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学校帰り、真紘は可愛らしい紙袋を手に持っていた。中にはプリンが2つ入っている。女性らしい顔立ちからか、甘いものが好きなのではと思われがちだがそういう訳ではない。かと言って嫌いな訳でもなく人並みには食べる。 (喜んでくれるだろうか…) 紙袋の中を覗き込みながら、ふと期待と不安が入り混じる。思い返すと家族以外の誰かに何かをあげたことなどなかった。たかが、プリンとはいえ緊張する。 先週の日曜日、千尋と二人で近くのスーパーに買い出しに出かけた。千尋にハウスキーパーを頼んでから食料品などの買い出しは千尋一人で行くことがほとんどだったが、最近は真紘も一緒に行くことが多い。同行すると言ったとき、千尋は仕事だから真紘が付き合う必要はないと断ってきた。千尋の買ってくるものに文句があるわけではない。だが何かと理由をつけて真紘は一緒に出掛けた。千尋と一緒にいたかったからだ。 なぜ一緒にいたいのか、その理由は自分でもまだよくわからない。 その買い物の帰り道、プリンの専門店が新しくオープンしたらしく、その店の様子を千尋はじっと見つめていた。 「プリン好きなのか?」 「母さんが好きだったんだと思う。たまに買ってきてくれた」 「そうか」 じゃあ買おうか?と言おうとしたところで、千尋はスタスタと前を歩き出してしまった。 店内には小学生くらいの男の子が母親と仲睦まじそうにプリンを選んでいた。 マンションの前に着くと思わぬ人物がエントランスホールにいた。細身の体だが真紘より背は高く、漆黒の髪に色白な肌が端正な顔立ちを際立たせている。前を通り過ぎる人々が、その美貌にみな目を奪われているが当の本人は全く気づいていない様子だった。 「兄さん!」 真紘が声を掛けると、兄の真琴は笑顔で片手を上げた。 「どうしたの?具合はいいの?」 高校に入ってからしばらく会っていなかった兄に会えて嬉しさのあまり真紘は駆け寄った。 「最近はね、すごく調子がいいんだ。真紘も元気そうだね?」 そう言って頭を撫でる手は昔から変わらず心地よい。言われてみれば、色白なことは変わりないが、昔の青白い白さとは違い真琴の顔色は血色が良かった。 「突然なんだけど、今日少し時間あるかな?」 「え?」 「真紘に報告したいことがあって」 思いつくことがなく真紘は首を傾げた。だが兄の表情から喜ばしい内容なのだと想像がついた。今までの真紘なら大好きな兄からの誘いを断る理由などなかった。 予定は特にない。 でもどうしても千尋の顔がチラつく。 「少しだけなら大丈夫。ちょっと待ってて!これ置いて来るから」 兄にそう返すと真紘はプリンの入った紙袋を置きに一度自宅へと戻った。 中に入ると千尋はまだ帰宅していなかった。 プリンを冷蔵庫にしまうと急いでスマホで連絡を入れた。 『少しだけ出掛けてくる。夕飯までには戻るから』 一時間ほどで戻るつもりだった。 この時スマホの充電が残りわずかだったことに気がつかなかった。 「真紘のこと、ひと足先に待ってるよ」 喫茶店の店内で向いに座った兄は笑顔でそう告げた。 先ほど言っていた報告というのは兄の病気がほぼ完治し、来月から両親の研究室に入るというものだった。長年、良くならなかった兄の病だが最近開発された篠原の新薬が体に合ったらしい。服用を始めてから驚くべきスピードで回復したらしい。 兄が大好きな真紘にとってもそれはとても喜ばしいことだった。いつになく饒舌な兄と話しているとすっかり日は落ち予想以上に長居してしまった。 兄に夕飯を誘われたが、やんわり断ると少し怪訝な顔をされたが、それ以上は追求されなかった。 日はすっかり暮れてしまい、時計を見ると21時をもうすぐ指そうとしていた。真紘は息を切らしながら自宅マンションへと帰って来た。遅くなるとは連絡したけれど、それ以降は充電が切れてしまい出来ていない。 