ホームレスより愛を込めて

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「次のニュースです。有名プログラミングスクール『TECHLABO』を運営する、株式会社spanの榊一人(さかき かずひと)社長が、上野公園で大規模な炊き出しを行いました」  スタジオの男性アナウンサーが淡々とニュースを読み上げる。 「こちらは午後二時の上野公園です。照りつける太陽の下、すでに長蛇の列ができています」  若いアナウンサーは暑そうに目を細めながら、マイクを片手に列を辿っていく。 「冷たいものがありがたいよ」 「料理だけじゃなく、生活用品も配ってくれるからいいね」  ホームレスの男女は、一様におにぎりと冷たいペットボトル入りのお茶、寝袋などを大事そうに抱えていく。 「幼い頃、ホームレスの方に炊き出しの存在を教えていただけたからこそ、今の自分があります。そうでなければ、餓え死にしていました。恩返しがしたい一心で、活動を続けています」  アナウンサーに向かってはきはきと答える一人は、ラフな格好ながら隙がない。  有名アウトドアメーカーのジャケットとパンツを着こなす姿は、顔の小ささと手脚の長さも相まってまるでモデルのようだ。額に滲む汗さえも、そんな演出なのかと思わせる。  こぼれそうに大きな瞳は奥に冷徹な光を灯しており、抜け目のなさが表れていた。やや長めの艷やかな栗色の髪は、童顔な彼に似合っている。リスのように愛くるしい容姿でありながら、抜群の切れ者。そのギャップに、見る者は釘付けになる。  画面は公園からスタジオに戻る。 「榊社長は幼少期にネグレクトを受けていたそうで、その時に炊き出しで命を救われたのだそうです。その経験から、このような慈善活動を欠かさないのだとか」 「素晴らしいですね」 「なかなか出来ることではないですよ」 アナウンサーが榊の生い立ちを簡単に説明すると、パネリストの専門家たちが感じ入った様子で頷いた。 「さて、次の話題です。高知県立動物園で、赤ちゃんパンダが生まれました!」 「もういい。マスメディア戦略が問題ないことは分かった」  テレビを観ていた一人は、かたわらに佇む秘書に短く命じた。  秘書がプツ、とテレビを消すと、広い社長室には痛いほどの沈黙が落ちる。  渋谷駅から徒歩三分の真新しいオフィス。朝日がさんさんと差し込むガラス張りの部屋は、白を基調としていて、清潔感に満ちている。 「インタビューや講演依頼は、今後の取引に有益そうな先だけ選んでくれ」 「はい」  秘書の返事が終わるか終わらないかのうちに、一人の両手はなめらかにキーボード上の滑っていく。  寡黙な秘書は一人の用件が終わったのを悟ると、「失礼します」とだけ言って、部屋を退室した。  一人の耳の奥には、パネリストの「素晴らしいですね」と感嘆する声が残っている。彼はにやける口元を引き締めると、目の前の仕事に没頭した。  榊一人、二十七歳。日本で知らない者はいない、若手カリスマ社長だ。学生時代にプログラミングスクール「TECHLABO」を起業し、幼児から老人まで、誰もがたった一ヶ月でプログラミングの基礎を学べるという画期的な学習システムをリリースした。おかげで国内では一躍「プログラミングスクールブーム」が巻き起こり、今やスクールの受講者数は四万人以上。日本一のプログラミングスクールの名前をほしいままにしている。  彼は個人的に動画チャンネルも開設しており、そこでは彼独自のビジネス論や自己啓発方法が紹介されている。こちらの登録者数は百万人以上。信者は多く、榊一人という名前がついていれば必ずその商品は売れると言われるほどだった。  一人は加熱していく周囲の反応を楽しみながらも、より高みを目指していた。 (もっと高い売上が欲しい、もっと名声を得たい)  今日過去最高の売上だったのならば、明日はさらにその上を、と貪欲に目指す。素晴らしいと日本で絶賛されたのならば、世界でも、と貪欲に目指す。それが一人の生き方だ。  業務に没頭していると、一日が過ぎるのは早い。今後の経営計画や人員計画を練っていると、あっという間に日が暮れていた。  配車アプリでタクシーを呼ぶと、手早く自宅へ帰る準備を整える。  エレベーターを降りると会社前にはすでにタクシーが停まっており、無駄のない自分の行動に一人はにんまりと笑みをたたえた。何事に関しても、誰よりも効率的に、そして高い結果を出す。それが榊一人だ。  一人がタクシーに乗り込もうとした時、近くから甲高い少年の泣き声が聞こえた。 「お母さん! お母さん、どこ!」  声を振り切るように、勢いよくタクシーのドアを閉める。運転手に行き先を告げると、車はなめらかに発車した。  歩道を横切った時、少年がおろおろと周囲を見回して泣いているのが見えた。  少年の周りの大人たちは少年に気付いていながら、誰も助けない。まるで少年など見えていないように、誰もが通り過ぎていく。一人はふいと窓ガラスから顔をそらした。  拳を握りしめ、自分の手を睨みつける。拳はかすかに震えて、汗ばんでいた。  翌々週の土曜日、快晴。空は突き抜けるように青い。 「今日も頑張りましょう」 「はい!」  時計の針が午後二時を指すと同時に、一人がボランティアの人々に声をかけた。一斉に元気な声が返ってきて、炊き出しが開始される。一人は早速、ボランティアに混じり、ホームレスの人々におにぎりを渡していった。 「涼んでいかれてくださいね」 「足りなければ声をかけてください」  ひとりひとりに声掛けをしながら笑顔でおにぎりを渡していると、視線を感じた。  視線を集めることには慣れているが、絡みつく視線はやけにしつこい。一人は視線の元を注意深く辿る。  ぱっ、と視線の方へ振り返ると、白髪頭の男と目があった。  男は一人のすぐ近くで米を握っていた。身長が高く、周囲から頭二つぶんほど抜け出ている。顔は三十代あたりに見えるが頭は完全な白髪で、夏の光を受けてきらめいていた。白いTシャツにチノパンというラフな格好がやけにさまになっていて、妙に泰然とした雰囲気だった。男は一人と目が合うと、にっこりと微笑んだ。 「社長の熱烈なファンかな」  隣にいた主婦が、からかうように一人の脇腹を小突いた。  どこかで見たような顔だが、思い出せない。知り合いだっただろうか。一人は白髪頭の男と主婦に愛想笑いを返して、場を濁した。 「あの」  一人の目の前に、痩せこけた少年が所在なげに立ちすくんでいた。  小学校低学年だろうか。髪のあちこちにフケが見える。服はいつから変えていないのか、すえたような匂いがした。 「待たせてごめんね、おにぎりとお茶です。服はあっちでもらえるからね」  一人が屈んで優しい声で話しかけると、少年はおどおどと、でも強い意思を感じる声で「二人分もらっちゃだめですか」とはっきり言った。 「二人?」 「お母さんが時々家に帰ってくる時に、食べさせてあげたいんです」 「やめておいた方がいい」  一人の喉から、驚くほど冷たい声が出た。 「お母さんは大人だから自分でご飯は食べられるよ。君はお腹いっぱい食べて帰りなさい。持って帰るためのパンもあるからね」  ね、と一人が人好きのする笑顔で微笑むと、少年は身じろぎし、恐る恐る頷いた。 「お母さん用に持って帰らせてあげればいいのに」 「時々帰ってくるってことは、母親は外で食べてきてるんですよ。それよりも、あの子先月も来てませんでしたか?一時保護してもらった方が良いかも」  一人が表情の抜け落ちた顔で淡々と言うと、主婦は「確かに!ちょっと担当の人呼んでくる」と慌てて駆けていった。  一人はすぐに表情をやわらかなものに変えたが、白髪頭の男はその一部始終を面白そうに見つめていた。 「一ノ口豊(いちのくち ゆたか)さん」 「はい、どうも」  どこかで見たことのある顔だと思ったが、それもそのはずだ。  去年秋にアジア人初のノーベル文学賞受賞者としてテレビに映っていた。伸び放題の長い白髪が印象的だったが、こんなに若い男だったのか、と一人は差し出された名刺と目の前の男を交互に見ながら驚いた。  名刺とともに渡されたのは、二通の手紙だ。 「この手紙は僕のホームレスの友人から代筆を頼まれたものです。毎月炊き出しをしてくれるあなたにお礼がしたい、と。もう一通は、僕の興味本位のお手紙なので、読んでも読まなくても構いません」  一ノ口の糸のように細い目は常に笑っているように見えて、真意がつかめない。  「興味本位の手紙」とは一体何なのだろう。