「かわいい」よりも

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「かわいい」よりも

会社を出て社員証を外す。 思ったより遅くなってしまった。 土曜日の休日出勤というだけでも気分が落ちるのに、もう夜の八時だ。 急いで帰ろう、と駅に向かう。 そしてそういうときに限って。 「…人身事故」 電車が止まっている。 なんでだ…いや、人身事故って書いてあるんだからそうなんだけど。 どうしてこういうタイミングで。 でも、ホームに向かう途中で運転再開のアナウンスが流れた。 ホームに着いてスマホで運行情報を確認するけれど、まだ運転見合わせになっている。 アナウンスの情報のほうが早いので、とりあえず近くの壁にもたれて電車を待つ。 ホームは人がたくさんいて、俺と同じように電車を待っている。 ぼんやり人の動きを見ていたら、隣に若い男性が並んだ。 「……」 すごくかっこいいな。 思わずじっと見てしまう。 背が高くて、“イケメン”っていう言葉がすごくぴったりだ。 いや、この人をイケメンと言わなければ誰がイケメンなのかというくらい。 イヤホンでなにか聴いているようで、俺の視線に気付かず遠くを見ている。 そこに、三駅前まで電車が来ているとアナウンスが流れる。 ゆっくり動いているようで時間がかかりそうだ。 革靴のつま先を見て溜め息を吐く。 早く帰りたい。 「すみません」 もう一度溜め息を吐こうとしたら声をかけられた。 顔を上げて声のほうを向くと、隣のイケメンが俺を見ている。 上を指差して。 「今、なんて言ってましたか?」 イヤホンを外して俺に聞く声はちょっと甘い響きで、これは絶対モテるな、と思った。 たぶん、アナウンスでなに言ってたか、だろう。 「三駅前まで電車が来てるって言ってましたよ」 「そうですか…ありがとうございます。イヤホン着けてて聞こえなくて」 「いえ」 その男性はまたイヤホンを着けようとして動きを止めた。 イヤホンのケースをバッグから出してイヤホンをしまっている。 それからまた俺を見る。 「また聞こえないと困るので」 「ああ…」 そういうことか。 「お仕事帰りですか?」 にこやかに話しかけてくる男性。 「はい。休日出勤で、ようやく終わって早く帰ろうと思ったところにこれです」 「俺もバイトが終わって帰るところです」 大学生くらいに見える。 腕時計で時間を何度も確認してるから、待ってる人がいるのかもしれない。 「もう電車は動いているみたいですから、そう連絡しておいたらどうですか?」 「え?」 「時間をずっと気にしてるので、待ってる人がいるのかな、と」 「あ、違います。駅前のスーパーの閉店時間が九時だから間に合うかなっていうだけで…待ってる人なんていません」 「スーパー…」 イケメンだって人間だからスーパーも行くか…。 雰囲気的には自宅でご飯作って待ってる彼女がいそうだけど。 …あれ、駅前のスーパーで九時閉店? 「もしかして〇×駅の駅前スーパーですか?」 「え、はい…そうですけど…?」 「あそこは土日祝日は九時半閉店ですよ」 俺の自宅最寄り駅と同じ駅だ。 この沿線の駅は同じ系列の十時閉店スーパーが駅前にあるところが多いけれど、〇×駅だけはなぜかその系列スーパーがなく、大手チェーンのスーパーがある。 「そうなんですか…よく知らなくて。九時半なら間に合うかな」 「電車は混んでそうですけどね」 ちょうど電車がホームに入ってきて、待っていた人たちが乗り込んでいく。 俺もその男性と一緒に乗った。
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