第十四羽、私達の青い鳥なのだ

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第十四羽、私達の青い鳥なのだ

 ポストにゴトンと大きな音を立てて何が投函される。  多分、見本の本が届いたのだ。  私は、高校を卒業して大学生になり、大学在学中に小説家としてプロデビューを果たした。作家として生きていく機会に恵まれた。そして、この度、新刊が出る運びとなったのだ。無論、その新刊の題名はブルーバード。……ではない。  いや、むしろブルーバードであってはならないのだ。  ふふふ。  どこかから笑い声が聞こえる。  この部屋には私しかいないというのにだ。でも笑い返す。その不思議な笑みに。  そだね。地蔵。……と独り言。  思うのだ。昨今の出版業界は狂っていると。うむっ。  敢えて、漫画の話で言えば、プロの漫画家の生活は過酷を極める。個人事業主に仕事を与えているという名目での言い訳を利用して漫画家は酷使され続けている。世で言うブラックへの就業など高校での部活なのだ。漫画家の生活に比ぶれば。  もちろん、それはプロの小説家にも、あてはまる事。  詳しくはと、いきたいが、この原稿はブルーバードという高校生による高校生なりのお話を書いた作品なのだ。ソレが主題ではない。むしろ書き手である私、長縄蜜柑と読み手との真剣勝負なのだ。そんな戦いの場に余計なものはいらない。  パラッ。  見本の本を手に取って表紙をめくる。一通り、目次に目を通す。後、本文を触りの部分だけでもと目次のページをめくろうとした時、スマホが、けたたましくも鳴り響く。もう。うるさいな、などとこめかみを押さえてスマホを手に取る。 「ミカン」  あっ、阿呆だ。章二の阿呆だ。  いまだ片仮名で私の事をミカンと呼ぶ、ヤツの癖は直っていない。  止めろと、何回も言っているのに聞きもしない。いや、聞く耳がないのだろう。  本当に困ったヤツだ。章二は。 「刷りだしの見本を送った。読んだか? あとはソレを、もう一周しての校正と校閲になる。けど、一応、見本で送ったものが本刷りになる予定だ。今回も……」  良かったぜ。最高だ。ミカン。  これだったら売れる。ウケる。読者に。間違いなくな。俺が保証する。それは。  そんな保証はいらないと笑う。  ふふふ。  と……。  いくらか高校時代のしゃべり方が残っているが、それでも章二は大人になった。  そう思う。同時に寂しいとも。  うむっ!  そうなのだ。章二は高校を卒業して編集者になった。大手出版社に漫画の持ち込みに行きたいとウソをついて突撃を敢行。そこで、お帰り下さい、と連呼する編集者に自分の思いを滔々と語り、その後、熱意を認められて……、いや、違う。  先方が根負けして、まずは見習いとして編集者の道を歩き出した。  無論、そんなのは例外中の例外。むしろ出版業界から追い出される。世に在る数多の出版社から出禁になる可能性が大きいもの。ハイリスクでローリターンだ。楽して大もうけがモットーなんて言っていた章二らしくない、やり方だろう。  ふふふ。  それでも、編集者になると、小春市を飛び出してソレを実現してしまうなんて。  しかも高卒でだよ。本当に凄い事だと思う。素直に。  ただし、編集者も、また作家と同じような生活なんだろう。過酷なタイムスケジュールの中、読者にウケるものとは、或いは、売れる本を作る為には、と奔走しているのが目に見える。だからと言ってはなんだが、なかなか帰ってこない。  ココに。  章二は。  そして、彼との打ち合わせでは常に章二は言い放つ。  口癖のよう複雑怪奇な呪詛を。 「売れるものが良い作品なんだ。面白いものが売れるなんて幻想に過ぎないんだ」  大人になり変ったなって思う。  章二は。  面白ければいいんじゃねぇ? などと言っていた高校生のあの章二が、なんだ  ともかく、今の章二は私の担当編集〔見習い〕だ。そして、今度、出す新作は章二と三人四脚で作ってきた。章二の先輩編集も交え。そうなのだ。売れるものを目指して。読者にウケるものを目指して。そだね。地蔵、これが現実なんだ。  どうしても悲しいと思ってしまう。でも現実には抗えない。抗ってはいけない。  それが、大人になるって事なんだろうから。うむっ。  そして、  章二との一通りの打ち合わせを終え、見本の本を閉じる。録画予約しておいた、お笑い番組を観る。しばしの休憩だ。無論、お笑いと言えば章二なのだが、大人になった私らの事情は、いくらか違う。英輝なのだ。あの堅物な英輝なのだ。 「同志の諸君。どうして、どうもの道玄坂なんですの」  どもども。こんにちは。道玄坂のヒデキックスです!  と画面ではボケとしてコントでおどける英輝が舞う。  ふふふ。  英輝。あんた、こんな事も出来たんだね。頑張って。  