冬の訪れと悪魔の誘惑

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 手紙を無意識に握りつぶした翌日からリリィの奇行が始まった。  ラプラスと一緒に授業を受けるようになったのだ。午前の座学の授業も、午後の個人指導の時間も、片時もラプラスを手放さない。  他の生徒からしてみれば、もともとあった奇行に拍車がかかっただけのこと。変な子がもっと変になった程度では生徒たちは今更驚かないし、他の生徒との交流を持とうとしないリリィに対して今更興味も湧かない。  しかし、教師からすれば頭痛の種だ。  部屋から私物を持ち出すことは固く禁じられている。無用のトラブルを避けるためだ。  教師がいくら注意してもリリィは黙秘を続け、その決まりを毎日堂々と破り続けた。  結局、リリィの個人指導を担当するマイラが一対一で事情を聞き出す羽目になった。  何を聞かれてもリリィは、だんまりを決め込んだ。心の内でそっとつぶやかれた奇行の理由は、マイラの耳には届かない。 ──悪い人たちからラプラスを守らなきゃ。  唯一残された"家族"を守るために元・公爵令嬢は必死だった。 ◾️  ついにマイラが根負けして聞き取り調査はお開きとなった。  マイラはリリィをタダでは解放しなかった。罰を与えたのだ。朝夕の自由時間を使って屋外のあちこちを清掃するように命じた。 「奇行の理由を話す気になるまで続けてもらいます。清掃場所は毎朝都度伝えます。その間は個人指導も休みにしましょう」  早く話さねば機会を奪われ続けるぞ。そういう類の脅しだった。もちろん、放置し続ければ他の生徒に示しがつかないという事情もあるだろう。 「承知しましたわ」 「話す気になりましたか」 「いいえ。罰を受けることに対してですわ。それでは失礼します」  リリィが退室した後、マイラは先ほどまでリリィが座っていた椅子を見た。 「はあ……それなりに信用されていると自負していましたが、全く信頼されていませんね……」  マイラは皺のよった眉間をもみほぐした。 「問題児め……」 ◾️  明朝伝えられた清掃場所は魔法学校の敷地の奥まった場所にある寂れた一画だった。  夕方の自由時間になってすぐにリリィは掃除用具を背負い、ラプラスと手を繋いで指定場所に赴いた。  魔法学校の敷地をぐるりと取り囲む高い壁と、教室のある建屋に挟まれているせいか、その一画はとても風が強かった。  日陰になる時間が他の場所よりも長いらしく、中途半端に溶けて再凍結された雪のせいで地面は固く凍ってしまっている。 「これほど雪と氷に包まれていては掃除も何もないわね。場所以外の具体的な指示は全くないし、どこから手をつけましょうか」  魔法学校に収容されてから必要に迫られて自分のベッド周りを自分で整えられるようになったものの、屋外の掃除は人生初だ。まるで勝手がわからない。  とりあえず、凍った地面に落ちている枯れ葉を箒ではいてみた。  凍って張り付いていて、まったく剥がれない。 「早く終わらせましょう。勉強する時間がなくなってしまうわ。ね、ラプラス」  リリィの口からため息が漏れる。白い息は吐いたそばから強風に散らされた。  ラプラスが悪い人たちのイタズラの標的にされたこと。ラプラスを守るために毎日部屋から連れ出していること。それらをマイラに打ち明けるという選択肢はリリィの中にはなかった。大人を頼るという発想が彼女には欠けていた。 「砕いたほうが速そうね」  凍結した道で誰かが氷を砕いている様子を授業中に窓から見たことがあった。あれは、もしかすると、魔法学校に収容された日に地下から戻ってこなかった誰かなのかもしれない。  リリィは、背負ってきた掃除道具一式の中から小さな手斧を取り出して刃を地面に叩きつけた。  凍った雪は予想外に固く、小さな欠片を撒き散らしただけでヒビ一つ入らなかった。 「魔法を使えないうえに、力もない。これでは奴隷になっても使い物にならないでしょうね」  手斧を握る自分の手をリリィはぼんやりとした目つきで眺めた。  支給された防寒着と手袋とブーツを身につけているが、寒さと強風は体温を容赦なく奪う。指先は冷たさも痛みも通り越し、感覚がなくなりつつあった。  早く終わらせて屋内に戻りたいが、戻るなら戻るで何らかの成果を出してから戻りたい。  辺りを見回す。  檻付きの犬小屋のような構造物を見つけた。 ──犬なんてこの施設にいたかしら?  不思議に思いながらリリィは檻から中を覗き込む。 「これは……井戸? 滑車も何もないけれど……」 「そりゃあ、お嬢ちゃん。アレだよ。水を汲む必要がないからさ」  井戸が答えた。  
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