美沙さんはのんきに鼻歌なんて歌ってる

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 ボクがリビングのドアをゆっくり開けると、美沙さんの細い目がこちらに向けられる。 「……運動会のビデオを見ようと思って……」 「えっ!」  何故か美沙さんはおどろいたような声を上げる。 「あ、えっと……。お弁当、ひっくり返しちゃってごめんなさい」  ボクは小さな声でそう告げる。 「ううん……えっと……。私もごめんなさい」  何で美沙さんが謝るんだろう……。  ボクがお父さんの方を見ると、その目が何だか泳いでいた。  美沙さんも引きつった笑顔をうかべてる。  何だかよくわからなかったけれど、とりあえずボクはローテーブルに置いてあったビデオをテレビにつないだ。 ——『運動会なんて楽しみー』  スピーカーから美沙さんの大きな声が聞こえてきた。  バックに流れているのはダンスの時の音楽。 『えー、賢太君どこ? 全然わかんない』  録音されている美沙さんの声が何だかうるさい。  映像は落ち着きなく左右に動く。 『あー、いたいた!』  美沙さんの声と共にグンと画面がよっていく。  でも中央にとらえたのは康二の姿。  ボクは画面のはしに背中が半分映っているだけだ。 『ふんふふん、イェーイ』  音楽に合わせて歌う美沙さん。 『ああ、どっか行っちゃった』  動いていくボクに合わせて、映像は寄ったり引いたりグングン動く。    はっきり言って気持ち悪い……。 『あ、あれかな……。あ、違った』  思いっきりズームしたところで生徒達は退場していく。 『ああ、終わっちゃった……』  映っているのはスニーカーの足ばかり……。 「ま、まさかこんなに自分の声が入ってるなんて思わなくて。ごめんね」  ボクがにらみつけると、美沙さんは頭をポリポリとかいてみせる。  いや、しゃべればビデオに声が入っちゃうのわかるよね。  それ以前に撮影(さつえい)技術がクソ……。 「つ、次はちゃんととれてるからさ……」  美沙さんは画面に向き直る。 ——急に場面が変わった。  クラスメイトと一緒(いっしょ)に難しい顔をしたボクが並んでいる。  徒競走の始まりだ。 『賢太君、いけー』  相変わらず美沙さんはさわがしい。  でも、ちゃんとボクを中央にとらえている。  パンッとスタートの音が鳴った。  走り出したボクをちゃんと見失わずに追うカメラ。  走っている時は夢中だったからわからなかったけど、ボクってこんな顔してたんだ。  田中(たなか)君を追いこしたのは、ゴール直前。 『いけいけ、賢太! ウォー!』  美沙さんがほえる。  ボクのお腹が白いテープを切った。 『やったー!』 『すごいぞ! 賢太!』  お父さんの声も聞こえる。  突然(とつぜん)画面が上下にふるえだす。 『やったー! やったー!』  どうやら美沙さんが飛びはねているみたいだ……。  ガクンガクンとふるえる画面。  ボクは何だか笑ってしまった。  美沙さんはいつだって美沙さんだ……。  だからボクもボクでいいんだ、って思った。  テレビの横では、今日もお母さんが優しい笑顔をうかべてる。  けど……。   「メッチャふるえてるやん! 気持ち悪いんだけど!」 「ごめんねー」  美沙さんはいつものように「てへへっ」と笑ってみせた。          〈完〉
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