最終話 冠冕を捧ぐ

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 エリファレットにとってもう一つの気がかりは、ジェイシンスのことだった。  薔薇鉄冠の儀の騒動後、彼は《女王の死庭》に配備されていた衛兵たちによって拘束され、紋封じの腕輪を嵌められた上で首都に連行された。貴族出身の彼は高貴な身分の罪人だけが収監される地下牢に繋がれ、その処遇が決定するのを待つことになった。  薔薇鉄冠の儀の妨害だけでなく、グエナヴィアの複製(クローン)を養育しながらも貴族院に報告を怠っていた件については、エリファレット自身も銀星庁裁判所(最高司法機関)の取り調べを受ける運びになった。  エリファレットはジェイシンスとグエナヴィアの間で交わされていた書簡の存在を証言したのみで、ジェイシンスの行為――記憶の移植を実現したことついて――は表舞台に出されることが無かった。生体干渉魔術は従来の魔術と比較しても規約(ガイドライン)の整備や法制化が遅れており、罪に問うことが難しい。そう聞かされたエリファレットは、彼の秘密を闇に葬ると決めたのだった。  爵位こそ継承しなかったジェイシンスだが、元宮廷魔術師であり、ヘウルウェン伯爵家の秘蔵っ子とまで言われた彼が犯罪者となったことは、すくなからず貴族社会に衝撃を与えた。上流階級である彼の処遇については議論が重ねられ、罪状が確定するまでにも数週間を要した。そして結果として、貴族が罪を犯した場合に幽閉される首都近郊の塔牢獄に送致されることとなった。  エリファレットはついぞ彼と会話をする機会は得られなかった。サイラスが対面したところ、彼はこう言ったという。 「頭の中だけでも理論は構築できるからね。魔術師として死ぬわけじゃない」  罪を犯した魔術師は、刑期を終えた後も、人為的に紋を封じられる。右手首を落とすか、あるいは焼くことで、その効力を無くしてしまう。  そのことを気にした風でもなく、彼はあっけらかんと言ったそうだ。 「それから、エリファレットにこう伝えてくれるかい――」  彼が王城の地下牢から出され、次の監獄に移送される様を、エリファレットは遠くから眺めるのを許されたのみだった。  四方を兵士で固め、両手を拘束されて歩くジェイシンスの姿は、興味本位でそれを見届けようとする人波に隠れ、話しかけることはおろか、表情さえ伺い知ることができない。居てもたってもいられず駆け出したエリファレットは、壁を成す人を掻き分け、最前列に飛び出した。  そして、正面からジェイシンスを見据えた。 「せんせい」  両手の拳を握りしめ、続きを口にしようとしたところで、背後から衛兵に取り押さえられる。必死になってもがきながら、エリファレットは叫んだ。 「私も、先生のことが大好きです!」  唖然とした顔をして――その次の瞬間、ジェイシンスは口元を緩ませた。  それだけだったが、エリファレットにとっては十分だった。  ◇ ◇ ◇  そして季節は廻り――初夏。  薔薇の盛りを過ぎると、王城は梔子(ガーデニア)で彩られるようになった。あちこちで清廉な白い花が咲き誇り、雨上がりには城内にまでその香気が漂った。  円形のだだ広い議場、それぞれの指定の席に着いた議員たちを、中央の壇上に立って見渡すエリファレットもまた、微かに漂う淑やかな匂いに気付いた。 「――エリファレット・ヴァイオレット」  名を呼ばれことに対し、しっかりと(おとがい)を上げると、エリファレットは返事をした。  彼女の正面には、既に老人と言っても差し支えない年代の、貴族院議長・シルウェリアス公爵の姿がある。その老獪な視線をまっすぐに受け止める。 「いま一度意思確認をする。王位継承権を破棄することに異存はないか」 「はい」 「王位継承権を破棄したところで、そなたが《女王たる魔術配列(アケイシャ)》を持つことに変わりはない。王位継承にまつわる憲章によると、破棄の際に求められる措置はふたつ。紋の封鎖、そして王族関係者として貴族院による生涯に渡る管理と監視だ」  「継承権を破棄したい」とサイラスに伝えた日から、何度も聞かされた話だ。遺伝病の進行が急速に進む場合など、即位に不安材料が多い継承者が、その継承権を破棄する――そしてわずかな余生を安穏に過ごそうとする――ことは過去にも複数回発生しており、その措置については憲章に定められているのだ。  「《紋》の封鎖については、慣例では、手首を切り落とすのが通常だが――」エリファレットの右手首を一瞥すると、議長は溜息をついた。 「そなたは湖藍灰女王と同一の紋を所持している。