3章 『諸国連合迎撃戦』

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*  さてどうしたものか。コーヒーをすすりながら、ヘルメスは考えていた。口の中にコーヒーの味が広がっていく。旨いだとか芳醇な香りだとか、そういう感想は一切浮かばない。ただ、苦かった。  テーブルを挟んで正対する女性――侵入者を見る。けっこう可愛いじゃないか、と思っていたその童顔が、こうして近くで見ると、なんか、すごく、怖い。  快活な印象のショートカット、ふんわりとした輪郭。それだけを見れば、確かに可愛い童顔だ。しかし、黒光りする眼帯は相当年季の入った骨董品だし、良く見れば体のあちこちに古傷があるし、全身からは銀行員オネストに似た無骨な――戦場の雰囲気が醸し出されている。そして何より、目が怖い。眼帯の隣で、キラリと光る大きな瞳に長い睫毛。美少女要素満載のそこから放たれる眼光が、刺すように鋭く、凍てつくほどに冷たく、ヘルメスを威圧している。  この侵入者はたぶん相当な修羅場を潜ってきたのだろう。常に戦場に身を置き続けてきたのだろうと容易に想像がつく。  侵入者の殺伐とした空気が、分厚い壁となってヘルメスの前に立ちふさがり、2人の関係を明瞭に隔てている。敵と味方――。ただ立場が違うだけで凄まじく遠い……。  この距離――。埋められるだろうか?  ヘルメスの腹の中で不安の虫が疼きだす。ヘルメスの狙い、それは“対話による侵入者の平和的撃退”であった。 成功確率はおそらく1%にも満たないであろうまさしく苦肉の策であったが、戦闘能力の低いヘルメスに残された手段はそれしかない。それにこの方法ならば勝算もないことはなかった。イカれたプッツンダンジョンマスター、バアル。侵入者がその僕ならば、日々のストレスもきっと甚大なはずだ。反感を抱いていてもおかしくない。そこをつくことができればあるいは……  甘言、誘惑。あらゆる話術を駆使してこの侵入者に帰ってもらう。帰らせる!  無理でもステラたちが来るまで時間を稼いで見せる!  そんな算段でヘルメスはこの対談に臨んでいた。  問答無用の先制攻撃を〈四の死(デッド・フォア)〉でしのいで、侵入者を対話の席につかせたまではいいが、さてどう話を切りだしたものか。ヘルメスが思案していると、おもむろに侵入者が「あの、」と口を開いた。 「ヘルメスとやら。そろそろ始めてくれない? あたくし急いでいるの。あなたのお仲間がいつあたくしを殺しに来るか心配でたまらないのよ。コーヒーの味を楽しむのも結構だけど、もしあなたの行為が時間稼ぎだったとしたら――」  淡々としかし威圧的な空気を強めながら、 「――あなたを殺す……かもしれないわ。あたくし気が短いから」  瞬間、指令室の空気がバチバチと弾けていくような感覚。やばい、怖い。これが殺気、これが殺意……。戦場の空気――。気をしっかり保たないと、ちびりそうだ。ヘルメスは心に抱えた恐怖を悟られまいと平静を装ったが、侵入者はそれを見透かしたかのように、威圧を続けた。 「嘘をついても殺すし、罠に掛けようとしても殺す。あたくしに害を加える、全ての行為。その予兆をちょっとでも感じたら、即座に殺す。――かもしれないわ。何を話すつもりかしらないけれど、それだけは心に留めておいて」  そう言うと、侵入者はニコリと微笑み、さっと掌でヘルメスに話を促す。  ヘルメスはというとゴクリ。固唾を呑むと同時に、頷く。頷いてしまった。ヘルメスは自分が、まな板の上の魚だと、思い知った。やはり、この侵入者は百戦錬磨だ。対話の主導権をヘルメスに譲りながらも、その裏で、いつでも実力行使に訴えることができると――いつでも殺せると、暗にアピールしたのだ。残りポイントは……?  ほとんど残っていない。 〈四の死(デッド・フォア)〉はもう使えないと考えた方がいい。下手をうてば、即座に死――。 「……あ、あのですね」  ボソボソと話を切り出す。恐怖。その感情が心にわくと、ヘルメスは途端に卑屈になる。卑屈のあまり、いつのまにか敬語を使ってしまっているが、彼はそのことに気がついていない。 「ボソボソと話さないで。大事な話なんでしょう? あたくしに誤解されてもいいわけ? あたくしに甘く見られてもいいわけ?」  それを侵入者が即座に指摘する。その一言で、ヘルメスはハッとした。そうだよ、相手は侵入者。敵なのだ。味方と話すとき以上にハッキリと喋らなくてはならないし、味方と話すとき以上に堂々としていなければならないのだった。  ヘルメスは「コホン、」と咳払いをすると、気持ちを切り替え、 「単刀直入に言う」  ありたっけの勇気を振り絞って声を出した。 「帰ってくれないか」  なんの駆け引きも存在しない。ただ、用件のみを簡潔に伝えた。 「……」  沈黙。侵入者は額に手を当ててしばらく考える素振りを見せると、 「それは出来ない相談だわ。あたくしたちは国民の期待を背負ってここまで来た。『ガレキの城打倒』。それが出来るのはあたくしたちしかいない、そんな期待を負って来た」  意を決した口調で言った。滲み出るはガレキの城を倒すその時まで決して諦めない。という確固たる信念。そこでヘルメスは気が付いた。  ――あれ? ガレキの城打倒? 