これまでまったく接点のなかった彼が自分に何の興味を持つというのか。接点といえば、先月一緒に炊き出しのボランティアをしたくらいだが、一ノ口とは一言も言葉は交わしていない。わざわざ手紙に書くほどの何があるというのかと、一人は首を傾げた。  一人の真横に立つカメラマンは、手紙をズームアップしている。今月頭から密着取材を受けていたのだが、まさかこんな思いも寄らないことが起きようとは。  同行しているディレクターは興奮を抑えられないようで、「すげえ! 一ノ口豊直筆の手紙!」と手紙にむしゃぶりつきそうな勢いで身を乗り出している。 「ありがとうございます。お返事はまた後日」 「はい」  一人が礼を言うと、一ノ口は弾むように返事をし、きびすを返して公園を出て行った。  おもむろに手紙を開けると、カメラがぐいと手元に寄る。  ホームレスの友人から託されたという手紙は、その友人の心があますところなく伝わってくる丁寧な内容だった。便箋にみっちりと書かれたそれは一人のボランティア精神をこれ以上ないほどに讃えるもので、一人は読みながら気分が高揚するのを感じた。ノーベル文学賞受賞者からこれほど言葉を尽くして褒められる者など、多くはないだろう。  そしてもう一通。こちらはどうか、と便箋を開くと、内容は驚くほど簡素だった。なんと広い便箋にたった一文しか書かれていなかったのだ。  一人はそれを読んだ瞬間に、知らず眉根をぎゅっと寄せた。カメラがその横顔を追う。  便箋には一言、こう書いてあった。 「お母様を、憎んでおられますか」  一人は一ノ口からの「興味本位」の手紙には何の返事も出さないつもりだったが、その無礼な手紙は、ディレクターの探究心を刺激したらしい。何か特集が組めないか考えさせてほしいと懇願され、一人はお気に召すまま、と微笑んだ。  本業の合間にインタビューや講演をこなし、隔週土曜は炊き出しのボランティアを行う。ルーチンを淡々とこなす日々でも、笑顔だけは忘れなかった。いずれこの一人の姿は日本全国で放送されるのだ。常に最高のパフォーマンスを見せなければ、榊一人の名がすたる。  一人がいつものようにカメラを意識しながら本業をこなしている時、秘書から連絡が届いた。 「米フォーブス誌の『世界を変える30歳未満の若者30人』に社長が選出されました」 「すげえ! さすが榊さん!」 「ありがとうございます、ますます頑張らなくては」  ここぞとばかりに持ち上げてくるディレクターに天使のような微笑みを見せながらも、一人は冷静だった。数多のビジネス誌で、一人は大賞やら特別賞やら、大小さまざまな賞を受賞してきた。正直、どこにでもありふれた賞には興味がない。  “ビジネス界のノーベル賞”とも言われる「平和のためのビジネス大賞」の受賞こそが、学生時代から一人の夢だった。  「平和のためのビジネス大賞」では、平和な社会を実現していくために社会的価値の創造をどのように考え、実践しているのかが注目される。一人は学生時代から株式会社spanで得た利益の一部をNPO法人「@home」に流し、炊き出しの活動を続けてきた。「目先の利益のみを追求する利己的・近視眼的なビジネスモデルに警鐘を鳴らし、社会のために価値のあるビジネスを推進しているリーダーを表彰したい」という賞の目的を知った時から、プライベートの時間を削ってでもボランティア活動を優先させてきたのだ。いくらホームレスと炊き出しのおかげで命を救われたとはいえ、「平和のためのビジネス大賞」がなければNPO法人までは設立しなかった。私利私欲にまみれたボランティア活動だったが、外から見れば自分こそがこの賞の受賞者にふさわしいはずだ。  とはいえ、まず受賞者にノミネートされなければ、受賞の機会も得られない。「平和のためのビジネス大賞」のノミネート者の発表はもうすぐだ。一人はその発表を今か今かと待ち構えていた。 (今年は例年以上にボランティア活動に力を入れた。でも今年ノミネートされなくとも、来年がある。来年もだめなら、再来年。NPO法人の活動領域はかなり広がってきたが、さらに手を広げるか……)  日々の雑務に忙殺されながらも、ノミネート者発表の日が近づくにつれ、一人は緊張が高まるのを感じた。今年がダメでも来年がある、と思い続けて五年以上が過ぎた。  株主・投資家・消費者・地域コミュニティなどステークホルダーからの信頼が厚いこと、倫理的かつ責任のあるビジネスの重要性も積極的に主張し続けていること、市民から信頼されているリーダーであることがノミネートの条件だ。最初の二点はもちろんのこと、最後の一点についても、起業してから十年近くかけて信頼を得てきた自信がある。今年こそ、と一人は祈った。  ノミネート者発表の日、一人はいつもどおりの日常をこなしながらも、心ここにあらずの状態だった。冷静にと自分に言い聞かせなければ、そわそわと歩き回ってしまいそうなほどだ。  一人がカメラに向かって新規事業の説明をしていると、唐突に秘書から連絡が来た。 「今年度の『平和のためのビジネス大賞』に社長がノミネートされました」 「よしっ!」  この時ばかりは、一人も感情をむき出しにした。思いきりガッツポーズする姿は、カメラに収められているだろう。常に冷静沈着なのが「榊一人」だが、今日この瞬間だけは許してほしかった。 「榊さん、すげえ! おめでとうございます!」  ディレクターが一番に駆け寄ってきて、一人に握手を求めた。 「ありがとうございます、多くの人の助けがなければ叶わなかったことです」  汗でぬるついたディレクターの手の感触に少し頭が冷えて、一人は笑顔でそう言った。このシーンもきっと後々ニュースで使われることだろう。「業務に戻らねば」と咳払いするも、一人の顔からはなかなか笑みが引かなかった。  「平和のためのビジネス大賞」に一人がノミネートされたというニュースが世間に広まると、プログラミングスクールの受講者も一人の動画チャンネルの登録者も倍増した。売上は上り調子、メディアへの露出もさらに増えた。一人は受賞こそならなかったものの、ノミネートされたのはアジア人で初ということもあり、メディアでは大きく取り上げられた。 「榊一人がおすすめする、ビジネスの名著! 重版御礼!」 「榊一人推薦、”こんな洗顔料、今までなかった”」  巷には、榊一人の名が溢れた。どんな媒体でも、榊一人という名前があれば、誰もが手に取る、購入する。「榊一人は福の神」だとあらゆる方面からオファーが殺到した。今や、日本国民の誰もが榊一人の名前を耳にしない日はなかった。 (欲しいと思っていたもの、すべてを手に入れた)  一人はCM撮影を終えて帰宅し、ひとり酒をしながら、ふとそう思った。  酒はめったに手に入らない名酒らしく、CMの撮影終了祝いにプロデューサーからもらったものだ。  社会的地位、名声、金。一人が欲しいと思ったものは今、全て彼の手の中にある。  この世に自分以上に幸福な人間はいるだろうか?いや、いまい。一人が自分の才能に酔いしれていると、密着取材を行っていたプロデューサーからメールが入った。 「一ノ口豊との文通対談、ねえ……」  メールの内容は、一ノ口豊と手紙をやり取りしてほしいということ、手紙のやり取りは好きにしていいということ、手紙の内容を逐一公表させてほしいということだった。  一人はもはや一介のビジネスマンではなかった。今や、文化人としてあらゆるニュース番組やワイドショーにひっぱりだこだ。 「これも文化人の務めか」  母のことに切り込んできた彼のことは気に入らないが、今後文化人として露出を増やしていくならばこれはいい一歩かもしれない。  酒をぐいとあおると、一人は承諾の旨、返信した。  ほろ酔い気分でふとテレビをつけてみると、自分の出演したCMが流れてくる。笑顔の自分がスマホのPRをしたり、スーツのPRをしたりと、目まぐるしい。  まるで世界が自分の手の中にあるようだと、一人は頬杖をつきながらにやけた。とその時、ぱっと画面が変わって、結婚式の映像が流れ始めた。結婚情報誌のCMだった。 「結婚……」  欲しいものを全部手に入れたと思っていたが、そういえば、一つ手に入れていないものがある。それは美しい恋人だ。自分の隣に立つにふさわしいような女性がほしい。スマホを開くと、若手からベテランまで、女優、アナウンサー、プロデューサー……とあらゆる職業の女性の連絡先が入っている。  一覧をじっと見つめて、一人は自分を引き立てる女なら誰でもいい、と思った。 (あと、子どもを欲しがらない女がいい)  自分に連絡先を渡してきた女たちの顔を思い出しながら、一人はそう付け足した。  酔いが回ってきたように感じる。一人はスマホを閉じると、ベッドに倒れ込んだ。明日も朝から日課のランニングをしなくてはならない。早く寝なければ。まぶたを閉じると、睡魔はすぐに訪れた。  一ノ口との手紙対談は、淡々と行われた。 「お母様を、憎んでおられますか」 「憎んでいませんよ。幼い頃は確かに苦しみましたが、母には母なりの事情があったのだと今なら理解できます」 「お母様が帰って来られない日々は不安であられたと思います。当時の自分にかけたい言葉はありますか?」 「負けるな、ですね」 「何に対して負ける、のでしょうか?」 「母に縋りたい弱い心や、一人という恐怖心など、あらゆることに対してです」  一ノ口はさすがに観察眼が鋭いようで、一人がこれまでメディアでなるべく話したくないと避けてきた母の話題をこれでもかと掘り込んできた。 (チッ、面倒だな)  一ノ口からの手紙をテレビ局づてに受け取るたび、一人は舌打ちしたくなった。  もう自分は非力な子どもではない。母のことを知ってどうする?今の俺を見ろ。こんなに成功している。人々が欲しいと願うもののほとんどを手に入れている。これが俺だ。アクセサリーにならない家族はいらない。どうでもいい。  しかしそんなことは口が裂けても言えない。榊一人は清廉潔白で冷静沈着で不撓不屈、すべてのビジネスマンの理想像でなければならないのだから。  一ノ口の言葉にムキになって返事をするたび、ディレクターは喜んだ。 「榊さんの新たな一面が見られて、読者からの評判も上々です!」  一ノ口からの手紙は面倒だったが、その言葉だけが一人の心を慰めた。  また届いた一ノ口からの手紙をうんざりした顔で開けると、やはりそこには簡素な文章がつづられていた。 「榊さんの原動力は、お母様を含めた世界への憎しみであるように見えます」  一ノ口に会ってからというもの、一人は彼に翻弄されっぱなしだった。  話したくもない母のこともずばすばと切り込まれて、話さざるを得ない状況に追い込まれている。  ならば自分も、と一人は反撃に出た。 「負の感情も正の感情も、原動力にしたいと思っています。一ノ口さんの原動力は、何ですか」  お前も白状させられる気分を味わえ、と別の話題にそらしたつもりだったが、返ってきたのはまるで独り言のような言葉だった。 「負の感情は遅かれ早かれ人を苛みます。そうは思われませんか?」  マイペースな語り口に、つい引きずり込まれる。クソが、と一人は悪態をついた。  真摯なビジネスマンである榊一人なら、こんな時なんと答えるのが正解か。自宅の机をイライラと指先で叩きながら、一人は考える。  とその時、ぽん、とスマホの通知音が鳴った。  なんだと画面を見ると、長らく連絡していなかった兄からのチャットが届いたようだった。 「一人、元気にしてるか。こっちは先日二人目が産まれたよ。名前は玲央。男の子だ。よかったら家に寄って顔を見ていってくれ」  チャットには写真が添付されており、そこにはすっぴんの彼の妻と生まれたての赤ん坊が映っていた。  一人の目は、兄の妻の顔に自然と吸い寄せられた。慈愛のこもった目つき、この世で最も大切なものを抱いているというような手つき……。 「……っ」  一人の喉に、数時間前に食べた夕食が一気にせりあがった。胃液が喉を焼き、口に迫る。一人は口元を抑えると、もつれる足を動かしトイレに駆け込んだ。 「げえっ、おえっ、……はあ、はあ……」  気持ち悪い。  それが一人の感想だった。母親なんて、この世で一番憎むべき存在だ。そう、一人の人生には母親なんてものは必要ないのだ。  そうはじめて思ったのは、七歳の時だった。 「──おかあさん!」  一人が起きると、また母はいなかった。  父がいた頃、母は毎日手のこんだ料理を作ってくれ、兄と一人をめいいっぱい甘やかしてくれた。しかし、父が兄を連れて出ていってからは、なかなか家に帰ってこなくなった。 「ごはん、あるかな……」  母はめったに家に帰らなくなっただけでなく、食事も作ってくれなくなった。家には食べるものが何もなくて、幼い一人は水を飲んで腹を膨れさせるしかなかった。しかし、しばらくすると水道から水が出なくなり、その方法は使えなくなった。  母の食べかけが置いてある時はラッキーで、一人は冷蔵庫に食べかけの弁当やおにぎりを見つけると、餓鬼のようにむさぼりついた。  しかしある時から、母の姿がずっと見えなくなった。  一日、二日、三日……もう何日過ぎたのか分からない。いくら経っても母は帰ってこない。  ひとりでいるのが怖くておねしょをしたけれど、どうやってきれいにしたらいいのかも分からなかった。そのうち、変な臭いがする布団にねずみが住み着くようになって、一人は寝具で眠れなくなった。  そのうち段々と部屋が寒くなってきたものの、暖房のつけ方も知らない。一人はたくさん服を着て、寒さをしのいだ。 「ぐすっ、ぐすっ……おかあさん……」  泣くと、疲れる。疲れると、眠れる。寝ている間は、怖いことは忘れていられる。だから、一人はよく泣いた。泣いて、寝て、すべてを忘れようとした。でも、体の方がそれを許してくれなくなった。お腹がすいて、すいて、眠れないのだ。  ある日、意を決して、一人は初めて玄関のドアに手をかけた。父や母と一緒の時以外、外に出たことはなかった。けれど、外に出れば母がいるかもしれない。母を探しに行きたい。もう、待っているだけは嫌だった。 「おかあさん……おかあさん……」  マンションを出ると、びゅうと強い北風が一人に吹き付けた。軽い体は、風で簡単にかしぐ。よろめきながら、何枚も重ねた服の前を合わせた。  マンション前の歩道をたくさんの大人が歩いていた。みんな寒そうに背を丸めて、早足で過ぎ去っていく。 「おかあさん」  小さな声で、母を呼んだ。 「おかあさん」  もう少し大きな声で母を呼ぶと、通り過ぎていく大人の何人かがちらりと一人の方を向いたけれど、すぐに前を向いて去っていった。  マンションの近くには、父や母と何度も遊びに行った公園がある。そこに行けば、もしかしたら母がいるかもしれない。一人は必死で公園までの道を思い出した。  公園に着くと、一人は大きな声で母を呼んだ。 「おかあさあん」  公園には母の姿は見当たらなかった。遊具と、木陰にダンボールとビニールシートで作った家のようなものが立ち並んでいるだけだ。 「おかあさん……おかあさん……」  どこかに母が隠れていないかと探し回った。遊具の中、木陰、水飲み場の裏……。きょろきょろと見回していたその時、一人の目に一つのものが目に入った。それは、木に隠れるように縁石に腰掛けていた男が食べていた、おにぎりだった。  一人の口の中に、一気に涎が湧いた。食べ物だ!食べ物だ!食べ物だ!  じっと一人が男のおにぎりを見ていると、男は居心地悪そうに一人を見つめ返した。 「なんだ、坊主。腹減ってるのか」  一人は頭がもげそうなほど、一生懸命頭を縦に振った。 「食いかけでいいなら、やるよ」  ほら、と食べかけのおにぎりを差し出されて、一人はその手に噛みつくように貪りついた。 「おい、そんな焦るな。まだあるから」  焦って食べたせいで喉に詰まらせそうになりながら、一人は米を飲み込んだ。  米はまだじんわりと温かくて、一人は泣きそうになった。温かい食事を食べたのは、いつぶりだろう?食事を食べたのも、いつぶりか分からない。 「お前、飯食べてないのか?」  めし、という言葉が分からず、一人は首をかしげた。  男はもう一つラップに包まれたおにぎりを差し出してくれて、一人はそれにもかぶりついた。 「何も食べてなかったのか?」 「おかあさんがいなくて、ごはんがなかったの」  一人がそう言うと、男は不機嫌そうな顔になった。  一人は自分が何か悪いことを言ったのかと怖くて体を縮こまらせたが、男は矢継ぎ早に質問をしただけだった。 「お母さんはいつもいないのか?」 「いない」 「お父さんは?」 「いない」  男は水筒から何かを注ぐと、「ほら」と何かを差し出してくれる。久々に嗅いだ、味噌の香りだ。 「味噌汁、分かるか?これも飲め」  まだ湯気が立っている味噌汁はひどく熱かった。早く飲みたかったが、やけどしそうですぐには飲めない。ちびちびと飲んでいると、少しずつ腹が膨れてくる。 「坊主、カレンダーは読めるか?」 「よめる」  一人は食事をもらったことで、男への警戒心が随分ゆるくなっていた。