無能者は離縁する

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無能者は離縁する

「幼少の頃の約束で妻にしてやったが、愛などない夫婦関係などこれ以上耐えられない。それに、おまえにはなんの能力もない。つまり、無能者だ。ヘラヘラ笑う以外はな。それに比べ、きみの義姉こそ力を備えた本物の能力者。皇族にとって、いや、おれにとって必要なレディ。なにより、陰気でなにを考えているかわからないおまえより、美しくて愛くるしい。彼女こそがおれが真に愛するレディ。よって、いまこの場でおまえを離縁する。おいおい、こんなときまでヘラヘラ笑うのか? 気味が悪いぞ」  どうやらわたしはたったいま離縁されたみたい。  やっと自由になれたのである。  これがよろこばない手はない。笑みがこぼれないはずがない。  よりにもよって、宮殿の大階段の踊り場で彼と鉢合わせした。  元夫でありこのウォーターズ帝国の皇帝であるネイサン・サッカリーは、いままでで公然と浮気をしていた。  代々の皇帝は、なぜか側妃を置くしきたりがない。表向きは、正妃のみ存在する。ずっと昔に、後継者争いで血みどろの戦いにまで発展し、他国に攻め込まれて滅亡しかけたことがあったらしい。  無益な後継者争いを回避する為だとか。  もっとも、それはあくまでも表向きだけど。  当然、代々の皇帝がそれで満足するわけがない。  代々の皇帝は、ある者はひたすら隠し通し、ある者は公然と浮気や遊びを繰り返している。  彼もそうだった。  わたしのお父様は、このウォーターズ帝国でも三大公爵家の筆頭アンダーソン公爵で、亡くなったお母様は歴代の宰相を輩出している名家の出身。  わたしたちが生まれたと同時に、わたしたちは将来夫婦になることが約束された。つまり、婚約者どうしになった。  そして、物心ついたころから厳しい妃教育を受け、社交界デビュー後に婚約者から妻になった。  ちょうどその頃、お母様が亡くなった。長い間病と闘った果てにである。  わたしは、お母様が最期を迎えたときでさえ側についてあげられなかった。それどころか、お見舞いにも行かせてもらえなかったし、お葬式の参列でさえ許してもらえなかった。  お母様の死後、さほどときを置かずしてお父様は後妻を迎えた。訂正。後妻とその娘である。  その娘は、わたしより年長。お父様の血を継いでいるらしい。  ということは、お父様はわたしが生まれるずっと前から浮気をしていたことになる。  お母様が病と苦しんでいるときも、お父様は後妻とその娘とすごしていたのだ。 (お母様は、そのことを知っていたのかしら?)  ときおり、ふと考えてしまう。  知っていたのだとすると、どれだけ悲しかったことか。寂しかったことか。  いまのわたしなら、それがよくわかる。  わたしもまた同じような境遇にいたから。  書物に出てくる王侯貴族のスキャンダル系の話と似たよなものである。  アンダーソン公爵家の女児には、皇帝とその一族を守る為の特殊な能力が備わっているという言い伝えがある。  そんな言い伝えは、いまでは言い伝えにすぎないけれど。  それでも一応その言い伝えがあるからこそ、アンダーソン公爵家は三大公爵家の筆頭でいられるし、女児は皇帝の第一子の妻になる約束がされている。  その約束があるからこそ、わたしはネイサンの妻になった。  それも束の間だった。後妻にくっついてきた娘、つまり義姉がどういう手を使ったのかネイサンに取り入り、彼をモノにしてしまった。  わたしとしては、正直それでよかった。  もともと、ネイサン自身が大階段の踊り場で宣言した通り、わたしたちの間には愛どころか友情、それどころか顔見知り程度の付き合いさえなかったのだから。  幼いときの初対面の瞬間からである。  彼は、初対面で言った。 『能力があろうとなかろうと、おれの前ではヘラヘラ笑うだけの無能者でいろ。いいな』  そのようなことを。  だから、わたしは彼が苦手だった。  それは、大人になったいまでも続いている。  というわけで、彼が義姉と浮気をしようが遊ぼうが関係ない。わたしはわたしで、彼が命じた通りに公でもそうでないときもひたすらヘラヘラ笑うだけだった。  しかし、それだけではすまなかった。
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