片道切符

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片道切符

東京駅12:20発 はやぶさ23号。 北海道行きの切符を片手に改札をくぐる。 わずか4時間と少しの、 この切符を手にして私があの街へ向かうのは 15年ぶりになる。 新函館北斗着は16:30 。 年末のこの時期、着く頃にはきっと 辺りは日も暮れ真っ暗だろう。 あれは、2週間前のこと。 私のアパートの錆びれたポストに 懐かしい文字で宛名が書かれた封筒が届いた。 差出人を見なくても、 すぐに誰が書いたものか分かった。 封を切ると中には新幹線の片道切符と 便箋に「会いたい」の一言。 18歳の頃。 は愛だと信じて疑わなかった。 高校卒業と共にずに何もかも投げ捨て、 北海道の田舎町から東京へ飛び出した。 あの頃のは、 本当に怖い物知らずだったと思う。 決して、後悔はしていない。 もし後悔をしていれば、 彼を引きずる事などなく 他の男と結婚する事も出来ただろう。 でも、私にはそれが出来なかった。 どんなにハイスペな男と付き合っても、 どんなに贅沢をさせてくれても、 満足出来ない、が違った。 ハタチになる直前、 彼の両親が東京に迎えに来て離れ離れに なった。夕食前、温かいご飯が並ぶ中、 突然現れた彼の両親。 話し合いもなく、無理矢理、連れ去られる様に アパートの前からタクシーに押し込まれた。 エプロンをしたまま、立ち尽くす19歳の私には 何も、何も、出来なかった。 声を上げる事も、泣く事も出来なかった。 幸せすぎた短い暮らしは、冬の線香花火の様に 季節はずれなのに鮮やかに光り輝き、 突然、ポトリと終わりを告げた。 そんな事を思い出しながら、 窓に映る自分のこめかみの1本の白髪が 15年という時が流れた事をしみじみと 感じさせた。 お互い、一目で見て分かるだろうか? もし、老け込んだ私を見て彼が残念な顔を したらどうしよう。 ハタチ前の女の子の様に色々と考えていた 自分に気がつくと、思わず、 「バカみたい」と呟いてしまった。 ・・・彼だって30代半ばの中年よね。 気がつくと、窓の外はあっという間に 東京駅から乗った風景とは変わり、 ビル群が消え、視界が開けていた。 足元のヒーターの効きが弱くなって 冷たく感じる。 確実に北上しているのだ。 私が1人になって数年後、 彼が彼の両親に勧められた人と結婚した事を 人づてに聞いた。 子供が2人いる事も、その後、離婚をした事も。 そして、再婚をした事も。 もう、私の入る隙は無い。 聞きたくない彼の情報が、私の東京での 一人暮らしの孤独感を増幅させた。 都会の独りぼっちは、田舎の独りぼっちよりもはるかに辛かった。 こんなに沢山な人がいるのに、を 知る人はいない。 その苦しさを何度も掻き消そうとする度に、 心が叫び声を上げ、胸の奥に寂しさを押し込んできた。 彼が幸せである事を祈る一方で、無理やりに 引き離された叶わない想いを必死に誰にも 漏れないように守ってきた。私は静かに、 あなたと暮らした思い出にしがみついていた。そして、ここまで生きてきた。 2度とあなたには、会いたくても会っては いけない。 やがてSNSが盛んになって「友達かも?」の欄に高校の同級生が現れる様になる時代になって も私は故郷の誰とも繋がりたくなくて、 アプリを削除し、名前を仮名にした。 私は故郷からも、彼の現実からも逃げていた。 気がつけば、15年間も経っていた。 ーーー忘れなきゃ。 そう思って、合コンに参加しても、 友人に勧められた人と会っても、 の面影を探してしまう。 ーーーもう、思い出に縋って現実から逃げてはいけない。 そんな想いを打ち破るように郵便受に届いた 1枚の片道切符。 彼と暮らした部屋から引っ越すことも出来ず、小さな1DKの部屋の、 2人貧しいけど、にこやかに笑いあって夕食 を摂ったテーブル。 改めて「会いたい」の文字を眺めていたら、 涙が溢れていた。 北海道に帰るつもりはなかった。 けれど、もう、最後だと思った。 最後に、きちんとさよならをしなきゃと思った。 手の中の鮮やかな細長い空色の切符は、 裏側が黒く、憎らしい程、私に現実と向き合う事を強いていた。 