男は一人にいくつか質問をすると、「ちょっと待ってろ」と言うなり、背後にあったダンボールの家の中から小さな卓上カレンダーを取り出してきた。 「じゃあな、ここと、ここの日の昼になったら、大人がこの公園でごはんをくれるんだ。ここと、ここの日だ。またここに来られるか?」 「うん」  男は、カレンダーの日曜日の欄に、赤いペンで大きく丸をつけた。 「今日はこの日だ。あと二日……夜が二回来た後、またごはんが食べられるからな。ごはんをもらったら、大人に『お父さんもお母さんも帰ってこない。家にごはんがない』って言え」 「うん」 「家にごはんはないんだっけか」 「ない」 「俺のごはんをやるから、家でゆっくり食べろ」  男はカレンダーとともに、袋に入ったいくつかの菓子パンとおにぎりを、一人に差し出した。 「たべていいの?」 「いいぞ。でも三日後にちゃんとまたこの公園に来るんだぞ。大人に言うことも覚えてるか?」 「おとうさんもおかあさんも、かえってこない。いえに、ごはんがない」 「そうだ。ちゃんと言わないと、またごはんが食べられなくなるからな」  一人はぶるりと震えた。ごはんが食べられないのは嫌だ。体に力が入らなくて、いろんなところが痛くて、寒くて、怖い。 「ありがとう、おじちゃん」  一人は男にもらった袋をぎゅっと抱き締めて、ぺこりとお辞儀をした。体がふらふらしたけれど、一人の細い体を男ががっしりとした手で支えてくれた。 「おう、家に帰れるか?」 「かえれる」 「家が分かんなくなったら、この公園に戻ってこいよ」 「うん」  一人は、行きよりもしっかりとした足取りで家に帰った。握りしめていたカレンダーは手汗でよれよれだったけれど、日付は分かる。 「あとふつか」  二回夜が過ぎたら、あの公園にまた行けばいいのだ。そうすれば、またごはんが食べられる。  腹いっぱいにパンやおにぎりが食べたくなるのをこらえて、一人はそれらを少しずつ食べた。そして、三日後にまたあの公園へ行った。  男の言うとおり、一人は大人にごはんをもらえた。熱々のカレーと、飲み物と、服ももらえた。「おとうさんもおかあさんもかえってこない。いえにごはんがない」と男に教えてもらったとおりに言うと、大人たちは驚き、「児童相談所に連絡した方がいいよ」と口々に言った。一人はその日のうちに「一時保護所」というところに連れて行かれた。  一人は、家を留守にするのが嫌だった。一人がいない間に、もしかしたら母が帰ってくるかもしれない。そうしたら、母がひとりぼっちになってしまう。でもそれ以上に、また何も食べられない生活に戻るのが怖かった。 「そこにいったら、ごはんたべられる?」  そう大人に聞いたら、泣きそうな顔で「食べられるよ」と言われた。母のことも探してくれると言われて、一人は安心した。母をひとりぼっちにさせずに済む。その日、一人は久々にお風呂に入り、安心して布団で眠った。  その後、母は一人を置いて蒸発したのだということが分かった。  「お母さんはいなくなっちゃったんだよ」と職員に説明されても、最初は意味が分からなかった。なぜいなくなったのか。どこにいったのか。母はひとりで大丈夫なのか。  けれど、一人の周囲には一人と同じように親に見放されたり、親に虐待されている子どもたちがたくさんいた。それで、初めて分かった。母にとって一人は、邪魔だったのだ。 「おかあさんは、ぼくがいらなかったんだ」  小さな一人の心に、その思いが焼きごてで押したようにくっきりと残った。  父は兄を育てるのに精一杯だからと一人を引き取ってはくれず、一人は母方の叔父や叔母、祖父母のもとを転々とさせられた。一人は年を重ねるほど、母への怒りと憎しみが増すのを感じた。自分が産んだくせに、いらなくなったら捨てるのか。まるでゴミを捨てるように、あっさりと子を見捨てた母が憎い。この世の母親という生き物すべてが憎い。  一人がもっと高みを、と目指す最大の原動力は、母親への憎しみだった。自分を捨てた母にざまあみろと見せつけてやりたい。お前の捨てた子はこんなに大成したぞとあざ笑ってやりたい。 「げえっ、うえっ……」  夕食を全部便器の中にぶちまけると、少し胃がすっきりした。トイレを流すと洗面所へ行き、顔と口の中を冷水でそそぐ。  顔をあげると、鏡の中の甘ったるい顔立ちは、おぼろげに覚えている母の顔そっくりだった。「かずちゃん」とやさしい声で呼ばれた記憶が蘇る。かずちゃんはお母さんそっくりね、ほら、目も鼻も口も、お母さんが小さい頃そっくり……。母の声が耳の奥で反響し、一人はこみ上げる吐き気のままに洗面所に胃液を吐き出した。 「母さんなんて死んでしまえばいい」  一人は顔も髪も水で濡らしたまま、鏡の中の顔を見つめて吐き捨てた。  翌週、一ノ口との文通対談が、ようやく終わりを迎えた。今回は対談の最終回に掲載する、一ノ口と一人の生対談とツーショット写真を撮る日だった。 「お二人とも、もう少し寄ってくださーい。はい、笑顔で」  今一人が写真を撮られているのは、一ノ口の住み処である中古トラックの中だ。  一ノ口は「家賃がもったいないから」という理由で改造した中古トラックに住んでいるらしく、その縁でホームレスたちと仲が良いのだそうだ。ホームレスの友人、というのはそういうことかと一人は納得した。  トラックの中は意外と広く、大人三〜四人程度なら余裕で入る。冷暖房も効いているし、一ノ口はDIYが得意なのか調度品も意外と凝っていた。なかなか居心地が良い。  一ノ口は相変わらず何を考えているのか分からない笑顔で、悠々とカメラマンからの指示に応えている。一人もにこやかに指示に従う。  あとは一ノ口が出してくれたインスタントコーヒーを飲みながら短い生対談を行い、解散だ。  結局、手紙対談では一人は一度も話の主導権を握ることはできなかった。一ノ口に問われるがままに母への思いを語らされ、一人は歯ぎしりしたいほど苛立っていた。  最後の生対談では、一人は今度こそ自分が話の手綱を握るのだ、と意気込んだ。 「では生対談ということで」 「よろしくお願いします」  一人は一ノ口が探られたくないであろう質問を必死で探したが、彼はプライベートがあまりに謎に包まれており、何を糸口に話をすればいいのか分からなかった。 「一ノ口さんはアジア人で初のノーベル文学賞を受賞されましたが、これまでに大変なご苦労をされたのではないでしょうか」 「榊さんほどではありませんよ」 「ご両親やご友人はどのような反応でしたか」 「両親はどちらも大学時代に病死しました。友人の反応は特にありませんね」  普段は自分のペースに巻き込んで話すのが得意な一人だが、一ノ口を前にするとどうにも調子が狂う。彼の薄茶色の瞳は透き通っていて、じっと見つめられると心の底まで見通されそうな不安に襲われるのだ。  ほのかな笑みを絶やさない一ノ口は一見人懐こく見えるが、目の奥はしんと静まり返っていた。まるで冷徹な刑事に尋問されているような心地になり、一人の喉がごくりと嫌な音を立てる。  一人はいつもの調子を取り戻せぬまま、ぎこちなく生対談を終えた。  生対談を終えると、二人は握手をした姿で何枚かの写真を撮った。バシャ、バシャ、と一眼のシャッター音がトラック内に響き渡る。 「以上で撮影終了です!」  ディレクターの掛け声を端緒に、あちこちから「お疲れ様でした」と声が上がる。一人はもう二度と会うまいと思いながら、隣に座る一ノ口に向き直り、笑顔で「お疲れ様でした」と声をかけた。 「はい、お疲れ様でした」  一ノ口に片手を差し出されて、一人は自然と握手をした。その瞬間、ぐい、と腕ごと彼の方に引きつけられる。 「榊さんはずっと憎しみに囚われているように見えます。ご不安になったらいつでも連絡してください」  耳元で囁かれて、一人はばっ、と顔をあげた。一ノ口を見ると、いつもの何を考えているか分からない笑顔ではなく、やけに神妙な表情で一人を見つめていた。  一人はその顔を見た瞬間、カッと頭に血がのぼるのを感じた。  まるで、やんちゃをする子どもを心配する親のような表情だ。舐めるな、俺を誰だと思ってる、と頭の奥で声が叫んだ。一人は一ノ口の手を振り払った。 「一ノ口さんはゲイとお聞きしましたが、本当だったんですね。誘うならもっと上手くやられてはいかがですか」  一ノ口がゲイだというのは、ただの噂だ。彼の小説では主人公は男女の別なく愛し合うことが多いため、世間が勝手にそう言っているだけだと思っていた。しかし一人に妙なアプローチをしてくるところからして、本当なのかもしれない。