本編

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 ハッピーバレンタイン!  ……おや、見慣れない服装をしているね。あぁ、なるほど。東のほうからはるばる旅をしてきたんだね! こんにちは、旅人さん。この国ははじめて?  いま我が国、バレンタイン王国は見ての通りお祭りムードでね。この国のおひめさまと、隣国のおうじさまが婚約なさるので、みんな浮足立っているのさ。  そうそう、ぜひこの国の伝統を知っておくといい! きっと役に立つよ!  この国ではね、二月になると女性から好きな相手に対して、チョコレートを渡す風習があるんだ。これは、我が国を築き上げたバレンタイン女王が婚約される際、異国の王子にチョコレートを渡したことに由来しているんだ。それに倣って、王族や上流階級の貴族たちも婚約の時にはチョコレートを渡すそうだよ。そういう特別な意味合いがあるから、道端で女性からチョコレートを渡されたとしても、軽い気持ちで受け取ってはいけないよ。この国を楽しむにあたっての忠告はこれくらいかな。  それで、君はどこへ行くんだい? ふむふむ、そこなら、この街を出て北西に進めばたどり着けるよ。でもそこは王族の別荘しかなかったような……。多分、おひめさまたちもおうじさまを出迎えるために、そこにいるんじゃないかな。あ、もう行くの? わかった、気をつけてね!  ハッピーバレンタイン!      *  そんな民衆の期待を集める一方、森の中にある王族用の別荘では大事件が起きていた。  婚約を控えていたお姫様が婚約用のチョコレートと共に姿をくらましたのである。世話係のじいやが言うには、婚約相手を勝手に決められたことに腹を立たせ、森へと逃げ出したのだという。    その森の中ではいままさに、淡い桃色のドレスを身に纏い、背の高いヒールを履いた一国のお姫様が、わき目も降らず全力で疾走していた。    バレンタイン王国第四の姫ショコラット・チョコラード・バレンタイン。愛称はショコラ姫。通称おてんば姫。歳は十六。得意な事は乗馬、剣術、ダンスなど体を動かす事。苦手な事はじっとしていること。  勝手に人生のパートナーを決められたことが許せなかった。自分の相手は自分で選びたかった。  だからショコラは反抗することにした。チョコレートケースを手に持って、とにかく別荘から距離を取ろうとしていた。  自分で婚約チョコを食べてしまおうとも思ったが、このチョコレート、どう見てもビターな”お味”のダークチョコレートである。中身はたったの一粒であったが、子供舌のショコラは自身で食べることを早々に諦め、別の方法を考えながらがむしゃらに走った。  しかしヒールで走ることには慣れていても、いつもよりめかし込んだ高いヒールには慣れていなかった。大の大人二人分はある岩場を飛び越えようとして――、うまく踏み込めずそのまま落ちていったのである。  衝撃に備えて身を縮こませた。――が、衝撃は来なかった。代わりに自身を受け止めた者がいた。 「あっぶなー……。けがはないか、嬢ちゃん」  顔をあげると、そこには見慣れない男の顔があった。  少し疲れているような顔。歳は20代だろうか、相当な苦労をしてきたのだろう。ほんの少しこけた頬や目の下クマのせいで実年齢よりも老け込んで見える。こちらを見る青い瞳のたれ目は、なんともまぁセクシーだ。旅人だろうか、鼠色のマントを羽織っていた。――というか、それよりも。そんなことよりも。 「おいおい、だいじょうぶか?」  残念なことに、このおてんば姫はまともに異性の体に触れたことがない。  自身を抱えている逞しい腕、そして広い胸板。ショコラはそれらの情報を肉体的に感じ取り、ついに脳内の処理が追い付かなくなった。  姫は自身の顔に熱があがってくるのを感じ、大きく息を吸い込んだ。 「イヤーーーーーーッ!」  ショコラの悲鳴が、森中に響き渡った。   * 「落ち着いたかい、お嬢ちゃん」  そう声をかけられて、深く反省した。 