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「あなたたちだけが、救いなんです」
新卒で入社した超絶ブラック企業を辞め、絶賛自宅警備員謳歌中。インターホンが鳴り、いつものように居留守をしようと毛布を被っていた。
しかし、今回の望まぬ訪問者は諦めが悪い。インターホンは鳴り止まず、そのピンポンの音にはどこか軽快なリズムが感じられ始めた。立ち上がり、ドアスコープから恐る恐る覗く。
あたたかそうなマフラーを巻いた、背の低い人間だ。中性的でぼんやりとした顔立ちで、なんとも言えない表情でドアを見上げている。未成年にも見えるその姿に、自分に何の用があるのか見当もつかない。イタズラにしては、表情に無邪気な悪意は感じられなかった。
「……はーい」
ドアを開ける。久しぶりに出した声は自分でもゾッとするほどか細い。訪問者ははっと開いた目で、スウェット姿で髭もろくに剃っていないひきこもり男を捉えた。
「……どちら様ですか」
「出てくれないかと思いました」
訪問者が顔を綻ばせる。声は顔立ちにしては大人びており、そしてやはり男女ともつかない。コートから何やら縦長の封筒を取り出すと、俺に差し出した。
「読んでください」
それだけ言い、くるりと踵を返して去ろうとする。「え、ちょ、ちょっと……!」とおもわず呼び止める俺に、訪問者は振り返り、「読んでください」とまた言う。
「すみません、用事がありまして。愛する人と一刻も早く会いたいので」
「はあ……いや、あの、待って……」
「……沢谷伽耶子さん」
ぴく、と眉が引き攣る。その、名前。古い記憶が掘り起こされる。甘さも苦さも、青春と呼ぶには暗く、けれど今になって振り返るとたしかに青春だったとわかる、俺の青春のすべてが。
「会いたくないですか?」
そいつはふわ、と笑うと、まるで溶けるように、薄暗い冬の日暮れの街へ消えていった。
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