白い世界

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白い世界

 16歳のイリナが目を覚ました。  ベッドの横にあるカーテンを開けるといつもと変わらぬ白い世界が窓の外に広がっていた。ここは夏はほんの短い間訪れるほかは一年中のほとんどが雪に埋もれている寒い国だった。  音は全て雪に吸い込まれ、シンと静まり返っている。  イリナが住んでいるのは、町から車で30分ほど離れた郊外にある家。  家族は今一緒に住んでいる姉のソフィアだけだ。  ソフィアはもう仕事に出てしまったらしい。イリナはまず熱を測り、体調にも無理はないと感じたので、ベッドから出て、キッチンに向かった。  イリナとソフィアは父母が残してくれたこの小さな家で、ソフィアの働く僅かなお金で暮らしていた。  イリナは明るいお日様のような金髪、家の近くにある湖の様に蒼い目をして、少しそばかすの浮いた形の良い鼻をして少し尖った唇はサクランボを思わせた。病弱なため、全体的に華奢なので年齢よりは幼く見え、顔立ちは美人と言うよりは小動物を連想させた。  ソフィアは同じ様にお日様のような金髪で、少し薄い水色の眼をして高い鼻、形の良いきりっと結ばれた唇のそれは美しい女性だった。  イリナは元々病弱で、学校にもあまり行かれなかったので、高校への進学はあきらめ、体調の良い時にはできる範囲の家事を受け持っていた。  その代わり5歳年上のソフィアが町まで出て、レストランの厨房に入りシェフの勉強をしながら生活を支えていた。  父もシェフだったモロゾワ家では、父の経営するレストランが繁盛していたので、普段はレストランに併設された家に住んでいた。  そして、週末になると父母が生きていた頃にイリナの身体の為に購入したこの郊外のこじんまりとした家で過ごすのだった。  父母は突然の不幸な事故に巻き込まれ、まだ中学生だったイリナと大学に入ったばかりのソフィアを置いて亡くなってしまった。  父は経営者らしく、きちんと遺書を残していて、もし自分に何かあった時にはレストランはその頃自分の下で働いていたシェフに譲る事。併設されている家もそのシェフに譲る代わりに、娘のどちらかがシェフになりたいと申し出た時にはその援助を惜しまない事などが書かれていた。  イリナとソフィアには生活に十分なお金と郊外の小さな別荘が残された。  イリナとソフィアは話し合い、ソフィアは大学を出たら父のレストランに入るつもりだったのだが、大学を辞めてシェフの勉強をすることにした。  なるべく残されたお金には手をつけずソフィアが店を持つときに使おうと姉妹で決めたのだった。  モロゾワ家が、この郊外の家を買った時からのお隣さんにはクレショフ家が建っていた。  息子のユーリーはイリナの3つ年上で、今年高校を卒業し、家業である花のハウス栽培を継ぐことにしたので、今は毎日のように自分の家の薪を割る時にときに、モロゾワ家の分も割って薪小屋に詰んでおいてくれるのだった。  一年のほとんどが雪で埋もれてしまうこの国では、家の中で咲く花がとても慰めになるので、綺麗に花を咲かせられるクレショフ家の花は高値で取引をされ、クレショフ家はこの地域では大変に成功している家だった。  クレショフ家では、モロゾワ家の両親が元気なころからとても良いお付き合いをしていた上に、クレショフ家にも遺言書により結構な額のお金を渡すことが書かれていた。  クレショフ家では最初、頑として受け取らなかったのだが、お父さんの気持ちだから。とソフィアに説得され、渋々受け取った。  でも受け取った分は、二人の姉妹をきちんと見守るために使おうと、家族で決めていた。  もし、二人に何かあって困っている時に仕えるように、そのお金には手をつけなかった。  その上、イリナに負担がかからない様にほぼ一年中使う薪の準備や、食事の差し入れなども頻繁にしてくれるのだった。  ソフィアの帰りが遅い日には、イリナはクレショフ家で夕食を摂りながらソフィアの帰りを待ち、ソフィアもクレショフ家に帰宅し、一緒に夕食を摂ることも多かった。  