出会い

1/1
9人が本棚に入れています
本棚に追加
/18ページ

出会い

 すっぽんぽんで、空の下。  女が、寝転んでいる。  裸族なのか?  舞台は、石畳の上。 太陽のスポットをギラギラと受け、彼女は輝いて見える。 色白でまろい肌。 艶やかな長い黒髪。 その毛先が緩やかなウェーブを描き、胸を覆い隠している。    睫毛が羽ばたいた。 女の瞳は、赤子のように澄んでいて、宝石のようだ。 「んー?」 青、どこまでも深くて、広い、あおいろ。 これが、空だ。彼女にも直ぐに分かった。 空に浮かんでいる気分になっているのか、頬が緩んでいる。 「キレーだね」  空に声を掛けても、返事は無い。 空と一体になっていた彼女の感覚が、体へと降りてくる。  まず、背中が痛い。 彼女が寝ている場所は、硬い、石畳だ。  周囲を見回し、建物の中だと気がついた。 壁は低い位置で青空に切り替わり、天井は失われている。 「こんにちは」  彼女は、目に入った女性の像に話しかけた。赤子を抱く石像の女性は、ボロボロの体でも、慈しむような微笑みを浮かべている。大切な存在が、そこにある幸せを喜んでいる、そんな風に見えた。 (そうだ、私にも誰か居るはずなんだ。私を満たし、私が満たす。二人で一つの愛する人だ) 「どこだろう」  起き上がり、彼女が口を尖らせたら、ぐー、お腹が鳴った。 「お腹空いた」  食べ物を寄越せと体内で不満が暴れている。 彼女は、胸の下を擦り、立ち上がった。 石の壁の向こうには、荒野。その先には、緑の山が見える。後方には、線で区切られた空と海だ。 ここは海辺に立てられた教会だ。遙かな時間のなかで朽ちて、形を変えてきた。 「ない」  食べ物が見当たらない。できれば、赤く丸い物が食べたい。彼女の頭の中にボンヤリと浮かんだソレは、たしか、とっても美味しいモノだった。 「ねぇ、お腹空いたよ」  そこに居るのが当たり前、そんな誰かに声を掛けた。辺りを見回しても彼はいない。彼女は、仕方なく、相手を探して歩き出した。足が痛い。石が熱い。 「もー、どこに居るの」  文句を言って、再び辺りを見回すと、山に繋がる荒野に、人が歩いていた。 「あっ!」 ポンチョ型のコートのせいで顔は見えないが、体格からして男だ。背が高く、しっかりとした肩幅をしている。 (そうだ、きっと彼が私の待っていた、たった一人の男だよ!)  彼の姿を見て、彼女の心は踊り出し、足を跳ねさせた。 「おーい!」  彼女が手を振ると、胸と髪が揺れた。荒野を歩く男、ヘビは彼女に気がつくと、ぎょっと目を見張り顔を逸らした。 石壁で下半身こそ隠れているが、裸の女性が自分に手を振っている。彼は、幻覚を見たと判断した。今日は、日差しの強い中、半日ほど野外に居た。  ヘビは、本来ならば、この先の海へ向かい、新設した海流発電の点検を行う予定だった。しかし、恐ろしい野生の生物も闊歩する野外で無理は禁物。時には予定の変更し、体調管理することも大切だと彼は身に染みて理解していた。 ヘビは、ボディアーマーに付けた無線機に手をやった。 「ねぇ、ちょっと! 聞こえてますか?」  彼女は、再びヘビに向かって叫び、崩れた壁を乗り越えようと身を乗り出した。下を確認すると地面まで五メートルほどある。怖くなって一歩下がり、しゃがみ込んだ。 「消えた」  ヘビは、彼女が居た場所を、目を凝らして睨み付けた。ヘビの視力は、優良だ。彼は遺伝子操作を受けて誕生している。身長も一九○センチメートルの長身で、筋肉も付きやすく、病気にも強い。 「ねぇ、男さん!」 「っ!」  再び顔を出した女に、彼の強心臓が爆ぜた。石の上に手を叩きつけた彼女は、掌を見つめて「痛い」と眉をハの字にしている。  全くもって、予測不能な妙な生き物と遭遇した。普段、動揺などしないヘビの鋭い目が、泳いでいる。 「こっちだよ、来て」  彼女は、露わになっている胸など、意に介していない。まるで裸でいる事が当然のようだ。