第一回.本格ファンタジーとは? ジャンル分けは必要なのか

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第一回.本格ファンタジーとは? ジャンル分けは必要なのか

※はじめに  こちらのエッセイへの応援スターは不要です。  こちらのエッセイはあくまで自分自身の知識や思考のアウトプットのための場であり、ランキングは狙っていません。  記事を読んで本当に面白いと感じて評価いただけましたら嬉しく思います。  はじめまして、ウェブ小説家の皐月紫音です。  普段は『UnderGround Magica』というダークファンタジー小説、及び『BOOK of the Pale Moon』という幻想文学小説をエブリスタで連載しております。  こちらのエッセイでは日頃、私が考えていることをアウトプットしていければと思っております。  今回のテーマはタイトルにもあるとおり、〝本格ファンタジーとは? ジャンル分けは必要なのか〟ということです。  〝本格ファンタジー〟はどういうものなのかは、度々ウェブ小説の界隈では議論にあがる話題です。  まず、最初に大切なことを伝えておくと、今回のエッセイでこの問題について決着をつけるつもりはありません。  あくまで私の主観的な捉え方の話です。  〇〇という根拠があり、私はこう定義するのようなことを皆様に発信する記事ではないということですね。  どちらかというと、重要なのは後者の〝ジャンル分けが必要なのか〟ということです。  何故、前者を重視しないのかというと話の前に、ここはサクッと読み飛ばしてしまって良いものなので、早速私なりの定義を書いておきます。 【本格ファンタジーとは】 ⭐︎本格ファンタジー  老若男女、誰でも楽しめる一般向けファンタジーの中でも完成度が高いのはもちろん、物語の世界やテーマが壮大で読むためのカロリー消費量が高いもの。  例.『指輪物語』 『氷と炎の歌(ゲーム・オブ・スローンズ)』 ⭐︎一般向けファンタジー(一部ライトノベル含む)  老若男女問わず楽しめるように作られたファンタジー作品。    キャラクターがライトノベルのキャラクターよりもリアルな人間として描かれている。  用語が凝っているものよりもシンプルなものが使われていることが多い。    例えば一般向けファンタジーで敵の組織に【結社ウロボロス(英雄伝説シリーズ)】という名の勢力が出現したり、副題に【踊る世界、イヴの調律(黄昏色の詠使い)】と付くようなことは、ほとんど無いのではないでしょう。  例.『デルトラクエスト』 『ダレン・シャン』『ナルニア国物語』『ハリーポッター』   『花守の竜の叙事詩』『グランクレスト戦記』  ⭐︎王道ファンタジー  わかりやすく言えば、〝友情、努力、勝利〟のようなシンプルな正義がテーマにあり、主人公達への憧れを抱かせるような真っ直ぐなメッセージ性がある。  例.『英雄伝説シリーズ』『テイルズオブシリーズ(作品にもよる)』『飛べない蝶と空の鯱』  ⭐︎ダークファンタジー  一般的にイメージするのは暗く重いストーリー、残酷な映写、暗い世界観の物語でしょうか。    個人的には一昔前のスクエニ系のようなダークで耽美な世界、スタイリッシュでオシャレなファンタジーの印象も強く、私が作りたいダークファンタジーは、こちらの方が近いです。  例.前者寄り『伝説の勇者の伝説』『六花の勇者』『異世界迷宮の最深部を目指そう』   後者寄り『D.Gray-man』『ダークロード』『パンドラハーツ』『黒執事』『ブラッディ・クロス』『FFシリーズ(VIIなど)』  ⭐︎なろう系ファンタジー  現代の流行でいえば、死亡→特殊な力(力ではないこともある)を持って転生→いろいろとある→最終的にはハッピーエンドという一定の様式を持つ長文タイトル系作品。  程度の差はあれど、爽快感や主人公は勝つ、ヒロインは主人公を必ず好きという安心感を重視してる作品が多い印象。  例.『無職転生』『転生したらスライムだった件』      ファンタジーにも私の解釈として上にあげましたが、様々なジャンルがあります。  本格ファンタジー、王道ファンタジー、ダークファンタジー、なろう系ファンタジー……。  他に一般ファンタジーや本格ファンタジーに【幻想文学】を含めることもできるでしょうが、幻想文学は〝文学〟としての面が強く、日常に混じる非日常、怪奇のような要素が強いので扱いが難しく、独立したジャンルとして見た方が良い気もします。  