これまでずっと下心を含んだ目で見られていたと思うと、肌が泡立った。  一ノ口は一人に冷たい目で睥睨されても平然とした様子で、軽く肩をすくめた。 「ゲイなのは本当ですよ。でも誘っているわけではないです」 「そう聞こえましたが」 「榊さんがひとりだと思う時も、本当はひとりではないということですよ」  会話になっていない。一人はこの節操なしが、と心の中で毒づいた。 「社長、十五分後に経営企画部とのオンラインミーティングです」  秘書の声が耳に入り、一人ははっと我に返った。いけない、この程度で目くじらを立てるのは、「榊一人」らしくない。 「お話は以上でしょうか。失礼させていただきます」  一人は無理に頬を上げて笑顔を作ると、トラックの外へ出た。  みーん、みーん、と蝉の鳴く声が鼓膜にへばりつく。少しの不快感の影も見せないようにして、一人はスタッフに挨拶をしながらその場を後にした。 (不快だ)  その晩、一人は帰宅するとすぐにシャワーを浴びた。体にずっと一ノ口の視線がこびりついているようで、気持ち悪かったのだ。一本何十万とするボディーソープを勢いよくボディタオルの上に出すと、肌が赤くなるほど擦った。  たかが気の合わない男一人にアプローチを掛けられたからといって、くよくよと気にしていたくはない。しかし、彼の言った言葉がやけに頭に張り付いて離れなかった。 ──榊さんはずっと憎しみに囚われているように見えます ──榊さんがひとりだと思う時も、本当はひとりではないということですよ  こちらの心を波立たせて自分を頼るように仕向ける。ありきたりな誘い方だ。  憎しみに囚われているから何なのだ。母が憎い。それが社会的成功に繋がっているなら万事問題はない。それに、「本当はひとりではない」など、詭弁もいいところだ。母が一人を見放したあの時、一人は確かにたったひとりだった。  濡れた頭をがしがしと力任せにタオルで拭きながら、一人は一脚で数百万したデザイナーズチェアにどっかと腰を下ろした。  ふと、一人の脳裏に先日見た結婚情報誌のCMがよぎった。  一人がまだ手に入れていない、ただ一つのもの。それを今こそ手に入れる時のような気がした。そう、美しい恋人を手に入れれば、一人はまた一歩完璧な男に近くなる。  あいつに、俺の成功の証をまた一つ見せつけてやるのだ。  一人はスマホを手に取ると、最近急に接近してきた人気アナウンサー・斎藤佳奈の連絡先をタップした。  「サトパン」の愛称で愛されている彼女は、キー局でも随一の人気を誇る。先月テレビ局の知り合いからどうしてもと頼まれて参加した合コンで、出産願望はなく働き続けたい、とこちらをチラチラ伺いながら言ってきたことを思い出す。  一人が「近日中に二人きりで食事でもいかがですか」とチャットを送ると、ものの数秒で既読マークがつき、「ぜひ!」と愛らしいキャラクターもののスタンプが返ってきた。  一人は指紋一つないように磨き上げられた目の前のガラス張りのデスクに、スマホを放り出した。一人が声をかければ、どんな女もすぐについてくる。簡単なものだ。 「俺が成功していく様をよく見ておけよ、一ノ口豊」  高い天井を見上げながら、一人はにんまりと笑いながらつぶやいた。  数日後、一人は斎藤と二人で会食した。個室でわざわざ一人の隣に座ってくる彼女に強かさを感じながら、一人はにこやかに食事を終えた。  食事を終えて店を出ると、どこからか人の視線と気配がする。それを無視して、一人は彼女の手を握った。斎藤は頬を赤らめて、一人に体を寄せる。  彼女を先にタクシーに乗せると、一人はいい気分で帰宅した。  帰宅して真っ先に見たのは、検索エンジンのトップページだ。国内のトップニュースが並んでいるそれを開くと、一人の名前が一番上に書かれていた。案の定、芸能人の一大スクープを抜くので名高い週刊誌が、一人と斎藤のデート情報を早速記事にしていた。  「榊と斎藤は人目もはばからず体を寄せ合い……」「手を繋ぐなど良い雰囲気で……」と書かれている。一人は記事を見てほくそ笑んだ。  パパラッチに追われていることは前々から分かっていた。少し餌でも撒けば食いついてくると思ってはいたが、こんなにも反応が速いとは。  翌朝、マスコミ各社から会社宛てに斎藤との交際の有無に関する質問が殺到した。一人は全社に悠々と返答を出す。 「まだ彼女に気持ちは伝えていませんが、彼女とは結婚を見据えたお付き合いをしたいと考えています。俺の片想いです」  斎藤が朝の情報番組で一人のことを匂わされ照れているのをテレビで見ながら、体の隅々に充実感がみなぎっていくのを感じた。  その夜、斎藤から「私もぜひ結婚を見据えてお付き合いしたいです」とチャットが届いて、一人はにやりと口をゆがめた。今まさに、一人は完璧な男になった。誰もが欲しいと願うもの、全てを手に入れたのだ。  一人は広いベランダに出ると、街を見下ろした。  今の一人に怖いものなど一つもなかった。  世界中が一人の味方で、誰もが自分の成功のために尽くしてくれる手脚のような存在に思える。今や世界は、一人のために動いていた。 「俺は無敵だ」  口に出してみると、まさにそうだと思えた。一人は思わずふふっと笑うと、そばに置いていたハンモックにゆったり寝そべり、酒に酔ったいい気分で目を閉じた。  一人は今まさに、この世の春を満喫していた。  しかし、順風満帆な一人の人生に、少しずつ影が差し込んでいた。  光が強いほど、影は濃くなるものだ。影の中でうごめく人々を、一人は軽視していた。けれども、影というものはある日突然目にも留まらぬ速さで、光を飲み込むものだ。光の中にいる者は、悲しいかな、それに決して気付かない。  一人と斎藤との結婚報道の熱狂が冷めやらぬ中、SNSである投稿が話題を呼んだ。それは、一人が運営するビジネスセミナーに関するものだった。 「榊一人のビジネスセミナー、情報商材が20万円からってwボロ儲けすぎw」  一人はプログラミングスクールを運営する一方で、ビジネススクールも開講していた。「一ヶ月で圧倒的成果を出せる、一流のビジネスパーソンになれる」との触れ込みで、販売していたオンライン学習システムだったが、「中身が金額に見合わない」という感想が、その投稿の後からぽつぽつと現れてきた。  「榊一人って動画でアフィリエイトに誘導してるんでしょ? どんだけ金の亡者なんだよw」「榊一人も結局情報商材屋になっちゃったか。残念」……一つの投稿を発端に、人々は一人のあら捜しをしようと群がりはじめた。元の投稿は二万、三万……と拡散されていき、とうとう十万以上の人々がその情報を拡散した。  しかし、一般人にひがまれるのは有名税のようなものだ。一人はその投稿のことを耳にしてはいたが、相手にもしなかった。秘書からも炎上案件として報告は受けていたが、「しばらくすれば落ち着くだろう」と言ってのけただけだった。けれども、一人の予測は大きく外れる。  最悪なことに、テレビ局のワイドショーがSNSの炎上に油を注いだのだ。 「社長、ワイドショーで弊社の炎上騒動が取り上げられています」  秘書から連絡を受けて、一人はメールに添付されていた動画を見る。  炎上の発端となったSNSの投稿、そしてビジネスセミナーの実態と利用者の感想が説明される。 「『一ヶ月で圧倒的成果を出せる、一流のビジネスパーソンになれる』と謳われているこの商品だが、実態はどうなのか?」 「講座はあらかじめ録画された榊社長のスピーチを聞くだけです。簡単なケーススタディを何問か解かされますが、それだけ」 「榊社長から直々にアドバイスが欲しい場合は、追加料金がかかるんです。三十分十万円ですよ。ぼったくりだ」  明らかに悪意を感じる報道内容で、一人は知らず手を握りしめる。類似の学習システムは他社でも行っているにも関わらず、あえて一人をやり玉にあげている。  そして最後に待っていたのは、ある男へのインタビューだった。一人が普段どんな人間かを証言させるというものだった。 「すげえ高圧的で、嫌な感じでしたよ。何もかもが鼻につくっていうか」 「すげえナルシストなんですよ。常にカメラを意識して行動してて。腹の底が見えない人って感じでしたね」  声と姿は隠していても、口癖までは隠せなかったようだ。インタビューを受けていたのは明らかに、一人に密着取材をしていたプロデューサーだった。  べらべらと一人の悪評を並べ立てる彼は、一人の前の彼とは全く別人だった。俺の前ではごまをすっていたくせに、状況が変われば手のひらを返すのかと一人は画面を見つめて舌打ちをした。 