「助けていただいたのに、無礼な事をしました。ごめんなさい」 「いや、別にいいけどよ……。俺はクーベルチュール。クーベルって呼んでくれ。お前さんの名前は?」  ショコラは本名を言いかけて、咄嗟に別の名を名乗った。 「わ、私はブランデー侯爵の娘・ボンボンと申しますわ!」 「ブランデー侯爵? 聞かない名前だな」  我ながら苦しい嘘だった。   「はぁ……それで、ボンボンのお嬢さまは、どうしてこんな森の中、ドレス姿で空から降ってきたんだ? もしかして迷子か? それなら俺が送っていくが――」 「い、いえ! 大丈夫です。私は、その、そう! チョコレートを作ったのです!」    言い訳を探して、手に持っていたチョコレートケースを何も考えずに見せた。   「チョコレートを? なんだ、好きな人でもいるのか」 「いえ! 恋い慕うお相手なんていませんわ! ただ、その、気まぐれにチョコレートを作ってみたので、お味見をしてくださる方を探していましたの! ――そうだ! あなた、お味見役を買ってくださらないっ?」    ショコラは持っていたケースをパカッと開けた。  クーベルはケースを覗き込むと、ぎょっとした顔した。 「お、おいおい……これって……」 「いかがです? ぜひ、お味見を――」  毒リンゴを売りつけるように、ぐいぐいとケースを近づける。 「いや、待て待て。このチョコレートケースは婚約用の最高級レザーで作られたやつじゃないか。しかも蓋の裏に王家の紋章が描かれているぞ! さてはお前、婚約が嫌で逃げ出してきた、どこかのお嬢様じゃないだろうな」 「へ!? な、なんでそれを――」  しまった、と急いで口元を隠したが既に遅かった。  事情を察したのか、クーベルはため息をついた。 「悪いことは言わない、ウチに帰るんだな」 「いやよ! 絶対帰らない! せめてこのチョコレートをどうにかするまでは、絶対に帰らない! この婚約はお父様が勝手に決めたの! 私は、この私自身で相手を決めたいの!」 「婚約が嫌で逃げてきたのは図星なのかよ。いや……気持ちはわからんでもないがな、お嬢ちゃん。相手を選ぶっつっても、俺にはお前に見る目があるとは正直思えんのだが……」 「まぁ失礼ね! ちゃんと殿方を見定める力くらいありますとも!」 「いやな? 今目の前で話している男は、もしかしたら悪~い男かもしれないんだぜ。お嬢ちゃんの両親を悲しませるような、超極悪人かもしれないんだぞ。それをお前さん、こんな馴れ馴れしく、護衛もつけずに接するなんて、見る目無いぜ」  姫は大きな目をぱちくりさせた。   「あら、そうだったの? 私が知る極悪人はもっと優しい顔をしているし、なんならその上から甘いマスクをつけているわよ」 「……そうかよ。まぁそんなに嫌なら一度親御さんとしっかり話し合って、どうにかしてもらうんだな」 「話し合おうとしたわ! でも聞いてくださらなかったのよ! 私はね、甘くてとろけるような恋をしたいの。いつか物語みたいに白馬の王子様が迎えに来るのを――いいえ、迎えになんて来なくていいわ。私が探しにいく。必要があれば人魚姫のように海を泳いで助けるし、魔獣になっていたら呪いを解く方法を一緒に探すわ。そして恋に落ちて結ばれるの だから、私はここで婚約するわけには行かないのよ。愛のない結婚なんていやよ。政略結婚だなんてそんなロマンスの欠片もないわ――だからこそ!」    姫は婚約用チョコレートをつまむと、クーベルの口元へ近づけた。 「ここは私を助けると思って、このチョコレート食べてくださらない?」  ずい、と姫はチョコレートをクーベルの唇に触れそうなほど近づける。  クーベルは口を断固として開かず、お互いに無言の押し問答が続いた。  ――そんなさなか、ふと森のどこからか聞き馴染んだ声が聞こえてきた。 「ひめさまーっ! どこへ行かれたのですかーっ!」  ショコラの護衛の声だった。足跡を辿ってきたのだろうか。声は少しずつ近づいてきている。  ショコラとクーベルは互いに顔を合わせた。  