そうなると、外の生物との戦闘に備え、ボディアーマーや、タクティカルブーツなど完全防備でいる自分がおかしいのだろうか、とヘビは自らの体を見下ろした。 「ほら、そっちに登って来られる所があるよ」  彼女は、近くの階段を指さして、おいで、おいでとヘビに手招きをした。 「……」  ヘビは、いよいよ幻覚では無いと認知し、警戒しながら彼女の元へと歩き出した。  此処は、かつて人類が栄えていた時代に、教会と呼ばれていた場所だ。創造者たる人類は、戦争や環境変化、それによって発生した飢饉や疫病で、急速に数を減らし、地上から消えた。しかし、こうして長く残り続ける物もあった。  所どころ崩れた石の階段を上がり、ヘビが彼女の元までやって来た。 「お前は、一体何者だ?」  ヘビは、彼女から五メートルは離れた場所で俯き、彼女に視線を送らずに聞いた。 「え?」  女は、そろりと足を伸ばし、ヘビに近づき、その顔を覗き込んだ。 (この人、なんで自分の事が分からないんだろう?)  彼女が首を傾げると、黒髪がサラサラと流れ落ちた。 「何、言ってるの?」 「近づくな……だから、お前は、誰だと聞いている」  ヘビは、首を九十度回し、ボソボソと話した。 「女だよ」 「はぁ? そんなの見れば分かる!」  的外れな回答に、ヘビが裸体の彼女を指さし、しかと見てしまい、慌てて後ろを向いた。 「あれだ……まず、名前は何だ」 「名前……名前って何?」 「お前、ふざけているのか? 呼び名だ。お前という個体を他と識別する、呼称はないのか」 「ん? 貴方は男で、私は女でしょ?」  彼女の細い指が、柔らかい自分のおっぱいを突いた。 「それは分類だ。女も男も他に沢山居るだろう」 「沢山いるの⁉ 凄い! 会いたい」  頬を膨らませて笑い、目を輝かせた彼女は、ヘビの胸をバシバシ叩いた。 「訳の分からない女だ」 「それ、私の名前? わけのわからない」 「違う! 俺は、ヘビと呼ばれている。俺達のコロニーでは全員、生き物の名前がついている。お前は……別のコロニーから来たのか? そういえば、あいつが女を捜してると……」  ヘビは、二年前にコロニーにやってきた男の事を思い出した。 「ヘビ、ヘビ」 (私の男さんの名前は、ヘビ。ちょっと怖い顔の男さん)  彼女は、ヘビを指さして、名前を覚えようと復唱した。 「お前、アダムという男を知っているか?」 「知らないよ」 「違うのか……」 「ねぇ、ヘビ。私に名前ちょうだい」 「お前……」 「私、おまえ?」 「違う!」 「私、ちがう?」 「あー! くそ、一度口を閉じろ。理解が追いつかない」  ヘビの言葉に、彼女は、ギュッと唇を結んで頷いた。 ヘビは、ポンチョ型コートのフードを外して、センター分けのうねる黒髪を掻き乱した。そして、そのコートを脱ぐと、なるべく彼女を見ないように、不用意に触れないように、それを彼女に着せた。 「……」  彼女は、口を閉じたまま、両腕をプラプラと振って膝丈まであるコートの動きを楽しんだ。 「ありがとうって言っていい?」  彼女は、満足そうな顔で微笑み、ヘビを見上げた。 「……もう、言っている」  彼女の目が、丸く見開かれた。 「ハジメ、愛嬌だけの知能の低い動物は?」  ヘビは手首に装備した、ウエアラブル端末でAIに問いかけた。 『ダチョウ、フラミンゴ、コアラなどがそう思われていたようです』 「ヘビ……貴方は、手に悪魔でも飼っているの?」  ヘビの腕輪に彼女が触れようとしたが、ヘビが腕を高く上げて避けた。二人の身長差は大きく、彼女の頭はヘビの胸だ。彼女が飛び跳ねても相手にならない。 「AIと話をしている。名前だが、ダチョウかフラミンゴはどうだ。コアラは居る」 「ダチョーンか、フラミゴン」 「違う」 「なんだか……もっと短い名前が良いな。ヘビみたいな」  頭を抱えて考え込んだ彼女を、ヘビが悩ましい顔で見下ろした。 「……ハブ」 「ハブ⁉ なんかピンと来たよ。なんとか、ブって好き。ハブにする!」  大喜びする彼女の勢いに押されたヘビが一歩、一歩後退し壁に追い詰められた。 