「今や国民的スターとも言える榊社長ですが、この件についてどう考えられているのでしょうね」 「株式会社spanの今後が危ぶまれますね」  アナウンサーたちは眉間にしわを寄せて真面目ぶって話をしている。一人はもう見ていられず、動画を切った。  しかし、そんなことをしたからといって現実から目を背けられるわけではない。 「社長、受講者の解約が止まりません。現時点で全体の三割が解約を希望しています」 「クレームの対応で問い合わせ窓口がパンクしそうです」  ワイドショーの後から、TECHLABOの解約者が続出した。さらにビジネスセミナーへのクレームや嫌がらせの電話が殺到し、通常時の人員では回しきれなくなった。  まるで悪夢のような事態だったが、まだ一人は楽観視していた。これまでも何度も窮地に陥ったことはあった。けれど、どうにか乗り越えてきた。今回も同じようにうまくいくはずだ。  炎上の火消しに右往左往しながらも、ビジネスセミナーは継続した。世間の声に負けたわけではない、これは正当な商品なのだという自信があったからだ。  それに、一人は押しも押されもせぬ国民的スターだ。多少の陰りはあっても、簡単に地位が揺らぐはずがない。 (ここで弱気な態度を見せたら、炎上を煽る奴らの思うつぼだ。負けるな)  一人は自分に喝を入れ、一層強固な態度を取るようになった。ビジネスセミナーは正当な商品であることを繰り返し、クレームにも断固とした態度を取るように社員たちに教育した。  しかし一人が怯む様子を見せないと、炎はさらに燃え上がった。  「榊一人は怪しい」「榊一人は詐欺師」といった暴露系Youtuberの投稿が増え、ネットの検索結果も「榊一人」と入力すると「詐欺」「情報商材」といった言葉が予測変換で出るようになってしまった。 (くそ、どうしてこうなった。どこで何をしておくべきだった?)  いよいよ一人は追い込まれた。主力事業であるTECHLABOの新規受講希望者ががくんと減り、売上が大きく減少したのだ。  このままでは社員を雇い続けられない、と役員から進言され、一人はやむなく社員にリストラを勧告した。しかし、これも悪手だった。リストラされるくらいならと自主退社の社員が想像以上に出たため、元の半数以下にまで社員が減ってしまった。そのせいでTECHLABOのユーザー対応がずさんになり、ビジネスセミナーだけでなくTECHLABOまでも口コミが悪化。あがけばあがくほど、全てが悪い方へ転がっていった。  斎藤から何度か連絡があったが、一人は彼女に構っている余裕はなかった。  少しでも会社を立て直さなければならない。株主になんと説明すればいいのか。ここまで悪評が広まってしまうと、CMの違約金が発生するだろう、それは一体いくらになるのか。少しの時間も無駄にはできず、一人はろくに食事も摂らずに朝に夕に駆けずり回った。  TECHLABOを立て直さねば、客を呼び戻さねば、と焦るものの、方法は思いつかない。今更ビジネスセミナーは中身が伴っていなかったと謝罪し、撤回し、返金して炎上は収まるのか?いや、収まらないだろう。ビジネスセミナーの炎上はとうに終わり、今はただ榊一人の悪評だけが独り歩きしている。  一体どこから立て直せばいいのか、一人はパニック状態だった。一人はこの騒動で円形脱毛症になるほど悩み、苦しんだ。 「社長、責任を求める声が株主に広まっています」  秘書からそう言われた時、一人は、一気に膝の力が抜けるのを感じた。もう、ここまでか。  TECHLABOは、ひとりで立ち上げた事業だった。十年近くかけて一大事業に成長させたが、ここらで次の代に変わるべきなのかもしれない。一人が職を辞さなければ、もはやTECHLABOの悪評は消えないように思われた。 「分かった、会社は売却する。買い手のあてはついているから、追って連絡する」  会社の株式のほとんどは一人が所有している。ずっとTECHLABOに興味を持ってくれている知人に早速連絡を取ると、株式を全て彼に売ることを約束した。  一人は知人にデューデリジェンスや契約書締結のタイミングを相談する電話を終えると、深いため息をついた。  株式会社spanは一人の命だった。けれど数日のうちに、もう一人のものではなくなる。一人は「あのTECHLABOの榊一人」ではなく、「ただの榊一人」になるのだ。  命の火が消えたような気持ちになりながら家に帰ると、CMに出演した各社から違約金の請求書が届いていた。一つ一つ封を開けていったが、最後にはさすがの一人も言葉を失い、体がおこりにかかったように震えた。そこには、数百億という金額がいくつも書き並べてあった。  本当に何もかもすべてを売り払わなければ、到底返済しきれない。会社を売却し、家など資産を洗いざらい売払い、貯金を空にすると、どうにか違約金は支払えた。違約金を精算し終えた一人の手には、紙くず一つ、残っていなかった。  知人に株式を譲渡し終え、違約金を精算し終えると、一人は手持ち無沙汰になった。友人に連絡を取ろうとしたが、誰も一人からのチャットには答えない。電話しても、誰も出ることはなかった。友人だと思っていたのは、一人だけだったようだ。  では、斎藤ならどうか。結婚を前提に付き合うとまで話していたのだ。せめて返事くらいはあるだろうとチャットを送ろうとしたが、一向に既読のマークはつかない。どうやらブロックされているらしい。  おもむろにテレビをつけると、斎藤が若手人気俳優と懇意にしているというニュースが流れていた。斎藤は幸せそうで、共演者たちにからかわれてのろけていた。 「子どもは二、三人ほしいと周囲に漏らしているとか……サトパンやるねえ〜」 「やめてくださいよ〜。でも来年までには籍を入れたいねって彼と相談してるんです」  素敵、と盛り上がるスタジオは直視できないほど華やかだ。まるで、別世界の出来事を見ているようだった。一人は何もかもを失い、知らない間に彼女は新たな男と未来を歩き始めていた。  一人は、またひとりになった。  家の引き渡し日はもう今日だった。けれど、引き渡した後のことは、何も考えつかない。今晩、一人を泊めてくれる友人のひとりもそばにはいない。  財布を開くと、残高のないクレジットカードに、現金が数千円と小銭がいくらか。スマホのキャッシュレス決済サービスアプリに数百円の残高が残っているだけだった。今日、明日くらいはネットカフェに泊まれるかもしれない。けれど、その後は? 「どこへ行ったらいいんだ……」  一人がスマホと財布だけを手にしてかつての自宅の前で佇んでいると、ぽつぽつと小雨が降り始めた。  今の一人には傘さえない。近くの公園に飛び込み、遊具の中で雨をしのぐ。  ぼうっと膝を抱えて座り込んでいると、一人の頭にひとりの男の顔が浮かんできた。連絡先は、念のためとスマホに入れていたはずだ。一人は、男に電話をかけた。 「榊さん」 「……すみません。来ていただいて」  十数分後、一人の前にいたのはあの、毛嫌いしていた一ノ口だった。遊具の前に立って新品の傘を一人に差し出してくれている。  もはや、一人に恥ずかしいという気持ちはなかった。ここまで落ちぶれたことは、いくら日頃からメディアに無頓着な一ノ口でも知っているはずだ。  正直、心も体も疲れ切っていた。世界の誰も、自分の味方ではないようだ。ただし、目の前の謎めいた男を除いて。一ノ口は一人の味方でもなければ、敵でもない気がした。 「ここじゃ落ち着かないし、僕のトラックに行きましょうか」 「……はい」  手を差し伸べられて、一人は素直に彼の手を取った。  トラックに入ると、中はほんのり暖かかった。雨で冷え切った体をぶるりと震わせると、「どうぞ」と一ノ口からバスタオルが手渡された。いたれりつくせりだ。一人はもう何も考えずに、バスタオルを体に巻き付けた。 「温かいミルクはお嫌いですか?」 「……嫌いなものは、ないです」  電子レンジがブーンとうなりを上げる。トラックの中では一ノ口の趣味であろうクラシック音楽がかすかに流れていて、それ以外は雨の音しかしなかった。  一人がバスタオルの両端を体の前できつく握りしめていると、目の前に湯気の立つマグカップがずいと差し出された。中には乳白色の液体がなみなみと入っている。 「僕の趣味で甘くしています。熱いのでゆっくり飲まれてください」  そっとマグカップを受け取り、何度か息を吹いて冷ましてから、口をつける。はちみつの香りがするそれは、一人の空っぽの胃を温めた。そういえば、いつから食事をしていないのか忘れていた。  