井は失われている。
「こんにちは」
彼女は、目に入った女性の像に話しかけた。赤子を抱く石像の女性は、ボロボロの体でも、慈しむような微笑みを浮かべている。大切な存在が、そこにある幸せを喜んでいる、そんな風に見えた。
(そうだ、私にも誰か居るはずなんだ。私を満たし、私が満たす。二人で一つの愛する人だ)
「どこだろう」
起き上がり、彼女が口を尖らせたら、ぐー、お腹が鳴った。
「お腹空いた」
食べ物を寄越せと体内で不満が暴れている。
彼女は、胸の下を擦り、立ち上がった。
石の壁の向こうには、荒野。その先には、緑の山が見える。後方には、線で区切られた空と海だ。
ここは海辺に立てられた教会だ。遙かな時間のなかで朽ちて、形を変えてきた。
「ない」
食べ物が見当たらない。できれば、赤く丸い物が食べたい。彼女の頭の中にボンヤリと浮かんだソレは、たしか、とっても美味しいモノだった。
「ねぇ、お腹空いたよ」
そこに居るのが当たり前、そんな誰かに声を掛けた。辺りを見回しても彼はいない。彼女は、仕方なく、相手を探して歩き出した。足が痛い。石が熱い。
「もー、どこに居るの」
文句を言って、再び辺りを見回すと、山に繋がる荒野に、人が歩いていた。
「あっ!」
ポンチョ型のコートのせいで顔は見えないが、体格からして男だ。背が高く、しっかりとした肩幅をしている。
(そうだ、きっと彼が私の待っていた、たった一人の男だよ!)
彼の姿を見て、彼女の心は踊り出し、足を跳ねさせた。
「おーい!」
彼女が手を振ると、胸と髪が揺れた。荒野を歩く男、ヘビは彼女に気がつくと、ぎょっと目を見張り顔を逸らした。
石壁で下半身こそ隠れているが、裸の女性が自分に手を振っている。彼は、幻覚を見たと判断した。今日は、日差しの強い中、半日ほど野外に居た。
ヘビは、本来ならば、この先の海へ向かい、新設した海流発電の点検を行う予定だった。しかし、恐ろしい野生の生物も闊歩する野外で無理は禁物。時には予定の変更し、体調管理することも大切だと彼は身に染みて理解していた。
ヘビは、ボディアーマーに付けた無線機に手をやった。
「ねぇ、ちょっと! 聞こえてますか?」
彼女は、再びヘビに向かって叫び、崩れた壁を乗り越えようと身を乗り出した。下を確認すると地面まで五メートルほどある。怖くなって一歩下がり、しゃがみ込んだ。
「消えた」
ヘビは、彼女が居た場所を、目を凝らして睨み付けた。ヘビの視力は、優良だ。彼は遺伝子操作を受けて誕生している。身長も一九○センチメートルの長身で、筋肉も付きやすく、病気にも強い。
「ねぇ、男さん!」
「っ!」
再び顔を出した女に、彼の強心臓が爆ぜた。石の上に手を叩きつけた彼女は、掌を見つめて「痛い」と眉をハの字にしている。
全くもって、予測不能な妙な生き物と遭遇した。普段、動揺などしないヘビの鋭い目が、泳いでいる。
「こっちだよ、来て」
彼女は、露わになっている胸など、意に介していない。まるで裸でいる事が当然のようだ。そうなると、外の生物との戦闘に備え、ボディアーマーや、タクティカルブーツなど完全防備でいる自分がおかしいのだろうか、とヘビは自らの体を見下ろした。
「ほら、そっちに登って来られる所があるよ」
彼女は、近くの階段を指さして、おいで、おいでとヘビに手招きをした。
「……」
ヘビは、いよいよ幻覚では無いと認知し、警戒しながら彼女の元へと歩き出した。
此処は、かつて人類が栄えていた時代に、教会と呼ばれていた場所だ。創造者たる人類は、戦争や環境変化、それによって発生した飢饉や疫病で、急速に数を減らし、地上から消えた。しかし、こうして長く残り続ける物もあった。
所どころ崩れた石の階段を上がり、ヘビが彼女の元までやって来た。
「お前は、一体何者だ?」
ヘビは、彼女から五メートルは離れた場所で俯き、彼女に視線を送らずに聞いた。
「え?」
女は、そろりと足を伸ばし、ヘビに近づき、その顔を覗き込んだ。
(この人、なんで自分の事が分からないんだろう?)