キッチンに向かったイリナはソフィアが用意してくれたサラダと、軽くトーストしたパン、自分で作ったスクランブルエッグを食べた。  食材はソフィアが仕事を覚えている元の父の部下であったシェフが毎日新鮮なものを分けてくれる。  イリナはその日の家事を行う為、まずは外の薪置き場に薪を取りに行った。  暖炉がないととても寒いので、まずソフィアが火事にならない様に熾だけにしていってくれた暖炉の火を大きくするのだ。  電気やガスは勿論通っていたけれど、この雪の続く地域では、家を温めるには暖炉が一番だった。  イリナは中学卒業の時にソフィアと相談して母親の毛皮の長いコートをもらった。  それは、外出用ではなく、母が、普段薪を取りに行ったりするときに使っていた古いコートだった。  古くても、十分に温かく、母が家の事をしていた姿も思い出せるので、イリナはそのコートが大好きだった。  ソフィアは外に仕事に行く為、母親の外出着を殆どもらったけれど、自分も欲しかっただろう、母の家での思い出がたくさん詰まった暖かいそのコートをイリナに快く渡してくれた。  そんなふうに母の思い出に包まれるようにして、新しい服など二人共買わずに過ごしていた。  外に出たイリナに雪が容赦なく吹き付ける。  降りしきる雪がお母さんのコートにも積もる。イリナは袖に積もった雪の結晶を見るのが好きだった。気温が低いので、雪はコートの上で結晶になってしばらく残っている。  色々な形の雪の結晶はいくら見ていても飽きないのだが、うっかり外に長くいるとイリナの身体はすぐに熱を出す。  クレショフ家の窓からはイリナの家の薪置き場がよく見えるので、クレショフ家のお母さんはイリナがあまり立ち止まっていると、窓を家の内側からコンコンと叩いて、イリナの目を覚まさせる。  クレショフ家のお母さんと目が合ったイリナは恥ずかしそうに微笑むと軽く手を振って、薪を家の中に運び込むのだ。  その日は随分調子が良かったので、家の玄関の近くに両手で雪を集め、こんもりと小さな山をいくつか作ると、そこに長い耳をつけ、玄関先に生えていた樹から赤い実を採って、目を作った。  小さな雪ウサギが4つ。かつての家族の様に玄関をかざった。    イリナはその後急いで、家の中に薪を運ぶと、暖炉の火を大きくした。  家が温まるまでは、暖かいお茶を飲んで、お母さんのコートを肩にかけ、安静にしているように、ソフィアからもよく言われていた。  自分の具合が悪くなると、ソフィアにも迷惑をかけるので、イリナも気を付けて生活していた。  この小さな家にある仕切りはバスルームとトイレだけだった。  バスルームにはガスボイラーで家中に走るパイプに通るお湯がバスタブにも張れるようになっていて、もちろんシャワーも使えた。  トイレも壁を走るパイプのお湯の温度でいつでも暖かかった。  部屋の隅々はパイプのお湯で暖かいので、イリナとソフィアのそれぞれの寝室も窓際のパイプのお湯で暖かかった。  二人の部屋はベッドが隠れるサイズの板の壁が床から伸び、天井部分は暖炉の火のぬくもりが来るようにあけてあった。  広いリビングは周囲のパイプのお湯だけでは温められないので、暖炉は必需品なのだった。  その日は、水曜日。クレショフ家の定休日だった。  その他の日にはユーリーもお父さんと一緒に花を車に積んで、町へ売りに出かけている。  モロゾワ家はクレショフ家からいつもお花を分けてもらっているので、暖かくしている家の中の窓辺にはいつも綺麗な鉢植えの花が置いてある。  寒い冬、雪に降りこめられても心が華やぐ。  鉢植えが長持ちするので、その花の時期が終るまでは毎週水曜日には良い香りの切り花をいつもユーリーが持ってきてくれる。  水曜日のお昼は大抵イリナが大鍋にシチューを作るので、ユーリーも一人のイリナの為に、寂しくない様に一緒にお昼を食べてから帰るのだ。  そんな風に白い世界の中の小さな世界でイリナの毎日は平和に過ぎていた。          
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