taste of darjeeling

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 窓の向こう側、一瞬視線が絡み合った。  彼女は気付かなかったのか、そのまま侍女と雑談したまま歩いていった。月光が煌びやかな装飾品に反射していつもより美しく見えた。  私は八年前、ミリファ様の専属講師として正式に雇われた。王族としての正しい立ち振る舞い、テーブルマナー、品格を鍛え上げる為にあらゆる事を丁寧に教え続けた。あんなにお転婆だった彼女が、淑やかに紅茶を注ぎ入れて微笑んだ時が忘れられない。  今、私は彼女に近付く事を禁じられている。  講師が粗相をしでかしたなんて笑い物だが仕方ない。ミリファ様を笑い物にする奴らが悪いのだ。そう言い訳するがやらかした事実は変わらない。今は別の王女様の付き人として雑務をこなしているが、あの日々が堪らなく愛おしくて未だに引きずってしまっている。  会いたいのに会えない。  そこにいるのに近付けない。  もどかしさを抱えたまま月日は流れた。  今日は国王が主催する宮廷舞踏会の日だ。  社交の為に行われる場だが、中にはそこで結婚相手を見つける場合もある。集まる人々は地位と品格を兼ね備えた者達ばかりで婚姻相手として遜色がない。ミリファ様も、もしかするとここで相手を見つけるかもしれない。……喜ばしい事だ。 「……疲れるなあ」  賑やかな会場を抜け出し、噴水前で溜息を漏らす。口紅が取れかけていて恥をかく所だった。冷えた空気が服の隙間から入り込んで体温を下げさせる。星空は薄い雲に覆われて見えなかった。  ミリファ様は正直に言って、序列があまり高くない。故に危惧している事があった。王族の下らない企みの為に望まぬ相手と結婚させられてしまうのではないかと。幸せになるべき人なのに、その微笑みに陰を落とす結果になるのではないかと。 「私は何様なのよ」  講師として、一個人に執着するべきでは無い。  淡々と教え、導き、そして手を離れていく。  それでいい。それ以上は傲慢にもなる。  ただ一つだけ我儘な願い事をしてしまう。自分の教えた全てが、彼女の行先を明るく照らせますようにと。給仕服の端を強く摘みながら、何回もそう唱えた。 「こんにちは」  ふと声をかけられて後ろを振り返ると、暗闇に覆われた誰かがいた。中庭には光源がなく、視力が悪い私は尚更視認する事が出来なかった。声も何故かくぐもっていて、理解が及ばなかった。 「どちら様ですか?」 「……紅茶の注ぎ始めは九十五度が適温、口は微笑みを保ったまま。でも、一つだけ教わらなかった事があるの」  相手の腕が伸びて私の目を隠した。  唇に、温もりが重なった。 「キスの仕方は習わなかったわ。ごめんあそばせ」  次に目を開けた時、声の主は消えていた。ただダージリンの匂いと味が唇に染み付いたままだった。花園の香りが風に舞って届いても消えない程、強く刻み込まれていた。  口紅は結局塗らないままで舞踏会場へと戻った。口紅よりも真っ赤に紅潮してしまった頬と共に。
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