これらの定義は絶対的なものとは言えず、曖昧で人によっても変わるでしょう。  これを正解として私は皆様に押し付けるつもりはありません。  更に言えば私は、これらの定義の確実性に関しては、そこまで重要だとも思っていません。  これらの定義を考えることが、私たちの創作活動の中で優先順位が高いと言えるでしょうか?  自分の作品を理解する事は大切ですが、そこにジャンル分けの確実性はそこまで必要ないと私は思っています。    それは実際に本を出す出版社、このようなことを考えるのが好きな人に任せておけば良いのではないでしょうか。  ですが、我々にも考えるべきことがあります。  このようなジャンルの話になるとよく出てくるのが、そもそもジャンル分けすること自体が間違っている。  それが争いのもとなのだという意見です。    このような考えを持つ人が出てくる背景には、自然と発生してしまう作品ジャンル同士の〝権威〟の差、ランキングや売上至上主義的考えなどがもたらす双方の争いがあるのではないでしょうか。 【ジャンル分けは悪なのか】  結論から言うと私はそうは思いません。  寧ろ、しっかりとその作品はどのようなジャンルのものであるのかを定義することで、不要な争いを生まないことにも繋がると考えています。  例えばラーメンという大きなジャンルの中には更に【醤油ラーメン】や【とんこつラーメン】というジャンルがあります。  これは小説というジャンルにおける【ファンタジー】や【恋愛】という更に細かなジャンルと同じです。  そして、ここから更にどのような【醤油ラーメン】であるのかという風に細分化できます。  これを醤油ラーメンは全て醤油ラーメンだのように括って仕舞えば、それはラーメンの可能性を狭めて窮屈にしてしまうだけです。  ある街に二つのラーメン屋があり、片方は昔ながらの王道の町中華のような醤油ラーメン、もう片方はご飯と一緒に食べたくなるような油ギトギト系のラーメンを売っています。  学生街であるこの街では後者のラーメンの方が人気があります。  若くて食べ盛りの学生さん達は味が濃くて、油がたっぷり浮いたラーメンと食べ放題の白米が食べたいんです。  町中華の方のお店はいつも空いています。  それでは、こちらのお店に価値はないのでしょうか?  油たっぷりのラーメンに比べて美味しくないのでしょうか?  もちろん、味に一定のクオリティがあってサービスの質が高いなどの条件が整っている前提ですが、私はそんな事はないと思います。    この街に住む人の特性が違っていれば、また結果は違うかもしれません。  それに来る人は少なくても、このようなお店は貴重な昭和のような風景として常連さん達に愛されていたりもします。  ですが、このような評価をするにはしっかりと前者と後者では同じ醤油ラーメンでも違うものであると、ジャンルを分けて考える必要があります。  また、ジャンル分けがあるからこそ、それぞれの作家にも出版社にも〝大義〟が生まれるのではないでしょうか?  同じ少年漫画でも、ジャンプ、サンデー、マガジン、ガンガンなどで傾向に違いがあるように、ファンタジー小説を求めていたとしても角川と創元社では求めるものが違うでしょう。  もちろん、実際には〝大義〟と〝利益〟の両方を追求する必要が出版社にはあります。  今はあらゆるライトノベル関係の文庫で出版される作品の差が小さい印象を受けます。  私自身、自分の書くようなライトノベルがどことならば相性が良いかを考えて出版されているものの傾向を調べていましたが、多くの文庫でウェブで流行しているなろう系ファンタジーが中心的に取り扱われています。  それは一定の利益が見込めている証拠でしょう。  私は昔のライトノベルが大好きな人間です。     同じようななろう系作品でも実は各文庫で選んでいるものにも差もあるのかもしれませんが、お恥ずかしながら私のような人間からするとほとんど違いはわかりません。    本音を言えばもっとバランスを取っていただきたいですし、評価の基準に差がないならば多くのライトノベル系文庫が存在する意味はあるのでしょうか。  ですが、事実として会社は理想以上に社員を養うためにも利益を追求する必要があるでしょう。    少なからず、ライトノベルというものが好きな人達が、このような組織の中には居るはずです。  彼らも本音としては、うちの文庫からはこういうものを出したいんだという大義を胸に抱いているのではないでしょうか。  