一人が黙ってミルクを飲んでいる間、一ノ口も黙ったままだった。彼は自分のためにコーヒーを淹れたようで、コーヒー豆の香ばしい香りがトラックの中いっぱいに広がる。  世界に一人と一ノ口の二人しかいないような静けさだった。 「……一ノ口さんが言ったように、俺は憎しみに囚われていました。それでも成功できるんだと、世界に見せつけたかったんです」  一人は残りわずかになったミルクの水面を見ながら、独り言のようにつぶやいた。  一ノ口は小さなキッチンから移動して、一人の隣に座った。二人分の体重を受けて、ソファがぎしりと軋む。 「母を憎んで、憎んで。その気持ちが成功の原動力だと信じていました。でも、今はどうしたらいいか、分からないんです」  一人の声に水音が混じる。常に冷静沈着なのが、榊一人だ。でももうどうでもよかった。榊一人は死んだ。一人の膨れ上がった虚栄心が、榊一人を殺した。 「憎んでいる自分を否定しちゃダメです。自分の心に正直に、全部吐き出してしまいましょう」  失礼、と言うなり、一ノ口は唐突に一人を抱き締めた。  一人はびくりと身をこわばらせたが、他人の体温を感じるのは久しぶりで、しばらく抱き締められているうちに段々と体が緩んできた。分厚く硬い体は温かくて、意外と居心地が良かった。 「母さんなんて、大嫌いでした……ずっと待っていたのに、帰ってきてくれなくて」  一ノ口は聞いているのかいないのか、黙ったままだ。  ぼんやりとしていた母への憎しみを口に出すと、止まらなくなった。 「俺はずっと待ってた。母さんがいつか帰ってきてくれるって信じてた。でも、帰ってきてくれなかった。母さんは俺が嫌いだったんだ。死んでほしかったんだ……」 「お母さんを、待っていたんですね。苦しかったですよね」  一ノ口が、優しく一人の言葉を促す。 「苦しかった…母さんを見返したかった。違う、母さんに会いたかったんだ。こんなに立派になったなら会いたいって、思って欲しかった…」  一人の大きな瞳から、ぼろりと涙が溢れた。  そうだ、一人はただ母を愛していた。母に会いたかった。母を抱きしめたかった、抱きしめてほしかった。一人と一緒に生きてほしかった。父と兄がいなくなってしまっても、それでも、二人でなら何でも乗り越えられると、信じたかった。 「偉かったですね。一人で頑張ってきたんですね」  一人の口から嗚咽が漏れた。  偉かった、そう母に言ってもらえたらどんなに嬉しかったか。一ノ口の大きな手が、一人の小さな頭を何度も撫でた。  幼い頃、母の手伝いをすると父がこうして頭を撫でてくれるのが好きだった。父の顔はぼろげだけれど、いつも笑顔で穏やかで、優しかった。  一人が良い子であれば、一人が頑張れば、いつかすべてが元通りになると思っていた。母を見返したいと思いながらも、心の底では、父も母も兄も揃ったあの優しい日々を取り戻したいと躍起になっていたのだ。 「おかあさん……」  一人の口から、弱々しい声が漏れた。初めて母がいない間に外に出た日と同じように、一人の声は小さく頼りなかった。 「おかあさん……おかあさん……」  母を呼びながら、一人の目からはとめどなく熱い雫がこぼれた。  一ノ口が一人を抱きしめる力は一層強まって、彼の厚い胸板に顔が押しつけられて痛いほどだった。けれど、それを突き放したいとは思わなかった。逆に一人は彼の胸にしがみつくようにして、泣きじゃくった。母が消えた日からずっとこらえていた涙が、今一気に決壊したようだった。  一人は一ノ口の腕の中で、無我夢中で泣き続けた。泣いて、泣いて、泣きつかれて、ふと気づくと、外は真っ暗になっていた。 「今日はいろいろあって疲れたでしょう。寝ましょう」  一人はぼんやりした頭のまま、こくんと頷いた。カーテンで区切られたスペースの向こうに一人用のベッドがあり、そこに寝かしつけられる。 「お腹いっぱいになって、温かい場所で眠ったら、元気になれますよ」  毛布を腹にかけられて、一人は軽い睡魔が襲ってくるのを感じた。酒に酔ってもいないのに、一ノ口の顔が二重、三重に見えて、輪郭がぼんやりとしてくる。 「おやすみなさい」  ぽん、ぽん、とあやすように腹のあたりを何度も軽く叩かれ、一人は「子どもじゃない」と反論しようとした。けれど、それは言葉にならなかった。ずっと張っていた緊張の糸が、ぷつりと切れたようだった。起きたら、今度は大人の自分に戻るから、と言い訳をして、一人は雨音とクラシック音楽をBGMに、どっぷりと深い眠りについた。  ──やけにまぶたが重い。  一人は熱を持って腫れたように感じるまぶたを、無理やりこじ開けた。  体を起こそうとしたが、男の腕が重くて身動きができない。一ノ口は一人を抱き込むようにして、ベッドで眠っていた。ベッドで誰かと添い寝するなんて、物心ついてからは生まれてはじめてだ。  一人が一ノ口の腕をどかそうと苦心していると、彼がようやく起きた。 「榊さん、おはようございます。よく眠れました?」 「……眠れました。ありがとうございます」  誰かの前で大泣きしたのも、生まれてはじめての経験だ。抱き締められたのも、あやすように寝かしつけられたのも。思い出すとすべてが恥ずかしくて、一人は硬い口調で返した。 「そんなに警戒しないでください。別に取って食ったりしないし、弱みを握ったとも思ってないです」  一ノ口は大きく伸びをすると、大きなあくびをした。のっそりとベッドから起きると、ケトルに水を入れ電源を入れる。コポコポと水の沸き立つ音を聞いていると、そういえば外から雨の音がしないことに気づいた。雨は一晩で上がったらしい。  一ノ口は沸騰した湯でコーヒーを作ると、ミルクをたっぷり注ぎ、ベッドに座っている一人に手渡してきた。一ノ口は一人の正面のソファに座った。 「榊さんに『誘うならもっと上手くやられてはいかがですか』って言われた時に、半分は図星だったからドキッとしたんですよね。だから、困った時に僕を頼ってくれて、申し訳ないけど嬉しかったです」  熱いカフェオレをすすりながら、一ノ口はこともなげに言う。 「榊さんのこと、初めて見た時から素敵だなって思ってたので。芯が強くて、努力家で、冷徹に見えるけれど本当は情に厚いのを隠しきれてなくて……」 「もう! もういいですから」  一人は一ノ口がぺらぺらと話し続けるのを慌てて遮った。このままだと、一人への大告白大会になりそうだったからだ。  一ノ口はもしかしたら自分のことを好いているのかもしれないとは思っていたが、それは単に外見や華やかな社会的地位に惹かれてのことだと思っていた。けれど、一ノ口の言葉を聞いていると、そうではないように思えた。一人が隠したかった、心のやわらかい部分を、一ノ口はしっかり見てくれていたのだ。 「あれ? 照れてくれてます?」 「照れてないです」 「嘘だ。榊さん色白だから照れるとすぐ分かるんですよ。もしかして僕、割と意識してもらえてます?」 「うるさいなっ」  一人が真っ赤になって喚くと、一ノ口は声をあげて笑った。  カフェオレを飲み終えると、一人は一ノ口の日課だという散歩に付き合った。まだ朝は明けきっておらず、街は静かだった。いつの間にかトラックは公園から移動していたようで、大きな川沿いを二人は歩いた。朝焼けに染まった空を、鳥が飛んでいく。  二人は何も言わず、ただ黙って歩いた。川のせせらぎ、木のざわめき、草の匂い。一人は胸いっぱいにそれを吸い込んだ。細胞のひとつひとつが、新しく組み替えられていくようだ。  ランニングしている男女とすれ違う瞬間、一人は身をこわばらせた。けれど、彼らは一人が何者か気づいていないようで、視線も寄越すことなくあっさりと通り過ぎていった。  一人の体から、一気に力が抜けた。世界のすべてが敵だと思っていたけれど、世界は一人たったひとりがどうなろうと変わらないのだ。思っていたよりずっと自分はちっぽけだったのに、思い上がっていた、と一人は男女の後ろ姿を見ながら思った。 「俺……」  一人が話し始めると、隣を歩く一ノ口が穏やかな目で見下ろしてきた。 「一ノ口さんから自分の心に正直に、って言われて、やっと、心の荷物を降ろせた気がしたんです。今度は、母を憎まないで生きていきたい」 「ええ、きっと生きやすくなりますね」  一ノ口からそう言われて、一人は安心した。これまでは、誰にも頼らずひとりで何事も判断するのがかっこいいことなのだと思ってきた。事実、そうして成長してきた。けれど、今日は一ノ口に背中を押されて、一人はほっとしていた。