「いや……ちょっと待てくれ。ハブもヘビだ」  それに毒蛇だ。ハブと言う名前は、女性に付ける名前としては相応しく無い気がした。 「ブ……ブ……サブ、ノブ……違うな。そうだイブか、ラブはどうだ?」  ヘビは少し恥ずかしがりながら提案をした。 「ラブにする!」  彼女、ラブはヘビに抱きついた。ヘビは目を見張り、ビクリと体を震わせた。逃げようにも背中は壁だ。コートから出たラブの胸がヘビの体に密着し、柔い感触を伝えてくる。 (凄い! やっぱり、この男さんが、私の待っていた人だ。ラブって名前、凄くしっくりきた)  ラブは、嬉しくてヘビの胸に頬ずりをしたが、ボディーアーマーの硬さが気に食わなかったのか渋い顔をしている。 「離れろ、俺はお前と繁殖しない」  彼が暮らすコロニーは『人類の再びの繁栄』を目指し、AIに管理されている。遺伝子操作され生み出された人間達は、それぞれ世代によって特徴が違う。ヘビは、人々を纏め指導していけるように、秀でた能力を持つように作られたグループだった。AIの思惑通り優秀な人間となったが、反面、彼らは繁殖に対する意欲が低かった。  ヘビは、今まで一人の女性を特別に感じた事も無く、繁殖を意識させられることも無かった。 「繁殖ってなに?」  ラブが彼の胸から顔を上げて聞いた。 (そういえば、男さんと出会ってから、一緒にすることがあったはず……それが繁殖?)  ラブは何度も首を傾げて考えた。 「し、知らないなら構わない」  ヘビは、せわしなく動いてしまう指先にぐっと力を入れた。そして、そっとラブの肩に触れて遠ざけた。彼の心臓は今、調子を乱していた。予測に反する事態に遭遇し、冷静さを欠いているのかと、自分を落ち着けるために深く息を吐いた。 「あのね、ヘビ。私、凄くお腹空いたよ」 「は?」  まるでヘビに責任があるような言い方に虚を突かれた。しかし彼は、それは大変な事だと感じたのか、何を考えているんだと、頭を振った。 「携帯食ならある」  ボディーアーマーに備えていたブロック形の携帯食を取り出し、ラブに差し出した。 「これ、砂の塊?」 「食事だ。栄養もカロリーも程よく配合されている」  ほら、とヘビがラブの顔に近づけると、彼女は少し躊躇いながら口を開いた。 「……」  手渡すつもりで差し出した食事を、直接囓られ、ヘビの胸が騒いだ。指にかかる彼女の吐息がくすぐったくて、つい、携帯食を粉砕した。 「あー、不味いの壊れちゃったよ」  零れおちたソレをラブが眺めている。石畳の上の砂と一体化し、回収は難しそうだ。 「……人に貰った食事に文句をつけるな。旨くも無いが、不味くない」  指に少し残った粉を自分の口に押し込み、ヘビが言った。 「だって美味しくない。お口の中がジャリジャリするよ」  ラブは、あーんと口を開けて見せた。ヘビは目を逸らしたが、手が無意識に水筒を探し当てた。腰から取り外した水筒の蓋を開け、先ほど自分が口をつけた事を想いだした。 「お水、あーん」 「なっ……じ、自分で飲め」  ヘビに水筒を押しつけられたラブは、中を覗き込み、上下に振った。 「おい、何をする!」  水しぶきがラブの前髪と、ヘビの腕を濡らした。ヘビの非難も耳に入っていないのか、ラブは楽しそうに水筒を口に近づけた。  ばしゃ、と勢いよく飛び出した水が、ラブの頬と喉を潤した。 「美味しいね。嬉しいね」  水筒を握りしめるラブは、満面の笑顔でヘビを見上げた。彼女の細い顎から、ポタポタと水が滴る。 「……何なんだ……お前」  ヘビは、ラブの喜ぶ顔を見て、胸に広がる温かい何かに驚いた。 「ラブでしょ。名前、オマエにするの?」 「……しない」  ラブは、黒い瞳を輝かせながら、頭を揺らしヘビの顔を覗き込む。ヘビの吊り上がった鋭い眼差しが、最大限に横に逸れている。 「じゃあ、ラブって呼んでよ」 「呼ばない」 「どうして?」 「俺は、お前と気安く名前を呼び合う仲じゃ無い」  ヘビの大きめの口は、引き結ばれ辛うじて開いた隙間から、ボソボソと言葉が漏れている。 