エピソード・1 ♠ 葬送行進曲(ピアノソナタ葬送・第三楽章)

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 つまり咲姫が婚約した頃の悪魔くん(ジャン=ルイ)は、母親の残した莫大な財産を使いまくって自由に生きていたわけだ。  そのおかげで、婚約者の咲姫も随分と良い思いをした。パリのオートクチュールの華麗なドレスも、きらめく豪華な宝石も買い放題。どんな社交界の著名人のサロンにも、出入りは自由だった。  しかもジャン=ルイは、咲姫に貞操を求めなかった。  よく言えばアッサリしていると言えなくもないが、全てにおいて流されるがまま。咲姫とベッドを共にする時も、セックステクニックこそ抜群だが、熱く燃えて自分を見失ったことなど一度もない。  どこかクールで、いつも冷めている。  そのジャン=ルイが、ロマネ公爵夫人のサロンで、彼の人生を変えてしまうような絵画に出逢ったのが、全ての始まりだった。  パリの有閑マダムの一人。  ロマネ公爵夫人の、その絵画のコレクションは社交界でも有名。垂涎の的だった。とにかく芸術を見分けることに長けた彼女の、特別に肥えた眼で選び抜かれた絵画である。  彼女のコレクションに加わったと噂になるだけで、その画家の絵の値段が何十倍にもはね上がると言われていた。  その日もジャン=ルイはいつも通りの無関心さで、彼女のサロンで開かれた新しい絵画の披露目会に出掛けていったらしい。 (・・らしいと言うのは、咲姫が日本に里帰りしている間に起こったことだからだ)  その頃の咲姫は、二週間の予定で日本に里帰りしていたのである。  帰国の理由は簡単。  参議院議員の父親から、地元の後援会の重鎮たちを接待する役目を無理矢理に押しつけられたのだ。  鳴かず飛ばずの立木信之が当選回数を重ねられるのも、全ては気のいい地元の後援会の後押しのお陰。近年に迫った参議院議員選挙を見据え、そろそろ動かねばならない節目を迎えていた。  そこで東京見物を兼ねて、後援会の重鎮たちを東京の屋敷に招待したのだが、妻に先立たれた立木氏には接待役を受け持つホステス役がいない。  そこで急きょ、咲姫が呼ばれたわけだ。  「頼むよ。ほんの一週間の事だから・・」、珍しく下手に出ると、丁重に頼む父親に負けた。  それに咲姫がパリの社交界で大きな顔が出来るのも、父親が日本の国会議員だというハクがあるからこそ。  パリでも有数の放蕩者、莫大な資産を保有するジャン=ルイはパリ社交界の有名人で、その婚約者が日本の政治家の愛娘だと言う格付けはとっても重要だった。  「ワタクシはね、そこらの馬の骨じゃありませんのよ」、それが咲姫の口癖。大いに胸が張れる大事な切り札だから、その父親の立場の確保は軽視できない問題だ。
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