同じ舞台に

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 あ、目が合った。私は漠然とそう思った。まぁ、目が合ったなんてきっと気の所為。だって私の周りにも何百人、何千人、何万人と人はいるのだから。でも、「ファンサは勘違いしたもんがち」なんて言葉もあるし、やっぱりさっきのは私と目が合ったのだろう、そう思うことにした。  私は今、推しのユニットのライブに来ている。動員数一日二万人の大所帯だ。推しは、歌い手。最近巷でも聞く機会が増えた「歌い手」という言葉。その言葉が認知される前から「歌い手」として活動を続けてきた二人組ユニットのライブ。本当は四人のグループだったけれど、活動を続ける中で二人のユニットに減った。けれどそれは決してネガティブなものではない。歌い手をやめた二人は今、バンドマンや歌い手をプロデュースする側に回っているのだ。 先に断っておくが私は決して夢女でもなければリア恋、ガチ恋勢でもない。ただの善良なリスナーだ。自分ではそう思っている。だからこそ、さっき「目が合った」と思ったことに驚いた。普段の私なら歌声を聞いてペンライトを振って、推しの顔はあまり見ていない。顔目当てに来ているわけじゃないから。なのに、「目が合った」と心臓が跳ねた。そのことがとても不思議だった。  そのライブの後、高揚感のまま何気なく握手会に申し込んだ。そして、握手会に申し込んだことを忘れたころ、一通のメールが届いた。あぁ、こんなものに応募していたっけ、なんて大した期待もせずにひらく。けれど、そこには「当選」の文字があった。偶然あたった握手会。私は何度もメールを見返した。結果は変わらず、「当選しました」のそっけない文字と場所のお知らせ。私は信じられない、と何度もつぶやきながら当日を迎えた。何を着ていこうか悩んだ末手に取ったのはお気に入りの白いニットと黒いズボン。そこに厚手のコートとシルバーのアクセサリーを合わせる。きっと他の子たちはふわふわでかわいいワンピースやスカートを履くんだろうけれど私はわたしの好きな格好を選んだ。  私は会場に向かう電車の中で少し昔の事を思い出していた。今の私は大学一年生。私が推しに出会った時は中学生の頃だったはず。そこから約七年間、ずっと好きでいる。きっかけは、何気なく見ていたYouTubeに流れてきたから。ただそれだけ。劇的ななにかが合ったわけではない。それでも一曲を聴き終える頃にはすっかり虜になってしまっていた。まず声がいい。曲も好き。歌い方も気に入った。検索をかけると少し出ている目元も爽やかで好きだった。要するに、完璧だった。もっとも、曲を気に入った時点で、そのほかの何かが欠けていても好きでいたと思うが。  そんなことを思い出しながら最寄り駅でPASMOを改札機に当てて通る。会場は駅のすぐ近く。大きな横断歩道を渡ったところだ。お目当ての会場に足を踏み入れる。 やっぱり会場はかわいい女の子たちでひしめき合っていた。中には男性リスナーもいるようだが、圧倒的に少ない。その中で私は少し異質だった。可愛く見せようとしていないから。メイクだってしてはいるがピンクやキラキラのラメはつけていない。受付にいた女の人にも少し驚いたような顔をされた。別に構わない。私は今、推しに認知をもらいに来ているわけじゃないのだから。ただ応援してます、それだけを言いたい。それで、勇気が出たらあのときのライブ会場で思った事を言う。それだけだ。  私達は会場のアナウンスの元、並べてあるパイプ椅子に座らせられた。ここから先は一人ひとりがこの奥にある部屋に行って推しと握手をして二分、喋るのだ。私は手元に視線を落として自分の整理券番号を見た。番号は、200番。今日の参加人数はぴったり200人。だから私は一番最後だ。ゆっくり、話したいことをまとめて練習できそうだ。それから私は言いたいことを頭の中で復唱し続けた。たまに、スマホを開いて今回の握手会についてつぶやいている人の投稿を見る。流れてくるのはどれも泣いた、とか言いたいことがほとんど言えなかった、とかだった。たしかにいくら準備をしていたとしても実際はうまくいかない、なんてことはざらにある。でも、もったいないじゃないか。次いつ当たるかなんてわからないし、そもそも次があるのかすらもわからないのだから。言いたいことはちゃんと伝えないと。  しばらくすると自分の番が近づいてきた。残り前には三人。少し緊張してくる。最後の番号でこれなのだから、一番最初に呼ばれた人なんてきっとパニックに近かったのではないだろうか。なんてことを考えているとすぐに順番が回ってきた。係の人に促されて隣の部屋に移動する。 扉の前で軽く深呼吸。そして、ノックを三回。中からいつも歌を歌っているときよりも優しい声が2つ、「どうぞ〜」と響いてきた。私はそっとドアノブを捻った。中には長テーブルが一つ。その後ろに推しが二人、並んで座っている。私はその前に進んだ。言いたいこと、言いたいこと。一度息を吸って吐いた。 「この前のライブに、行きました。」 