もちろん、それが長期的に良いかは別にして組織の今得られる利益を彼らは優先させなければいけないでしょう。  ですが、私たち物書きはそうではありません。  私たちは自分の意思でどのような大義も持つことができます。  【異なる大義を持つ私たち】  古典の良さを今の時代に合う形にして守り続けるでも、日本が世界に誇る本格ファンタジーを作るでも、出版社が求めるだろう流行作品をコンスタントに書籍化できる作家になるでも、限られた人よりも一人でも多くの人に楽しんでもらえる作品を書くでも、その逆に自分の好きなものにとことん人を巻き込んでいくでも良いです。  そしてそれぞれの異なる大義がある以上、これがぶつかり合うことは不可避です。  更に言えば私は一つの正しい大義を決める必要性も、相手のものが自分と異なるならば認める必要性もないと思っています。  だって、そんな簡単に折れるようなものならば大義ではないでしょう。  それでは創作界隈でよくあるように気に入らない意見を釣り上げて、レスバをしろというのかというとそれも違います。  私たちに必要なのは、〝理解する〟ことです  相手が何に価値を感じているのか、それは自分の物差しで測って良いものなのか、それを考えて異なる意見を、自分の良いと思うものと全く違う作品の価値を認めなくても理解する。  ルールを守り、真っ当に創作している以上は多様性は存在を認められるべきものであるはずです。  時には価値観の違いから争いがあるのも仕方なく、そこで一線を超えないために道徳があり、一線を超えた時のためにルールがあります。  それでもどうしても許せないことというのも私達には、おそらく何かしらあるのではないでしょうか。  例えば私はR18でエロを書いてる方々のことは何も悪いと思いませんが、一般で性的なタイトルで釣っている作品には不快感を感じます。  また、例えば今の流行ものばかりが書籍化されるのはおかしいと思う方々なども居るでしょう。    そういう時は、これは過去の自戒の念を込めてですが、誰かを攻撃するのではなくて意見として出版社やサイトなどに理性的に提案すれば良いと思います。  SNSで作家同士がこんなに繋がっているのですから、同士を集めて一緒に提案するのも良いでしょう。  【大義はいつでも誰でも明文化できる】  これを書いている私も、読んでる多くの方もおそらくはまだ創作においては何者にもなれてない側の人間です。  ですが〝自分の大義は今すぐに明確にできます〟。  自分が創作で何を成したいのか、どんな物語を作りたいのか、誰に届けたいのか。  それを言葉にするためにも〝ジャンル分け〟は大切なのではないでしょうか。    あなたが書きたいのはどんなファンタジーなのか、どんな恋愛なのか。    王道の剣と魔法の物語なのか、血生臭い暗く憂鬱な悲劇の物語なのか、障害の多い困難な恋の物語なのか、いつでも笑って楽しめるようなラブコメなのか。  私が書きたいのは、ライトノベルにおいては耽美でダークな世界観を舞台として描かれる一遍的ではないそれぞれの正義が激突する群像劇的ファンタジーです。  読んだ人の背中を押して、人生を更に自分の望む方向にすすめるための努力をするための原動力になるような熱いメッセージ性を込めた物語を作りたいです。  そしてイラストレーターのしおしはさんの絵を付けて書籍化することも目標です。    自分の最高に好きな物語を最高に好きな絵師様の絵を付けて世界に送り出して、自分の好きなものに多くの人を巻き込みたいですね。  幻想文学に関しては私もまだ手探りの状態ですので、これから自分なりの型を明確にしていくつもりです。  自分の大義を明確にしたら、あとはそれに向かって進んでいくだけです。  あなたの理想が体現できてるかは、あとは受け手となる読者様が評価してくれるでしょう。  【今回のまとめ】  ・ジャンルの定義の確実性は少なくとも作家はそんなにこだわる必要はない  ・ジャンル分けは争いを減らすためにも必要  ・相手の価値観や作品を認める必要はないが理解する努力はした方が良い  ・相手の作品、やり方が気に入らなくても直接その誰かを攻撃はすべきではない(自戒の念を込めて)  ・何者かにはまだなれてなくても、どんな物書きになりたいかは今すぐ決められる。
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