もう会わない

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「でね、森さんとこの息子さん、180cm以上あってね、学生時代ラグビーやってたそうで、今も鍛えてて」  タクシーの中で、母のとりとめのない話をぼんやりと聞き流す。  お見合い当日。  土屋さんの為に買った新しい服を、まさか今日着るなんて思わなかった。  思い出す度に胸が痛みながら、憂鬱な気分を隠し作り笑いをする。 「森さん、次男だし男前だし大手の会社に勤めてるし、非の打ち所ないわよ」 「……そうなんだ」  母がお相手のことをいくら褒めたって、気は進まない。 「温厚で明るい人だそうだし、会ったらきっとその気になるって」 「うん……」  だめだ。  前に進もうとしても、どうしても土屋さんのことが忘れられない。  身長なんてどうでもいいし、職業だってなんでもいい。  どんなに格好良い人が現れても、土屋さん以上に素敵な人なんていない。 『愛美ちゃん』  優しい声や眼差しが頭から離れない。  綺麗な歯並びや、色っぽい仕草も。  ドエスなところも強引なところも、いきなり子犬になるところも。  いろんな土屋さんに心を奪われて、夢中になっていた。 「………………」  もうすっかり傷が消えた人差し指を見つめる。  土屋さん、どんな時も私のことを大切にしてくれて、一生懸命になってくれた。  私を見つめる目は真っ直ぐで。  ……本当に、遊びだったのかな? 「どうしたの?」 「……なんでもない」  知らず知らずのうちに涙が頬を伝っていた。  母に気づかれないように手で拭う。  泣きすぎて、もう涙は枯れてしまったと思っていたのに。  ……やっぱり土屋さんのことが好きだ。  怖がらずに、最後までちゃんと向き合えばよかった。  逃げないで、例え振られてもいいからきちんと話をすればよかったんだ。  後悔しても遅い。  ……遅いけど。 「お母さん」  ホテルの前でタクシーが止まり、降りてすぐに母を引き留める。 「ごめんなさい。やっぱり私」  こんな気持ちのまま、他の男性と会えない。  ……最後くらい伝えなきゃ。  本当はずっと好きだったって。  想いを伝えてから、きちんとさよならをしよう。 「私、お見合いには」 「あら? あの人だったかしら」  ラウンジの入り口に立っている男性を見て母が呟いた。  私は絶句して、口をあんぐりと開けて動けない。 「土屋さん……!?」  一人立ち尽くしてじっと私を見つめているのは、紛れもなくスーツ姿の土屋さんだった。  
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