つまり通常の二文字配列でなく四文字配列――所謂〝先祖がえり〟と同じだ。手首を切り落としたところで、湖藍灰女王の遺伝魔術が行使されてしまい、またたく間に再生してしまう」  湖藍灰女王は古代種だ。それはつまり、サイラスと同じ四文字によって構成される魔術配列を意味する。四文字配列は本来純血の古代種にしか継承されないものであり、たとえ古代種が母親であっても、父親が人間ならば生まれる子の紋は劣化したもの――二文字配列になってしまう。始祖女王の祝福が変容したのもその影響だ。 「ゆえにそなたの処遇については、これまで複数回に渡る議論を重ねた。その結果、継承権の放棄を容認する代わりに、特例法を施行し、一代かぎり設置される宮廷魔術師の特別職に任命される運びとなった。本来、宮廷魔術師は男性に限られるため、このような対応となったことを言い添えておく。――もちろん、生涯に渡って王族関係者として監視されることについても、ゆめゆめ忘れられるな」  継承権を放棄する、というエリファレットの発言は、概ね容認される形で叶えられることになった。その背景には、相続人が複数いることで内乱が勃発することを忌避した貴族院の総意、聖皇バーンハードから前女王の複製(クローン)を頂点に戴くことに対する強い嫌悪感を示した文書、アエルフリク卿からの薔薇鉄冠の儀のやり直し要求――そしてその裏で奔走したサイラスの存在がある。  エリファレットの魔術配列の影響を鑑み、一時は生涯幽閉するという話が出たことを考えると、最大限譲歩された結果でもある。 (――落ちこぼれだった私が、魔術師になるなんて。人生、何が起きるかわからない)  ジェイシンスの庇護のもと、学園(ガーデニア)で穏やかに過ごした日々を、こんなにも遠く感じる日がくるなど、考えたことはなかった。 「エリファレット・ヴァイオレット。生体干渉魔術は、今後アケイシャにとっても重要な産業になるであろう。技術者となり、その後進を育成することがそなたの責務。そして有事の際は、最前線で国に身を捧げたまえ。これは議会の総意である」 「承りました」 「では、レガリアの返還を」  うなずき、脇に控えた侍従が差し出した真紅の台から、薔薇鉄冠を受け取った。  ずっしりと重いそれをゆっくりと持ち上げると、議場の天井にむけて、高く掲げる。  天窓から射す太陽の光を浴び――鋼鉄の冠は、清冽な輝きを放った。  議場から出たところで、誰かにぶつかった。  弾かれたように顔を上げたエリファレットの視界に飛び込んだのは、見慣れたすみれ色の瞳。こざっぱりとした短髪の娘――エグランタインだ。  白い騎士衣を身につけた娘の背後には、ナサニエルの姿もある。エリファレットとは入れ替わりで、薔薇鉄冠の儀の再実施を要求する予定なのだ。  気まずさを覚え、彼女から視線を逸らそうとしたところで、肩を掴まれた。 「――逃げんのか?」  その言葉に両目を(すが)め、「もともとあなたと勝負するつもりはありませんので」と言い放つ。  彼女とは王位継承をめぐる審議のなかで何度か議場で対面したが、こうして言葉を交わしたのは薔薇鉄冠の儀以来だった。 「そうか。じゃあ、せいぜい頑張って生きることだな、お嬢ちゃん。無事に王位についたら、俺に屈辱を味わせた礼として過労死するまでこき使ってやっから」 「そんな程度でいいんですか?」  もっと陰湿な報復をされるかと思った、と素直な感想を口にすれば、エグランタインは肩を竦めた。頭を()くと、白い歯を見せて笑ってみせる。 「ま、二回も殺したのは俺のほうだし? 平手打ちでチャラにしてくれたからな」 「あれは女王位継承をめぐる争いですから、別に罪の意識に苛まれる必要もないかと思いますが」 「ははっ。よく言うわ、お前」  エグランタインは微笑みをこぼすと、ずい、とエリファレットに顔を寄せ、その目元を覗き込んだ。そして、内緒話をするように小声で囁く。 「よく見ていろよ。お前の、そのグエナヴィアと同じ瞳で。俺は俺のやり方で、俺はこの国を治めてみせる。傀儡でもなければ、教祖(グエナヴィア)のやり方でもなく」 「……わかりました」 「あと、宮廷魔術師は、そこの男を見りゃわかるとおり――誰をパトロンにするかが重要だ! せいぜい今から俺に媚を売ることだな、エリファレット!」  調子のいいことを言い始めたエグランタインに、エリファレットは思わず笑みをこぼした。  軽い身のこなしで議場へと入っていく彼女らを見送る。そして、廊下の隅にサイラスの姿を見つけると、彼に駆け寄ったのだった。
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