彼女が首を傾げると、黒髪がサラサラと流れ落ちた。
「何、言ってるの?」
「近づくな……だから、お前は、誰だと聞いている」
ヘビは、首を九十度回し、ボソボソと話した。
「女だよ」
「はぁ? そんなの見れば分かる!」
的外れな回答に、ヘビが裸体の彼女を指さし、しかと見てしまい、慌てて後ろを向いた。
「あれだ……まず、名前は何だ」
「名前……名前って何?」
「お前、ふざけているのか? 呼び名だ。お前という個体を他と識別する、呼称はないのか」
「ん? 貴方は男で、私は女でしょ?」
彼女の細い指が、柔らかい自分のおっぱいを突いた。
「それは分類だ。女も男も他に沢山居るだろう」
「沢山いるの⁉ 凄い! 会いたい」
頬を膨らませて笑い、目を輝かせた彼女は、ヘビの胸をバシバシ叩いた。
「訳の分からない女だ」
「それ、私の名前? わけのわからない」
「違う! 俺は、ヘビと呼ばれている。俺達のコロニーでは全員、生き物の名前がついている。お前は……別のコロニーから来たのか? そういえば、あいつが女を捜してると……」
ヘビは、二年前にコロニーにやってきた男の事を思い出した。
「ヘビ、ヘビ」
(私の男さんの名前は、ヘビ。ちょっと怖い顔の男さん)
彼女は、ヘビを指さして、名前を覚えようと復唱した。
「お前、アダムという男を知っているか?」
「知らないよ」
「違うのか……」
「ねぇ、ヘビ。私に名前ちょうだい」
「お前……」
「私、おまえ?」
「違う!」
「私、ちがう?」
「あー! くそ、一度口を閉じろ。理解が追いつかない」
ヘビの言葉に、彼女は、ギュッと唇を結んで頷いた。
ヘビは、ポンチョ型コートのフードを外して、センター分けのうねる黒髪を掻き乱した。そして、そのコートを脱ぐと、なるべく彼女を見ないように、不用意に触れないように、それを彼女に着せた。
「……」
彼女は、口を閉じたまま、両腕をプラプラと振って膝丈まであるコートの動きを楽しんだ。
「ありがとうって言っていい?」
彼女は、満足そうな顔で微笑み、ヘビを見上げた。
「……もう、言っている」
彼女の目が、丸く見開かれた。
「ハジメ、愛嬌だけの知能の低い動物は?」
ヘビは手首に装備した、ウエアラブル端末でAIに問いかけた。
『ダチョウ、フラミンゴ、コアラなどがそう思われていたようです』
「ヘビ……貴方は、手に悪魔でも飼っているの?」
ヘビの腕輪に彼女が触れようとしたが、ヘビが腕を高く上げて避けた。二人の身長差は大きく、彼女の頭はヘビの胸だ。彼女が飛び跳ねても相手にならない。
「AIと話をしている。名前だが、ダチョウかフラミンゴはどうだ。コアラは居る」
「ダチョーンか、フラミゴン」
「違う」
「なんだか……もっと短い名前が良いな。ヘビみたいな」
頭を抱えて考え込んだ彼女を、ヘビが悩ましい顔で見下ろした。
「……ハブ」
「ハブ⁉ なんかピンと来たよ。なんとか、ブって好き。ハブにする!」
大喜びする彼女の勢いに押されたヘビが一歩、一歩後退し壁に追い詰められた。
「いや……ちょっと待てくれ。ハブもヘビだ」
それに毒蛇だ。ハブと言う名前は、女性に付ける名前としては相応しく無い気がした。
「ブ……ブ……サブ、ノブ……違うな。そうだイブか、ラブはどうだ?」
ヘビは少し恥ずかしがりながら提案をした。
「ラブにする!」
彼女、ラブはヘビに抱きついた。ヘビは目を見張り、ビクリと体を震わせた。逃げようにも背中は壁だ。コートから出たラブの胸がヘビの体に密着し、柔い感触を伝えてくる。
(凄い! やっぱり、この男さんが、私の待っていた人だ。ラブって名前、凄くしっくりきた)
ラブは、嬉しくてヘビの胸に頬ずりをしたが、ボディーアーマーの硬さが気に食わなかったのか渋い顔をしている。
「離れろ、俺はお前と繁殖しない」
彼が暮らすコロニーは『人類の再びの繁栄』を目指し、AIに管理されている。遺伝子操作され生み出された人間達は、それぞれ世代によって特徴が違う。ヘビは、人々を纏め指導していけるように、秀でた能力を持つように作られたグループだった。AIの思惑通り優秀な人間となったが、反面、彼らは繁殖に対する意欲が低かった。
ヘビは、今まで一人の女性を特別に感じた事も無く、繁殖を意識させられることも無かった。
「繁殖ってなに?」
ラブが彼の胸から顔を上げて聞いた。
(そういえば、男さんと出会ってから、一緒にすることがあったはず……それが繁殖?)
