第15話 アウグネストの『運命の番』2

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第15話 アウグネストの『運命の番』2

「ええー!? ボクが拭くの?」 「当たり前だろ。お前が汚したんだから。お前が綺麗に戻すのが筋ってもんだ」  俺の言うことはもっともだと、子供なりに分かったんだろう。シェフィは不満そうな顔をしつつも、素直に言うことを聞いて窓拭きを始めた。  よしよし。生意気な悪ガキかと思っていたけど、案外いい子じゃないか。  その日の昼下がり。俺たち三人(俺、テオ、シェフィ)は、紫晶宮の庭にいる。昼食を食べ終えてから碧晶宮まで赴いて、シェフィを連れてきたんだ。シェフィの面倒を見ていたリュイさんは、事情を話したらすんなりとシェフィを引き渡してくれたよ。  よくよく考えたら王婿は一人しかいないのにあまり姿を見せないリュイさん、普段は主にシェフィの面倒を見ているんだそうな。どうりであまり紫晶宮に顔を出せないはずだ。  雑巾で懸命に窓を拭くシェフィを眺めながら、俺は話を振る。 「そういえばお前さ、アウグネスト陛下の王婿になりたいのか?」  元々、俺に喧嘩を売ってきたシェフィだ。アウグネスト陛下は自分のもの、だなんて子供じみた――実際に子供だけど――独占欲丸出しだったし、アウグネスト陛下のことがきっと好きなんだろう。  シェフィは窓を拭く手を止め、俺を挑むような眼差しで見上げた。 「当たり前じゃん。ボクは大きくなったら、アウグネストの子供を産むんだ」 「そ、そうか」  うーん、最近の子供はマセているな。さすがに子作りの仕方までは分かっていないと思うけど。っていうか、そうであってほしい。子供は純粋であってくれ。  俺はテオとちらりと視線を交わしたけど、どちらとも何も言わなかった。子供の夢を壊しちゃいけないよなって思ったから。 『シェフィがアウグネスト陛下の『運命の番』ってことは、シェフィはいずれアウグネスト陛下の正婿になるのか?』 『それはない。エリーも分かっているだろう、僕たち魔族の繫殖能力の期間を』  魔族っていうのは、成人してから十年間が繁殖能力のピーク。それ以降はガクンと生殖能力が落ち、三十代半ばには完全に無くなってしまう。  今八歳のシェフィが成人する十年後……アウグネスト陛下は現在すでに二十五歳だから、三十五歳前後。おそらく、生殖能力は消失しているだろう。  つまりは、そういうことだった。  こういう、七煌魔王と『運命の番』の年の差がかけ離れているケースは、珍しいことだという。『運命の番』っていうのは、七煌魔王が王位につくのと同時に選定される仕組みみたいなんだけど、一般的に同年代が選ばれるそうだから。  アウグネスト陛下の父王の前正婿もそうだ。ただ、前正婿は若くして心臓の病で突然死したそうだけど。ただ、亡くなる寸前に、アウグネスト陛下の父王に強力な特性抑制の術をかけたらしく、そのおかげで父王の方は絶倫王にならずに済んだのだとか。  とまぁ、それはともかく。シェフィはいずれ現実を知ることになるだろうから、その時の反応が心配だよなぁ。絶対ショックを受けるだろ。子供を持つことがすべてとは思っていないけど、シェフィは一人も子供を産めない立場になるわけだし。  なんてことをつらつらと考えているうちに、いつの間にか窓がピカピカに磨き上げられていた。どうだ、やればでるんだぞ、とでも言いたげに、シェフィは得意げに胸を張っている。  俺は大袈裟なくらいに褒めてやった。 「おお、すごいな。綺麗になったじゃないか」 「ふふん、まあな」  目を凝らすと、まだうっすらと泥がこびりついているけど……ま、もう十分か。よく頑張ったよ。褒美を与えよう。 「紫晶宮の中にこい。おやつを準備してあるから」 「やった!」  シェフィは大喜びで駆け出していく。「こら、ちょっと待って」とテオが慌てて追いかけていくのを任せて、俺は掃除用具を片付けてからのんびりとあとを追いかけた。  で、俺が紫晶宮に入った時にはもう、シェフィは食堂の席についていて、おやつのパンケーキを頬張っているところだった。口いっぱいにパンケーキを詰め込む姿は、狼というよりもリスみたいだ。その微笑ましさに、宮男たちみんな目尻を和ませている。  幸せそうだなぁ。なかなか単純な奴だ。子供らしくていいけど。 「これ、うまいな! 誰が作ったんだ?」 「メルニさんだよ。お菓子作りが得意なんだ。ちゃんとお礼を言えよ」 「い、いいえ! お礼だなんて滅相もありません」  謙虚な猫男の宮男は遠慮するけど、こういう礼儀は子供のうちからしっかり叩き込んでおかなきゃダメだと思うんだ。って、俺も成人したばかりだけどさ。子持ちでもないし。だから教育論なんて偉そうに言える立場じゃないけど、でも感謝と謝罪の言葉はきちんと出せるような大人になってほしい。  そんな俺のささやかな願いが通じたのかは分からないけど、シェフィは口をもぐもぐとさせながら、「ありがとう、メルニ」とお礼の言葉を伝えていた。  リュイさんがきっとしっかり躾をしているんだろうな。生意気なところはあるけど、根っこは素直でいい子っぽい。  ともあれ、シェフィはあっという間におやつを完食した。かと思うと、盛大にあくびをして眠そうに目を擦り始めている。  おや。おやつを食べたら昼寝をしたくなったのか? やっぱり、子供だな。  今にも寝そうになっている子供をそのまま家に帰らせるほど、俺も鬼畜じゃない。転んで怪我をしたら大変だしな、ここで昼寝をさせてから碧晶宮に送り届けよう。 「おい、シェフィ。昼寝するんなら、こっちにこい」 「うん……」  眠気のあまりかおぼつかない足取りのシェフィの手を引いて、広間のソファーに横たわらせる。テオに薄手の毛布を持ってこさせて、風邪を引かないようにシェフィの体に掛けてやる。  ふかふかのソファーに仰向けになったシェフィは、数秒後にはすやすやと穏やかな寝息を立て始めた。幸せそうな顔をして寝ているよ、まったく。 「ふふ。寝顔は天使みたいに可愛いね」 「起きたら、わがまま放題の生意気なガキンチョだけどな」  俺とテオは小さく笑い合い、そっとその場を離れた。俺たちの分のおやつもあるっていう話なので、俺たちは食堂に戻ってパンケーキをいただく。  生地がふわふわだ。お店で食べられるようなクオリティのパンケーキだよ。甘すぎない生地が、イチゴの甘味と酸味に絶妙にマッチしていて、すごくおいしい。  さすが、メルニさんだ。菓子職人としてもやっていけるよ、これなら。 「メルニさんって、どこの出身なんでしたっけ」 「私はクウェーリス地方の出身です。西北に私の種族が住む街がありまして」  ほう。クウェーリス地方っていうと、王都に隣接している地方だな。ガーネリア王国の端っこにあるオークの村出身の俺に比べたら、断然都会っ子じゃん。  ちなみにテオの実家が治めるフェリアーノ地方は、クウェーリス地方を超えたところだ。方面的には一緒だけど、でも王都から離れている分、ちょっと田舎になるかも。テオ本人は流行に敏感でおしゃれだから、王都出身と紹介されても違和感ないけどさ。  舌鼓を打ちながら、わいわいとお喋りしていた時だった。 「ウォオオオオオン!」  突然、狼の遠吠えのような声が紫晶宮中に響いて、俺たちは仰天した。
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