インターフォンを鳴らす約束だったが、勝手に外出してしまったバツの悪さから、鍵を使ってそっと玄関の扉を開けた。家の中は静まり返っていた。もしかしたらもう寝てしまっているのかもしれない。起こさないよう、足音を立てずに静かに進んでいく。 そっとリビングに入るとキッチンの上に夕食が用意されていた。綺麗にラップに包まれた食事を見て罪悪感が込み上げる。千尋はやはりいつも通り準備してくれていたのだ。こんなに遅くなるなら要らないとやはり伝えるべきだった。 温めて食べようと皿を持ったところで、視界の端に何かが動いたような気配を感じた。 音を殺しながらソファの方へ近づいていく。 (千尋…) ちょうどキッチンからだと死角で見えなかったが、そこには寝息をたてている千尋がいた。 薄い毛布にくるまっている。 服装は制服のままだ。 まさか…ここでずっと自分の帰りを待っていてくれたのだろうか? 硬い床の上では体を痛めてしまいそうで 起こすのは気が引けたが真紘は声を掛けた。 「千尋、そんなとこで寝てたら風邪ひくぞ」 「んん…」 体を軽く揺すると千尋は眠そうに目を擦った。 うっすらと瞼が開く。なんとなく目が合った気がした。 「千尋、ごめん。急に出掛けて。夕飯作ってくれてたんだな…って、ちょっ…」 そこまで言うと突然起き上がった千尋に抱き締められていた。 「おい…ち、ひろ…?どうした?」 状況が把握出来ない。 なぜ今、千尋に抱き締められているだろう? 胸の鼓動がすごい速さで高鳴っていく。 強く抱きすくめられていて千尋の顔は見えなかったが、その大きな体は震えていた。 「どうした?具合、悪いのか?」 やり場のない両手をぎこちなく宙に浮かせたまま問う。 「……ってこないかと思った」 「え?」 千尋の声は小さすぎて聞き取れない。 「帰ってこないかと思った」 そう言うと千尋はさらに強く真紘を抱きしめた。小さな子供のように首筋に顔を埋めてくる。真紘より一回り大きな体はまだ震えていた。 「帰ってこないわけないだろ?だってここが自分の家なんだから」 自分で言い終えてからはっとした。 そうだ。 千尋の母親は自分の家に帰ってこなかったのだ。「行ってきます」と出て行った家族が必ず家に帰って来る保証なんてどこにもないのだ。 「おかえり」を言えない辛さを千尋は知っている。 もう千尋に悲しい思いをさせたくなかったのに。それをわかっていたはずなのに。 久しぶりの兄との再会で時間を忘れはしゃいでしまった自分が許せない。 「ごめん、千尋。連絡もしないで本当にごめん」 行き場をなくしていた両手をゆっくりと千尋の大きな背中に添えた。 「もうこんなことしない。僕は必ずこの家に帰って来るから」 背中を撫でてやると、千尋が深く息を吐いたのがわかった。 「千尋が待っててくれるなら、必ず帰って来るから」 真紘は千尋の体を抱き返した。 すると震えていた千尋の体が徐々に落ち着きを取り戻していった。 「お前のこと、もう絶対一人にしないから」 体の震えが止まっても千尋は離れようとしなかった。黙って真紘の存在を噛み締めるように抱き締めたまま動かない。 「千尋にさ、プリン買ってきたんだ。だから一緒に食べよう?」 千尋の気が済むまで、真紘はずっと背中に回した手を解くことはなかった。 そして気づいた。 どうして千尋といたいのか どうして大好きな兄といても千尋のことを思い出すのか どうして今こんなにも胸が締め付けられているのか それはこの無愛想なアルファの男がどうしようもなく愛しいからなのだと。 ※更新遅くなってしまいすみません! 前作「どうしようもない僕ら」が完結作品特集に掲載されております。まだ未読のかたはよろしければどうぞご覧下さい。 https://estar.jp/selections/515
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