などと思ったりもして、買い置きをしてあった缶のお茶のプルタブ〔ステイオンタブ〕をあげる。カシュなどという虚しい音が部屋に木霊する。一人、静かに、お茶を喉へと流し込む。いくらか飲んでから体に水分を補給する。ふうっ。  疲れたな、なんて独り言も出てくる。そだね。英輝も頑張ってる。間違いない。  うむっ。  お笑い芸人も、また小説家や漫画家などと一緒だろう。売れなければ飯さえ食えない。他で稼ぐ手段を持つしかない。逆に、売れたら、寝る時間さえない、いや、それこそ、ご飯を食べる時間もないような過酷なタイムスケジュールになる。  そんな中、英輝は頑張ってる。必死で、自分を偽り、虚構の自分を創り上げて。  売れる為、受け手の底知れぬ満足を満たす為に……。  売れたい、ウケたい、僕はココにいると心が叫び、悲しくも切ない環境の中で。  必死に。  懸命に。  うむっ。  そだね。  謙一の事も忘れてはならない。  彼は、ご多分の想像通りで、高校卒業後、海外に留学してから親の会社に入社。  無論、平社員からのスタートで営業部署に配属された。缶コーヒー片手に街を飛び回っている。ククク。お笑いだ、なんて言葉は、どこかに吹き飛びそうな位、笑えない毎日を過ごしていると聞いた。ともすれば謙一こそ、お笑い芸人だ。  顧客の満足を満たし、顧客に足下を見られ、それでも川底の石にしがみついて。 「ご検討、ありがとうございます。弊社を代表し、私から、お礼、申し上げます」  なんて言っているんだろう。検討に過ぎないのに売り上げを上げる為には……。  心の中では、ククク。お笑いだ、それこそな、なんて思っていないなだろうか?  あまりに心が疲弊してしまい。  なんて、心配にもなってくる。  そして思う。また。世界は……、狂ってる。間違っている、とだ。  面白ければソレでいい。は確かに誤解されるような言い回しだ。分かっている。  それでも、面白くない人生など、誰が送りたいんだ?  面白くない話など、一体、どこの誰が読みたいのか?  ウケる話が、面白いのか? 売れる話が面白いのか?  そうだ。  売れる話が面白いもの。だったら、どこかの誰かが言った、美味しいラーメンが売れているラーメンだとするならば、世界で、一番、売れているインスタントラーメンが、世界一、美味しいものだという事になる。それでいいのか。本当に。  そんな世界でいいのか? と私は強く問いたいのだ。  だからブルーバードを書いた。  高校生であった、あの頃を思い出し、楽しんで書いたのだ。私の楽しいはコレだと、そういう思いを原稿にぶつけて読者との真剣勝負を楽しんだのだ。その果てで気づいた。大切な事に。読者の興味など知らぬ。私の面白いはコレだ、と。  目の前にある見本の本に書かれた私的な駄作を執筆する合間に。ふふふ、とだ。  かかってこいや、読者よッ!  私の面白いで、ねじ伏せてやる。オラオラッ! と。  無論、私が、こんな事を書いても世の中が変るわけがない。編集者の章二の生活が一変などしない。お笑い芸人の英輝が消費され尽くし、いつしか消えていく世界も変らない。営業で夜遅くまで奔走する謙一が救われる事もない。うむっ。  でも言いたかった。書きたかった。ブルーバードを書きあげ、無事に完結して。  どうしても言いたくなった。  改めて。  地蔵の、あの優しい語りを聞いて余計にそう思った。  うむっ。  あとはブルーバードを読んだ各人に判断を委ねよう。  信じるか信じないかは貴方次第です、とオカルト好きなO君の台詞を借りてだ。  そして、  私は静かに思う。お腹をさすり思う。地蔵、また会えるんだよね?  そう言ったよね。そうだ。この子の名は京介なんだ。新しく生まれてくる命は。  またスマホがけたたましく鳴る。うるさいなと笑みを浮かべスマホを手に取る。  章二だ。 「ミカン。それと言い忘れた。まだ大丈夫か? 陣痛なんてきてないか? 俺たちの子供、楽しみだな。あの俺が父親になるなんて真面目に信じられないぜ?」  ふふふ。 「まあ、あとちょっとは、お前の新作の事もあるし、忙しくて帰れないけど、体を冷やすなよ。温かいもん食って。どかんと産んでくれ。俺たちの子供をな?」  ふふふ。  と、私、一人だけしかいないはずの部屋にあの笑い声が木霊した。  青い鳥。  今、ようやく分かった。私にとってのソレは、……私たちの子供、京介の未来なんだ。京介が幸せに生きられる、楽しく生きられる未来なんだ。そんな未来〔青い鳥〕を作る事が私たちの人生に課せられた命題なんだろう。そう思ったら……。  そだね。  分かったよ。地蔵。言葉がなくてもさ。いや、むしろ言葉がなかったからこそ。  と私は、また笑んだ。静かに。  ふふふ。  と……。  お終い。
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