「ヘビ、ヘビ、へービ、ヘビー。もういい? 仲良し?」  ラブが彼の大きな手を取って握手をしたが、振り払われた。 「良くない。頼まれたから命名したが、呼ぶ予定は無い。そもそも、お前は何処から来たんだ。なぜ此処に……どうして、そんな無防備な格好で居る」 「何処から? 此処から来たよ。無防備ってなに?」  まさか、此処には隠された空間かコロニーがあるのかと、ヘビは周囲を見渡したが、以前此処を調べた時と変化は無さそうだ。 「お前は記憶喪失なのか? 何かの事件に巻き込まれて、此処に捨てられたのか?」 「記憶喪失ってなに? 私、捨て子? 迷子? ヘビも置いて行く?」  ラブは、今此処からヘビが居なくなったら、とっても寂しいと感じた。なぜ此処に自分が居るのかはわからない。ただ、此処に居る事は、とても自然な事だと感じていた。 (たった一人の男……ヘビじゃないのかな?)  ラブは、俯いた。 「……一緒に来るか?」  人が増えれば、人類の繁栄に有利だ。そのために、ラブを連れて帰ることは、合理的だ。ヘビは、ラブをコロニーに連れて帰る、尤もたる理由を幾つも頭の中で考えた。 「うん! 行く。やったー!」  ラブは喜び、裸足で跳びはねた。そして痛い痛いと、つま先立ちをしてヘビの肩に手を乗せた。 「……まさか」  自分が背負って行くしかないのか、その事実にヘビが気がついた。フィジカル的に問題は無い。数十キロの装備を背負って資材を集めに行くこともある。外の生物との戦闘の為にも訓練を欠かさない。ただ半ば裸のラブと密着することに戸惑いがある。妙に背中を意識してしまった。 「ん」  ラブが至極当然のようにヘビに向かって腕を広げた。  ヘビが頭を抱えて地面に膝をついた。 「ヘビ、大っきいね。大蛇だね」  結局、ヘビは全ての装備を胸側に移し、ラブを背負ってコロニーまでの数キロの道のりを歩き出した。ラブは見た目通り軽く苦労は無かったが、足をブラブラさせたり、突然身を起こしたりと、行動が予測不能で、彼はハラハラしていた。 「嬉しいな、楽しいね!」 「黙っていろ。コロニーの外には、恐ろしい生命体が生息している。警戒しないと危険だ」  ラブは、素直に口を噤んで大人しくすることにした。ヘビに謝ろうと彼の耳に顔を寄せた。 「ごめんね、私も見張ってるね」 「……耳元でしゃべるな」 「かゆい?」  ラブは、彼の耳を隠す髪を掻き上げて耳にかけた。ヘビの長めのショートの黒髪は手触りが良く、楽しくなって、うねる毛先を指にクルクル巻き付けて遊び始めた。 「おい、もう何もするな……頼むから寝ていろ」 「捨てていかない?」 「ああ、そんな無責任な事はしない」 「へへ、そっか……お家、ついたら、美味しいものある?」  ラブがあくびをしながら彼の頭に顔を乗せた。 「美味しいものとは、どんなものだ」 「うーんとね、赤くて……丸いの……」 「赤くて、丸い……トマトか、さくらんぼか? お前の居たコロニーと同じ食物のDNAが残されていたかは不明だ」  ヘビのコロニーでは、数々の野菜や果実が栽培されている。アダムという男が、ヘビのコロニーに現れるまで、人類は自分たちだけなのでは無いかと思っていたが、一縷の希望を持った。AIが目指す人類の再興も夢では無いと。今日、ラブに出会い、更に期待値が上がった。上手くいけば、まだ見ぬ植物のDNAや素材が手に入る。人間の繁殖パターンや機会も増えるだろう。コロニーのことを思えば、この少し変わったラブの面倒も率先して行うべきだ。そう自らの使命と考え、彼はラブを背負い直した。 「ヘビ、あのね……お腹すいて……眠れ……ないの」  その言葉を最後に、ラブの寝息が聞こえてきた。 「おい、寝たのか? 子供か……」  ラブの外見は、十代後半か、二十歳くらいに見える。なのに、言動は幼子のようでヘビの調子は狂わされっぱなしだ。ヘビは一度立ち止まり、溜め息をついて、ラブを背負い直した。起こさないように、そっと。
/18ページ

最初のコメントを投稿しよう!