言葉が途切れる。それでも二人はうんうんとうなずきながら話を聞いてくれる。 「それで、とっても素敵でした。」 本当はもっと言いたいことがあるのに。 「「ありがとう。」」 二人の優しい声が耳に届く。もうこれでも良いかもしれない、と思って何気なく視線を机の上のタイマーに走らせる。すると、残り一分半。それを見た途端、私の頭は急速に冷えた。何言ってるんだ自分。折角のチャンスなんだから、ちゃんと話しなさい。冷静な部分に叱咤されて私はもう一度口を開く。 「私は、ライブで二人が、会場が、素敵だと思ってペンライトを振ってました。会場が一体になるのがすごかった。みんな、二万人が脇目も振らず二人を見つめているのがすごかった。私もそのうちのひとりです。私は二人と目が合ったような気がしました。こういうのは勘違いしたもんがちなのでそう思うことにしました。その時、目が合った瞬間、私は、私もそっち側に立ちたい、と思ったんです。 「そっち側?」 驚きを含んだ声で尋ねられる。 私は軽くうなずきながら話を続けた。 「リスナーとして、じゃなくて私も歌い手という立場に立ちたい。それでライブをしたい。ペンライトの海を作る側から見る側になりたい。そう思ったんです。」 「なるほどね。」 タイマーがそこで音を立てて鳴った。けれど、ひとりがそのタイマーをすぐに切った。 「え。」 思わず声が漏れる。 「僕たち、人の言いたいことを遮るほど野暮じゃないよ。みんな、そうしてる。最後の番号だから予定時間よりもかなり押しちゃってごめんね。で、喋っていいよ。」 スタッフさんもそれを心得ているのか「終わりです」とは言わない。 私はそれに背中を押された。二人を見据えて口を開く。言葉にどんどん熱が籠もっていくのがわかる。 「私は、あなたに会いたい。ステージの上で。リスナーとして、じゃない。追いかけでもない。同じ舞台に立つ人間になりたい。他のアーティストさんのライブに行ったこともありますが、二人のライブを見て、初めてそう思いました。」 言いたいことが、言えた。ホッとすると同時に足が震えてくる。でも、後悔はない。 「歌い手になりたいの?歌が好きなの? 」 もう終わりだと思っていた会話が続く。 「歌い手になりたい……少し違うかもしれないです。ただ、ビビッときたんです。そっち側に立ちたいって。なんだろう、ステージの上で歌いたい。たくさんの人を前にしたいと思ったんです。歌は……、得意とは言えないですけど好きです。」 二人がにこやかに微笑んだ。 「そっか。簡単にはいかないけど、頑張って。俺たちはずっと歌い手の最前線に立ってるよ。」 「どうせならここで宣言してく? 」 その言葉に少し面喰いながらも私は言った。たしかに、言った。 「私はステージに立ちたい。」 「うん、よくできました。」 私は深く頷いた。そして、カバンから紙袋を取り出した。ここの握手会では生物以外の差し入れが可能だったのだ。握手会が決まった時、すぐにこれだ!と思ったものを持ってきた。 「開けていい? 」 二人の手に渡ったものはアイマスクだった。 「前に、放送で、最近目を酷使しているとおっしゃっていたので……。」 さっきとは打って変わって小さな声で言う。 「え、すごい。結構前に話したのに。覚えててくれたんだ。」 「これいいね。使う。」 二人が私の予想よりも喜んでくれたことに安堵しつつ、スタッフさんが近寄ってきたことで終わりを知った。 二人が差し出してくれた手を順番に握る。二人の手は、柔らかくて、硬かった。マイクを握って、曲を書く時のペンだこがあって、ギターを弾く人の硬い指先をしていた。これがきっと、この二人の歩んできた軌跡を一番如実に示すもののような気がした。 しばらく手を洗いたくないな、なんて思いながら退出しようとカバンを背負い直すと声がかかった。 「もし、こっち側に来たら、教えて。僕たちは覚えてるよ。”自分”を教えに来てくれた君のこと。」 私はその言葉に深くお辞儀をしながら「これからも応援しています。どうぞ、体に気を付けて頑張ってください。」と言って部屋を出た。  気がつけば予定の二分を遥かに超えていた。たしかに私の回ってくる時間を超えていたから他の人にも同じような対応をしたのだろうが、これはやりすぎだ。おかげで私の口にした言葉はもう、現実味を帯び始めてきているではないか。私は滲む涙を拭ってその足で電気屋を目指した。今、足りないのは経験と、知識と、マイクだ。 会場を出て耳にイヤホンをさす。流れてくる音楽は、もちろん推し二人の曲だ。 人ごみに紛れながら私はそっと呟いた。 「ステージに立ちたい。」 推しの二人の前で宣言できるなんて、最高じゃないか。くじけそうになってもきっとこの言葉はお守りのように私のところにあるんだろう。歌い手になれるかは分からない。あのふたりにあえるだけの大きなステージに立てるかは分からない。でも、やってみよう。  強い風が吹いてきて私の背中を押した。
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