ラブは何度も首を傾げて考えた。
「し、知らないなら構わない」
ヘビは、せわしなく動いてしまう指先にぐっと力を入れた。そして、そっとラブの肩に触れて遠ざけた。彼の心臓は今、調子を乱していた。予測に反する事態に遭遇し、冷静さを欠いているのかと、自分を落ち着けるために深く息を吐いた。
「あのね、ヘビ。私、凄くお腹空いたよ」
「は?」
まるでヘビに責任があるような言い方に虚を突かれた。しかし彼は、それは大変な事だと感じたのか、何を考えているんだと、頭を振った。
「携帯食ならある」
ボディーアーマーに備えていたブロック形の携帯食を取り出し、ラブに差し出した。
「これ、砂の塊?」
「食事だ。栄養もカロリーも程よく配合されている」
ほら、とヘビがラブの顔に近づけると、彼女は少し躊躇いながら口を開いた。
「……」
手渡すつもりで差し出した食事を、直接囓られ、ヘビの胸が騒いだ。指にかかる彼女の吐息がくすぐったくて、つい、携帯食を粉砕した。
「あー、不味いの壊れちゃったよ」
零れおちたソレをラブが眺めている。石畳の上の砂と一体化し、回収は難しそうだ。
「……人に貰った食事に文句をつけるな。旨くも無いが、不味くない」
指に少し残った粉を自分の口に押し込み、ヘビが言った。
「だって美味しくない。お口の中がジャリジャリするよ」
ラブは、あーんと口を開けて見せた。ヘビは目を逸らしたが、手が無意識に水筒を探し当てた。腰から取り外した水筒の蓋を開け、先ほど自分が口をつけた事を想いだした。
「お水、あーん」
「なっ……じ、自分で飲め」
ヘビに水筒を押しつけられたラブは、中を覗き込み、上下に振った。
「おい、何をする!」
水しぶきがラブの前髪と、ヘビの腕を濡らした。ヘビの非難も耳に入っていないのか、ラブは楽しそうに水筒を口に近づけた。
ばしゃ、と勢いよく飛び出した水が、ラブの頬と喉を潤した。
「美味しいね。嬉しいね」
水筒を握りしめるラブは、満面の笑顔でヘビを見上げた。彼女の細い顎から、ポタポタと水が滴る。
「……何なんだ……お前」
ヘビは、ラブの喜ぶ顔を見て、胸に広がる温かい何かに驚いた。
「ラブでしょ。名前、オマエにするの?」
「……しない」
ラブは、黒い瞳を輝かせながら、頭を揺らしヘビの顔を覗き込む。ヘビの吊り上がった鋭い眼差しが、最大限に横に逸れている。
「じゃあ、ラブって呼んでよ」
「呼ばない」
「どうして?」
「俺は、お前と気安く名前を呼び合う仲じゃ無い」
ヘビの大きめの口は、引き結ばれ辛うじて開いた隙間から、ボソボソと言葉が漏れている。
「ヘビ、ヘビ、へービ、ヘビー。もういい? 仲良し?」
ラブが彼の大きな手を取って握手をしたが、振り払われた。
「良くない。頼まれたから命名したが、呼ぶ予定は無い。そもそも、お前は何処から来たんだ。なぜ此処に……どうして、そんな無防備な格好で居る」
「何処から? 此処から来たよ。無防備ってなに?」
まさか、此処には隠された空間かコロニーがあるのかと、ヘビは周囲を見渡したが、以前此処を調べた時と変化は無さそうだ。
「お前は記憶喪失なのか? 何かの事件に巻き込まれて、此処に捨てられたのか?」
「記憶喪失ってなに? 私、捨て子? 迷子? ヘビも置いて行く?」
ラブは、今此処からヘビが居なくなったら、とっても寂しいと感じた。なぜ此処に自分が居るのかはわからない。ただ、此処に居る事は、とても自然な事だと感じていた。
(たった一人の男……ヘビじゃないのかな?)