束の間の沈黙の後、クーベルは何かを察したのかその場から逃げ出そうとした。それをショコラは最大限の力で押さえつける。 「どこへ行くんですの! まだチョコレートが残っていましてよ!」 「いーや、俺は行くぞ! そのチョコレートは然るべき時に然るべき相手に渡すんだな!」  護衛の声がまた少し近づいた。 「仕方ありません。ここは強行突破しかありませんわ」  何かよからぬことを模索していることを悟ったクーベルは、早口になって言った。   「待て、わかった。わかったから俺の話を聞け! 頼む、少しだけでいいから!」 「わかりました、お話はいくらでも聞きましょう。もちろん、食べた後で、ね?」 「待て待て待て!」 「恨み言はあとで聞きますわ!」  ショコラは、えいっ! とクーベルの足を、背の高いヒールで踏みつけた。  途端、クーベルは痛みに声をあげた。  その瞬間を見計らって、ショコラはクーベルの口にチョコレートを放り込んだのである。  クーベルは痛みに悶えながらも、咄嗟に前歯で挟んでチョコを受け止めた。その瞬間チョコは衝撃でぱっかりと半分に割れた。 ふと、姫はその断面にきらりと光るものを見た。 「え?」  クーベルはそれを上手くつまんで取り出した。口の中に残っていたチョコレートは、仕方がないとでも言うかのように飲み込まれる。   「あのよぉ……嬢ちゃん。いや、ショコラット姫。いくらなんでもやりすぎだと思うぜ」  チョコレートに入っていたのは、バレンタイン王家の刻印が彫られた、婚約指輪だったのである。 「うそ……うそ……!」 「いや、まさかと思うが……指輪が入ってること知らなかったとは言わないよな?」  姫はふるふると首を振った。 「知らない、知らないわ」 「まぁ……その……指輪はほら、王家にとって大切なもんだし、悪用されても敵わないからよ。とりあえず、別荘だっけか? そこに戻ろうや」  *  バレンタイン王家の別荘にて。   「ひめさま! さがしましたぞ! お怪我は!」 「じいや……私、とんでもないことを……」 「全くですぞ! 婚約の日に逃げるだなんて、まったくもってとんでもないことです! お怪我はありませんね! それでひめさま、王子にお渡しするチョコレートのほうは?」 「じいや……その、実は……」  姫はバツが悪そうに、空になったチョコレートケースを見せた。   「な、な、これは一体! 中身はどこに!」  じいやはチョコレートの在処を聞くが、姫は答えようとしない。 「あ~……それなんだがよぉ」  クーベルは前に進み出ると、懐から例の指輪を取り出して見せた。 「俺が食っちまったんだよ。いや、正確にはそこのお姫様に無理やり食わされたと言うか……」 「な、なんと! ひめさまっ」 「ごめんなさい~!」 「なんということ……急いで父君に報告せねば……! そちのほう、どうやら旅人とお見受けいたす。名は」 「あ~、俺はクーベル……いや、違うな」  クーベルは名乗りをやめて、口を閉ざした。  そして意を決したかのように身に着けていたマントを取り払う。その姿を見て誰もが息をのんだ。  白を基調とし、青をサブカラーとした隣国の軍服、胸元には数々の勲章が下げられている。中には王族であることを示す刻印が施されたバッチがあった。  男は姫の前でひざまずき胸に手を当てて敬礼をすると、真の名を告げた。 「私は、ホワイト王国ガナッシュ・ロイヤルホワイト第三王子。ショコラット姫との婚約の義を執り行うべく、参上いたしました」  クーベルの正体を知った姫は、空ぶるように口をはくはくと動かしている。 「こんなことなら、下見とかなんだとか言ってひとりで陣を離れるんじゃなかったなぁ……。まぁ起こってしまったことはどうしようもないか。――さて、せっかちでおてんばなお姫様。俺はアンタにあのチョコレートを食わされて、指輪をこうして頂いたわけなんだが――この指輪、どうすればいい?」  
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