序章 神の思し召し①

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序章 神の思し召し①

 エヴァン・ラファエロは慌ただしく先を行く司教の後を追っていた。 「枢機卿、皆様が集まっておいでです!」  目的地はとある一室で、司教の掛け声と共にその扉は開かれる。エヴァンは息を整える時間もくれないのか、と心の中でぼやきながらも表情を引き締めた。 「エヴァン、来たか…」  室内のシャンデリアの光が視界に飛び込んできて、エヴァンが室内を確認するよりも前に緊張したような固い声が彼を呼んだ。 「兄上…いえ、国王陛下」  エヴァンは丁寧に頭を下げた。上座に座る中年の男がゆっくりと頷いてから、彼に着席するよう指示する。  神聖ラファ王国の王弟であるエヴァンは彼が信仰する教会に所属しており、神への誓いと共に婚姻を結ぶことが出来なくなった為王位継承権を手放し枢機卿となった男だ。  着席し一呼吸した事でエヴァンはやっと周りを見渡すことが出来た。エヴァンと同じ枢機卿たち、高位神官、重鎮の臣下貴族、国王、そして教皇…錚々たる面々が揃っていた。 「さて、皆の者にこうして集まって貰ったのも他ではない…」  いきなり本題から入った国王は余程の焦りがあるらしい。緊張した表情で額に冷や汗を流しエヴァンたち一人ひとりに目配せを送り、覚悟はいいかと言わんばかりの鋭い眼光だ。 「本日下った神託のことについてだ」  皆一同が重大な案件だと分かっているようで、強張る顔で頷いている。 「次代の『聖女』のご指名があった」  すでに神託の内容は把握している。ここ、神聖ラファ王国では『神の愛し子』である聖女を代々継承してきた。その時代の聖女が王族に嫁ぐことにより、王族に神の血を入れ、神聖なる濃い血と神聖力をもって国の安寧を守ってきたとされる古くからの文化が未だ強く根付いている小国だ。  小国ながらも強い発言力を持ち生存出来ている理由は、やはり高い神聖力と奇跡の力を持つ聖女の存在が大きい。それだけにこの国では、聖女の力は絶対的であった。 「さて…どうしたものか…」  国王が頭を抱えている様子を横目に、エヴァンは悔しさから下唇を噛み締めていた。  聖女とは代々、教皇自らにより高い神聖力を持つ者を指名して儀式を行い継承されてきた。しかし、ごく稀に神託が下り神直々に指名される場合もある。そう、今回のように。  本来であれば国を挙げて祝うべきことである。しかし、この一室には喜びを顔に浮かべている者は一人もいなかった。 「…カイザル竜帝国皇帝さえいなければ…」  誰かが不用意にポツリと溢した独り言。しかし皆の気持ちは同じようで、誰も責めはしなかった。  事の発端は神聖ラファ王国と友好関係にある大国イエストロ王国がとある国と戦争を起こしたことから始まった。  イエストロ王国は大陸の中でも強大国と名が上がるほどの強い国で、戦争相手も同じく強大国と名の知れたカイザル竜帝国という国だった。この二つの国はとにかく仲が悪い。戦争、とは言ってもまるでチャンバラごっこのような戦争ごっこであり、もはや毎年恒例だと近隣諸国からは呆れられていた。  イエストロ王国とカイザル竜帝国が本気で戦争を始めれば、周りを巻き込み大乱戦となるだろう。それを双方分かっているからこそ、毎年『牽制』戦争を起こしていたのだ。  しかし、今回の戦争ではその均衡は崩れた。カイザル竜帝国皇室に新しく即位した若き皇帝、アレクサンドロス・シーザー・ドラゴミールの手によってイエストロ王国は敗退することとなった。  神聖ラファ王国からすればいつもの要請だった。イエストロ王国への戦争支援として神官を遣わして欲しい、という内容は。だが、蓋を開けてみれば『牽制』戦争に敗退し、後に引けなくなったイエストロ王国がカイザル竜帝国へ宣戦布告をしたのだ。  神聖ラファ王国はもう逃げられなかった。カイザル竜帝国にとっては敵となり、せめてイエストロ王国に勝利して欲しいという願いも、冷酷非道な魔王皇帝と名高いアレクサンドロスによって叶うことはなかった。  つまり神聖ラファ王国は敗戦国となり、カイザル竜帝国へ賠償金を支払わなければにらない立場にある。かの帝国との取り決めにより、神聖ラファ王国は『今代の聖女』を差し出すことが決められていた。  エヴァンたちにとっては苦渋の選択であった。せめて聖女の立場を守って貰えるよう、皇帝への花嫁として捧げることを相手方にも納得してもらった。  今代の聖女は今16歳の成人したばかりの若き乙女だ。まだ成人していない王太子の成長を待ち、数年後に婚約を結ぶこととなっていたが彼女の意向もありカイザル竜帝国へ嫁ぐこととなっていた。 「…神よ…我々を試しておられるのか…」  エヴァンは力無く呟く。聖女は明日、帝国へ旅立つ筈であった。神の神託さえ降りなければ、上手くまとまっていたのだ。  次代の聖女を指名する神託。そう、今まさに帝国へ嫁ごうとしていた彼女は先代聖女となったのだ。カイザル帝国へ嫁ぐのは、神託により指名された『今代の聖女』となる。 「……良いのではないでしょうか。神直々の指名により生まれた聖女です。あちらも有難いのでは?」  とある枢機卿が恐る恐ると手を小さく挙げて発言する。  国王は、うむ…と曖昧な態度で返事をした。確かに、先代聖女とはいえ聖女である。彼女が国に残ってくれるのならば、筒がなく王太子との婚約を進められるのだ。こちらにとっても有難い。 (しかし…今代の聖女は…)  エヴァンは唸った。 「だとしても、今代聖女を送られたアレクサンドロス皇帝はどう思われるでしょうか?」  そう、問題はそこなのだ。 「神託聖女とはいえ…3歳の花嫁など…」  神に指名されたし聖女、シエラ・エル・ヴァニラ。神自らが選んだ証として『エル』の祝福名を頂く少女…いや、赤子だ。辺境伯爵ヴァニラ家に生まれたばかりの穢れを知らない純真なる聖女である。 「あの魔王皇帝のことだ。怒り狂って、今度こそ我が国を滅ぼさんとするのでは…?」  皆がゾッと背筋を冷やす中、教皇が決断を下す。 「…覚悟を決めて、神の御心に従いましょう…」  —序章 神の思し召し①・終—
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