冬の訪れと悪魔の誘惑

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 リリィが提出した日記帳は本日もあっけなく突き返された。 「事実の部分はよく書けています。日誌としては素晴らしい。しかし、何度も言いますが、日記としては落第です」 「感想を持つとは難しいことなのですね、マイラ先生。私、このような難題には出会ったことがなくてよ」  リリィの言葉を聞いたマイラの眉間に皺が刻まれる。マイラの方がよほど難題に直面しているようにリリィには思えた。 「魔法とは感情を糧に走らせるもの。日記に感想を書く程度で難題に感じるようでは、君に未来はありませんよ。ここに収容されてから、まもなく半年です」  一年の猶予のうち半分を既に消費しているという事実を突きつけられ、リリィは夢見心地な目を困ったように細めた。 「もうそんなに経ちますの? 先生。日記など置いておいて私にも魔法の稽古をつけていただけませんこと? セラさんとウィルさんはずっと稽古していたのでしょう?」 「今の君には無意味です」  マイラはリリィの請願を即座に却下した。  そして、何かを思い出したように眉間の皺をふっと緩めた。 「今朝も食堂で話しましたが、最近君は少し卑屈になっていますね。良い兆しです」 「そのような心持ちはヒトにあるまじきものと教え育てられてきましたけれど」 「感情には違いありません。魔法は感情を燃料としますが、感情の種類は問いませんからね」  リリィは頬に手を添えて首を傾げた。 「あら、さようでございましょうか」  マイラはリリィの仕草を見て、考え込む。 「ふむ。貴族として受けた教育が感情の動きを阻害しているのかもしれませんね。課題のレベルを少し下げましょう」  リリィは首を傾げたまま、困ったような微笑でマイラを見つめて続きを促した。 「……日記に書くのは感想でなくてもかまいません。ただし、その時の君の感覚を徹底的に書き出しなさい。いいですね?」 「感覚……たとえば、褒められて背中がむずむずしたというような?」  マイラは課題の日記帳を開いて紙面を指でパシッと叩いた。セラとウィルの送別会の日の出来事を記したページだ。 「そんなところです。今回の日記に書かれていた内容で言えば、『心にへばりつく薄膜』という表現が該当します。こういう感覚を記録してください。そこから突破口が開けるかもしれない」  午後の個人指導から解放されたリリィは、一度部屋に戻った。  ラプラスを抱っこして一息つこうと思ったのだ。  部屋に誰もいないことを確認してから、枕元にてを伸ばす。しかし、そこにラプラスの姿は見当たらなかった。  部屋の中を見回す。 「あら、なぜ窓辺に?」  ラプラスの位置が朝と違っていた。  今朝は確実に枕元に置いてあったはずなのに、なぜか今は窓辺に腰掛けるような格好でちょこんと置かれている。 「悪い人にさらわれたかと思ったわ」  リリィはラプラスを抱っこして自分のベッドに腰掛けた。 「私、魔法を使えるなら、あなたに命を吹き込む魔法がいいわ」  ついでに兄から届いた手紙の続きを読もうと思い、封筒を取り出そうとした時、廊下から足音が聞こえてきた。  相部屋の生徒の足音だ。この半年ですっかり耳が覚えてしまった。  他人がいる場所で手紙を読むのは気が進まない。  リリィはラプラスを枕元に戻し、相部屋の生徒と鉢合わせする前に部屋を出た。 ◾️  適当な空き教室を見つけて兄から届いた手紙の続きを読んだ。  公爵家の力でリリィを収容所から助け出すことは不可能だと明記されていた。  それに加えて、奇跡的に出所できたとしても公爵家はリリィを迎え入れないだろうとも書かれていた。一度ならば父の温情で目通りが叶うかもしれないが、家族としてではなく他人として会うことになるだろう、とも。  収容所でリリィが具体的にどのような扱いを受けているのかは、兄にも父母にも知らされていないようだった。このぶんでは一年間の猶予が与えられたことも知らないだろう。  施設へ来た日に御者が言っていた通りだ。魔法学校の内情は当事者以外誰も知らないのだ。  手紙の最後は謝罪の言葉で締めくくられていた。 「家名を汚したのは私の方ですのに……自由でお優しいお兄様」  それまで心にへばりついていた薄膜が、全身にもへばりついた。  目に映るもの、耳に入るもの、全てが一枚の膜を隔てて存在しているように感じられた。 ◾️  自主勉強に使えそうな空き教室を探すために校内をふわふわした足取りで歩き回っていたリリィは、聞き覚えのある声に思わず足を止めた。  セラとウィルの送別会でリリィの悪口に花を咲かせていた生徒たちの声が、校舎の一番端にある教室から聞こえてくる。  関わってもろくなことはない。  わかりきっているのに何故か足が向いてしまう。  開けっ放しの扉からリリィは少しだけ顔を覗かせて中の様子を窺った。  教室には、話し声の生徒たちしかいない。彼女たちはリリィに覗かれていることに気づかないまま雑談を続けた。  話題は、魔法学校の怪談だった。 「だから、絶対あの古井戸に何かいるって!」 「えー? 声を聞いたって話だけど、本当に聞こえたの? 聞き間違いじゃない? あそこ、風すごいし」 「まあまあ、二人ともその辺で! あとで先生にそれとなく聞いてみない? 面白い話聞けるかもよ。なんてったって、建国の祖が眠る霊廟が地下にあるんだから」  風の強い場所にある古い井戸で、生徒の一人が不審な声を聞いたらしい。  室内にこもって勉強漬けの日々を送るリリィには縁のない場所だ。その井戸が学内のどこにあるのすらわからなかったが、話を聞くうちに場所の見当がついてきた。どうやらその古井戸は学内の奥まった場所にあるらしい。 ──たぶん行く機会なんてないでしょうけれど。  気づかれないように立ち去ろうとしたリリィは、彼女たちの次の話題に耳を疑った。 「気味悪いっていえばさ。あのウサちゃん!」 「あー、ね。燃やしても水かけても焦げ一つ付かないし濡れもしないの、絶対何か仕込んでるって」 「ほんと不気味ぃ。ちゃんと元の場所に戻した? 呪われちゃうかもよ」  空き教室の生徒たちは顔を見合わせた後、一斉に笑い始めた。 「大丈夫。ちゃんと窓際に置いたって。ぼんやりちゃんのルームメイトに『もしもの時は口裏合わせて』って頼んだし」 「え、枕元じゃなかった?」 「まー、バレないでしょ。ぼんやりお嬢様だもん」  ひとしきり笑い転げた後、彼女たちは顔を寄せ合い囁いた。静かな放課後の校舎では、かえってよく響いた。 「あの子、リリィちゃんさ。本当は適性なし(ノットギフテッド)なんじゃない?」 「なになに? 実家のコネで一年間だけ延命ってこと?」 「がんばってますアピールすごいけど、同期の中で一番成果出てないもんね。まさか、コネで卒業までしちゃったりして!」  次の瞬間、彼女たちは「やりかねない! お貴族様ってそういうことしそう!」と声をそろえた。  無意識にリリィは両手を力一杯握りしめた。  左手に持っていた封筒が掌の中でぐしゃりと潰れた。
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