ラブは、俯いた。
「……一緒に来るか?」
人が増えれば、人類の繁栄に有利だ。そのために、ラブを連れて帰ることは、合理的だ。ヘビは、ラブをコロニーに連れて帰る、尤もたる理由を幾つも頭の中で考えた。
「うん! 行く。やったー!」
ラブは喜び、裸足で跳びはねた。そして痛い痛いと、つま先立ちをしてヘビの肩に手を乗せた。
「……まさか」
自分が背負って行くしかないのか、その事実にヘビが気がついた。フィジカル的に問題は無い。数十キロの装備を背負って資材を集めに行くこともある。外の生物との戦闘の為にも訓練を欠かさない。ただ半ば裸のラブと密着することに戸惑いがある。妙に背中を意識してしまった。
「ん」
ラブが至極当然のようにヘビに向かって腕を広げた。
ヘビが頭を抱えて地面に膝をついた。
「ヘビ、大っきいね。大蛇だね」
結局、ヘビは全ての装備を胸側に移し、ラブを背負ってコロニーまでの数キロの道のりを歩き出した。ラブは見た目通り軽く苦労は無かったが、足をブラブラさせたり、突然身を起こしたりと、行動が予測不能で、彼はハラハラしていた。
「嬉しいな、楽しいね!」
「黙っていろ。コロニーの外には、恐ろしい生命体が生息している。警戒しないと危険だ」
ラブは、素直に口を噤んで大人しくすることにした。ヘビに謝ろうと彼の耳に顔を寄せた。
「ごめんね、私も見張ってるね」
「……耳元でしゃべるな」
「かゆい?」
ラブは、彼の耳を隠す髪を掻き上げて耳にかけた。ヘビの長めのショートの黒髪は手触りが良く、楽しくなって、うねる毛先を指にクルクル巻き付けて遊び始めた。
「おい、もう何もするな……頼むから寝ていろ」
「捨てていかない?」
「ああ、そんな無責任な事はしない」
「へへ、そっか……お家、ついたら、美味しいものある?」
ラブがあくびをしながら彼の頭に顔を乗せた。
「美味しいものとは、どんなものだ」
「うーんとね、赤くて……丸いの……」
「赤くて、丸い……トマトか、さくらんぼか? お前の居たコロニーと同じ食物のDNAが残されていたかは不明だ」
ヘビのコロニーでは、数々の野菜や果実が栽培されている。アダムという男が、ヘビのコロニーに現れるまで、人類は自分たちだけなのでは無いかと思っていたが、一縷の希望を持った。AIが目指す人類の再興も夢では無いと。今日、ラブに出会い、更に期待値が上がった。上手くいけば、まだ見ぬ植物のDNAや素材が手に入る。人間の繁殖パターンや機会も増えるだろう。コロニーのことを思えば、この少し変わったラブの面倒も率先して行うべきだ。そう自らの使命と考え、彼はラブを背負い直した。
「ヘビ、あのね……お腹すいて……眠れ……ないの」
その言葉を最後に、ラブの寝息が聞こえてきた。
「おい、寝たのか? 子供か……」
ラブの外見は、十代後半か、二十歳くらいに見える。なのに、言動は幼子のようでヘビの調子は狂わされっぱなしだ。ヘビは一度立ち止まり、溜め息をついて、ラブを背負い直した。起こさないように、そっと。
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