「ちょっと待て、あんた、ガレキの城打倒って言ったな?」 「言ったわ。あたくしたちの国土を蝕みながら、ゆっくりと拡大していく森。その元凶たるガレキ城を倒すことはこの大陸の全ての民の悲願。あたくしたちはそれを成すために来た」 「ということは、あんた、バアルの配下じゃないんだな?」 「バアル? 誰の事がわからないけど、あたくしは誰の配下でもないわ。強いて言えば、国民の――いえ世界の意思の体現者よ」  ヘルメスの心がわっと晴れたような気がした。こいつ敵じゃない。立場は違えど、ガレキの城打倒の目的を同じくする者たちだったのだ。はじめから彼らと戦う必要などなかったのだ。   「バアルっていうのは、ガレキの城のダンジョンマスターの名だ。あんたたちはガレキの城の外から来た――。そういうことだろ? だったら、おれたちが戦う必要なんてない」 「どういうこと? あなたは、ガレキの城の魔物ではないの?」 「ああ。おれは――おれたちはガレキの城の魔物じゃないし、そもそもここはバアルのダンジョンじゃない。どういうわけか、ガレキの城の敷地内にできちまったダンジョン。それがここだ」 「ふうん……。つまり、ここはダンジョンではあるけれど、ガレキの城とは関係がない、そう言いたいわけね」 「そうさ。おれたちもガレキの城に狙われている。だからガレキの城を倒さなきゃならない。あんたたちもそうなんだろ? ガレキの城打倒。目的は一緒だ。だったら――」  戦うのは止めよう。協力してガレキの城を倒そう。そう言い掛けたヘルメスの言葉尻を「やめて、」と侵入者の声が遮った。 「悪いけどあたくしはあなたの事を信じられない。このダンジョンがガレキの城と違うって言ったけど、確かめる方法があるの? それに――仮にそうだったとしても、ダンジョンはダンジョン。世界の敵であることには変わりない。現にあなたのお仲間にあたくしたちの仲間がやられているじゃないの! あたくしたちは世界の意思でここに来ているの。ダンジョンなんかと手を組めるわけがないでしょう!」  だんだんと語気を強めて行く侵入者の口調にヘルメスは即座に反駁した。 「先に攻撃してきたのはそっちだし、そもそもあんたたちがバアルの配下じゃないなんて知らなかったんだ! それにこっちだってあんたらに仲間を大勢やられてる!」  赤コートの男が放った魔力の激流によって消滅した、植物型魔物。その数は200株を超える。ステラとジンリンが丹精込めて育てた魔物を、知らなかったとは言えあっさり消し飛ばしたこいつら。(はらわた)が煮えくりかえるような憤怒がヘルメスの脳裏をよぎったが、それは一瞬で掻き消えて目の前にいる侵入者に訴える気力に変わった。ヘルメスがダンジョンマスターとして、自分の――自分たちのためにすべきことは、侵入者に怒りをぶつけることではない。 「だけどそれは、お互いにお互いを敵だと思っていたから起こった、すれちがいなんだ。 互いのことを正しく認識した今、目的が同じだとわかった今! 互いに歩み寄ることだってできるはずだ!」    ヘルメスは叫ぶように、感情をぶつけた。侵入者は、額に手を当て考える素振りを見せ――。 瞬間。  目の前で座っていたはずの侵入者が、消えた。その代わりとばかりにヘルメスの顔に突風が吹きつけ、僅かに顔をしかめた瞬間、首筋にヒヤリとした金属の感覚がした。瞬きほどの一瞬で、侵入者はヘルメスの背後に移動し、首筋に刃物を突き付けていた。 「目的が同じならば、互いに歩み寄ることだってできる。あなたそう言ったわね。あたくしもそう思うわ。……そう思ってしまったわ」   首筋に当てられた刃物の、その何倍も冷たい口調だった。ヘルメスは「だったら、その物騒なものをしまってくれ」と訴えたが、侵入者はそうしなかった。 「だけど悲しいことよね。あたくしはあなたを信じられない。戦場では味方の情報だって簡単に信じちゃいけないのよ。ましてや敵と味方ではね」  ヘルメスは背筋が凍るような思いで、女の話に耳を傾ける。侵入者が刃物を取り出した時点で、対話は終わった。後はただ、弱肉強食の原理に従って、一方的に要求を突きつけられるだけだ。 「これは推測というよりもただのカンなのだけど、あなた、ダンジョンマスターでしょ? このダンジョンの」 「……」  そうだ。とは答えかねた。そう答えた瞬間、首を切り裂かれてしまうのではないか。その考えが、ヘルメスに返事を躊躇させ、短い沈黙が流れた。しかし、ヘルメスは沈黙が時として答えになることを失念していた。 「YES、ととるわ。おどろいた、ダンジョンマスターってもっと怪物然としていると思っていた」  しまった。という思いが、過った。殺されるかもしれない。自分が殺されてしまったら、仲間が――ステラも消滅してしまう。それだけは嫌だ。そう思った時には「助けてくれ。どうしたらいい?」と命ごいをしていた。 「……そうね、あなたには人質になってもらう。今こうしている間にも、あたくしの仲間があなたのお仲間と戦っている。まずそれを止めて。それから負傷した仲間の治療をお願い。あなたが“このダンジョン”の“ダンジョンマスター”なら出来るはずでしょう。そうしてくれたら、あなたのことを信じてあげてもいいわ」
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