私は、過去にさよならをしにいくんだ。 車窓の外はもう、何処を走っているのかさえ分からない。 更に足元の冷たさは増していたつま先が冷たい。 仕事の疲れもあるのだろう。 少し眠ろうと思ったが目を瞑る度に、 駆け抜けたあなたとの日々を思い出す。 結構、落ち着かないまま、腕時計の針は、 16時を回り、辺りは真っ暗だった。 新幹線の窓から漏れる光が当たる部分全てに 深く積もった雪原が窓の外に広がり始め、 懐かしさを体で感じた。 車掌の眠そうな鼻にかかったアナウンスが 入った。 「まもなく、青函トンネルに入ります。 このトンネルは・・・」 そう、トンネルを抜けたら、北海道だ。 まもなく、この片道切符の終着駅。 小さなボストンバックを片手に降車口に 立った。 転落防止の手摺りが氷柱を手にした時の様に 痛いほど、冷たい。 “シュー” と、軽い音を立てて新幹線のドアが閉まり、 消えていった。 在来線への階段を降りると田舎に向かう汽車は 先に出てしまった。 赤いテールランプを見送ると誰も居なくなった 在来線のプラットフォームは 1人を感じさせるのには充分すぎた。 黒い空から舞い降りる白い妖精の様な雪。 手のひらを広げると、 結晶の形はあっという間に溶け、消えた。 ーーーあの頃の私たちみたい。 ・・・彼は来るのだろうか。 しばらくして見渡しても、やはり、 ホームには私を出迎える人の姿は居なかった。 ・・・そうだよね、来る訳ない。 降り立った日が暮れかけたホームに 雪がしんしんと降る。 駅の待合室に歩みを進めた。 雪がギュッギュッと鳴く。 とても寒い証拠だ。 サラサラと足元に舞う雪が真冬の北海道を 思い出させた。 15年の月日は、私を寒がりにしていた。 静まり返る駅。 仕方なく、今や切符を渡す相手もない改札口を 切符を持ったまま通った。 在来線の折り返し最終電車を待つ老人が 薪ストーブの向こうで水筒の熱いお茶を 飲んでいる。 上がる湯気と茶の香りが鼻をくすぐった。 古びた木で出来た長椅子にヘタリと座り込み、 我に返る。 この小さな駅で待ち合わせ。 ・・・の、はずだった。 ・・・あんな1通の手紙で北海道まで帰って 来るなんて、バカみたい、私。 本当には来ないのかもしれない。 別れて15年。 改めて、今の彼のことを何も知らない事を 痛感した。 40分してやっと来たローカル線から 降りた客の中にも彼の姿は見えなかった。 ーーー来る訳ないよね。 この街を出ていった時も何もない街だったけど、 日の暮れた窓の外は街灯がぽつり、ぽつりと 並ぶだけ。 商店は駅前の午後5時を過ぎたばかりだと言うのにシャッターは全てしまっていた。 街灯だけが足跡もない歩道を照らしていた。 懐かしさで溢れる小さな街の小さな駅。 高校の頃、CDプレーヤーに繋いだイヤフォンを 片耳づつお互いの耳につけ、流行りの歌を聞いた。肩を寄せ合いながら何本も列車を見送り、 駅員のおじさんに帰宅を促されたこの駅。 無人駅となったらしい静まり返る待合室。 20畳もない待合室。 薪ストーブのゆらめく火を眺めていた。 ーーーでも、やっぱり、会いたい。 寒さが寂しさに拍車をかけた。 会いたいから、あんな封筒にたった1行の あなたの「会いたい」に呼応するように ここまで来た。 会える保証もないのに。 会えなくても、いい。 もう、自分に嘘はつけなかった。 だからここまで来た。 でも、次の新幹線で東京に帰ろう。 何かの間違いだったんだ。 私は新幹線のホームへと向かうため、 ベンチから立ち上がった。 「お客様、お降りになりました新幹線の切符を。」 「・・・え。」 制帽を深く被った駅員が正面から近づいてきた。 「お客様、切符を。」 懐かしい声だった。 片道切符を受け取る懐かしい指先。 背の高い制服姿の胸、喉ぼとけ。 ふっと、彼が顔を上げて寂しそうに笑った。 「切符、届いて良かった。あのアパートに ずっと、住んでいたんだね。」 私は静かに頷いた。 「切符を・・・」 手渡した片道切符に、ぽとりと涙が溢れ、 彼の手が私の頬を暖めた。
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