誰かに背中を預けて安心するのも、初めての経験だった。  美しい朝焼けが空を覆っていた。今日はいい天気になりそうだった。 「事務所はもっと小規模な場所へ移転します。給与も大幅に下がります。ついてきてくれる方だけ、ついてきてください」  @homeの事務所で、全職員を前に一人は言い渡した。職員たちがざわめいたが、一人にもう迷いはなかった。  一ノ口に背中を押されて、一人は心機一転、@homeに全力投球することで自分を見つめ直すことにした。  母への思いはまだ複雑だ。憎しみも、愛も、ぐちゃぐちゃなまま一人の心の中に居座っている。  けれど、一ノ口が言うように自分の心を大事にすると、憎む心以上に、幼い自分を支えてくれた周りの人々に感謝したいという気持ちが強くなった。  ひとりぼっちで餓死しかけていた一人を助けてくれたのは、あの日のホームレスと炊き出しのボランティアの人々だ。彼らに恩返しをしていれば、一人の憎しみはいつか消えて、母にただ愛する気持ちだけで向き合えるようになる気がした。  一人はデスクに就くと、早速パソコンを広げた。  今の@homeは株式会社spanからの利益を当てにした構造になっていたが、株式会社spanはもう一人のものではない。根本からやり方を変える必要があった。  まずは、就業したいが仕事がない、力仕事は不得意だが仕事をしたいというホームレスの人々のために、プログラミング言語を学習してもらうことにした。そうすれば、人材不足であえぐIT企業への就労支援ができる。  また、職員にはエンジニアを増やし、ネットカフェや車に寝泊まりしている潜在的なホームレスの人々が食事にありつけたり就業できるように、炊き出し情報アプリや住所不定でも申込可能なアルバイト情報だけを集めた検索アプリやホームページの作成をし、それらに表示する広告費で利益を得られるようにした。  これで収益の柱も支援体制も大きく変わる。  ホームページやアプリでの広告収入の他には、一人の動画チャンネルや、ホームレス支援関係の講演依頼で得た収益も活動資金に充てることにした。その他にも──。 「大勢の人の前で話すのは、苦手なんですけどねえ……」 「手伝ってくれるって言ったでしょう」  講演依頼のメールの山を見ながら、一ノ口がイスの背にもたれながらうんざりとした口調で言う。  @homeで再出発したいと一人が言った時、一ノ口は手伝いをしたいと申し出てくれた。片想いの相手が頑張っていることを、隣で支えさせてほしいと。 「かっ……片想いって、本気ですか」 「本気じゃない相手にこんなに優しくすると思います?」  朝の澄んだ冷たい空気が、一気に蒸し暑くなった気がした。 「ギラギラした榊さんもそれはそれで素敵だったけど、今の榊さんはもっと魅力的です。だから誰かに盗られないように横で見張っておこうと思って」  一ノ口のからかうような口調に、一人の頭にかっと血が上った。一人は一ノ口の言葉に背中を押されて本気で人生を変えようとしているのだ。もしふざけているなら、この男を張り倒したい。 「一ノ口さん、俺は本気で……」 「僕も本気です」  一ノ口は歩みを止め、一人が釣られて止まると、じっと目を見つめた。 「これからあなたの隣で、本気で口説いていくつもりですから。覚悟しておいてくださいね」  一人はしばしぽかんとした後、真っ赤になって、一ノ口の背をぐいぐいと押してトラックへ帰る足取りを早めた。 「これくらいで照れるなんて榊さんはウブだなあ」 「照れてません」 「ふふっ、はいはい」  初めてトラックに泊めてもらった日にされた、一ノ口からの一連の告白を思い出し頬が熱くなるが、一人は知らん顔で手で顔に風を送った。 「隣で支えてくれるというなら、これくらい頑張ってもらわないと」  一人が彼の言葉を引き合いに出してそう言うと、一ノ口は細い目をさらに細めてにやりと一人を見返した。 「榊さんがキスの一つでもしてくれたら元気が出るんですけど」  面倒そうに指先で画面をスクロールする一ノ口の後ろで、一人は茹でダコのように赤くなる。 「頬でいいですよ」 「しません」  一人が丸めた書類で彼の肩を叩くと、一ノ口は残念そうに唇を尖らせた。 「まあ、榊さんと働くのは楽しいのでいいんですが」  背中を丸めてメールを選り分けながら、一ノ口がつぶやいた。何もかも失ったと思っていたが、まだ自分の周りにいてくれる人がいる。一人は思わず口元に笑みが浮かぶのを抑えられなかった。  事務所の中は、まだ進退を決めかねているスタッフたちでざわめいている。その中で一人と一ノ口だけが、二人淡々と前に向かって歩んでいた。  数日後、前の事務所より二周りは小さい事務所で一人と一ノ口はまたパソコンに向かっていた。スタッフは減ったが、ほとんどが辞めずに残留してくれた。そのおかげで事務所は多少ごちゃついていた。 「社長、これどこに置きますかね?」 「それはもう捨てていい」 「社長、こっちは……」 「それは右の棚の引き出しの中に」  人手が減ったせいで、一人も何かと現場に駆り出されて忙しくなった。けれど、忙しくしていると一人は憎しみに身を焦がさずに済んだ。世知辛い社会の中でも、人の優しさは確実にあって、自分はそれに囲まれて生きているのだと実感することができた。  一人が事務所からゴミを運び出していると、数台のカメラとともにアナウンサーたちが一人に向かって走り寄ってきた。 「榊さん、世間では『榊一人の情報商材に騙された』という声があがっていますが、それはどのように考えていらっしゃいますか?」 「広告などの違約金はおいくらくらい支払われたんでしょうか?」  バシャバシャとフラッシュが炊かれる。まるで重罪人のような扱いに、一人は思わず笑いそうになる。たかが、ひとりの男が名声を失っただけなのに、まるでこの世の終わりのように騒ぎ立てる。彼らも仕事なのだろうが、大変だ。 「すべて然るべき対処をしました」  然るべき対処とはどのような?詳細な説明責任があると思われませんか!  一人が事務所に入るまで、アナウンサーたちは一人の背中に口々に叫び続けていた。  その翌日も、テレビ局や週刊誌のアナウンサーや記者が事務所前に並んでいた。その翌日も、そのまた翌日も……他に報道することはないのかと一人は呆れつつ、会釈をして、「すべて然るべき対処をしました」と繰り返した。  メディアに追いかけ回されている間も、一人は炊き出しはやめなかった。 「熱いので気をつけられてくださいね」 「寝袋も配布しているので、ぜひ持っていかれてください」  おにぎりと味噌汁をホームレスの人々に手渡しながら、声をかけ続ける。隣で一ノ口もにこやかに食事を配布している。  ホームレスの人々と接すると、一人は初心に立ち返れる気がした。  それに、今の一人には一ノ口がいる。自分が悪い道に進んでしまいそうになったら、一ノ口が必ず首根っこを掴んで引き止めてくれる……一人はすべてを失った時から、彼にはそんな信頼を寄せていた。  ちらほらと雪が舞い始めて、一人はぶるりと震えた。手は赤くかじかんでいて、あまり感覚がない。手袋をつけようかとした時、新たに男が一人の前に立った。 「おにぎりとお味噌汁です。熱いのでお気をつけ……」 「ペテン師!」  一人は手渡したばかりの味噌汁を、顔面にぶちまけられた。 「っつ……」 「榊さん!」 「冷やしたタオル、持ってきて」  スタッフから悲鳴が上がった。よろめいた一人を一ノ口が受け止め、怯えて立ちすくんでいたスタッフにタオルを持ってくるよう的確に指示を出す。 「詐欺師! 悪魔! 死ね!」 「俺は誰も、騙していません。あなたがどう思おうと、俺は死なない」  投げつけられたのが味噌汁で、まだよかった。一人は火傷してじんじんと痛む顔をゆがめながら、なんとかそう絞り出した。  男は男性スタッフたちから押さえつけられてもなお、まだ喚いていた。その後男は警察に連れて行かれ、一人は服を着替えて何事もなかったように炊き出しを続けた。 「ちゃんと冷やしてくださいね」 「分かってます」  一人は一ノ口のベッドを占領し、顔を氷嚢で冷やしていた。  一人は家を失ってから、一ノ口のトラックで寝泊まりさせてもらっている。一ノ口が「家が見つかるまでベッドを貸しますよ」と言ってくれたので、厚意に甘えているのだった。@homeの事務所で寝泊まりしてもよかったが、誰もが簡単に一人に悪意の牙を剥く中、ひとりでいるのは心細かった。 「風も吹きあへずうつろふ人の心の花に、なれにし年月を思へば、あはれと聞きし言の葉ごとに忘れぬものから、我が世の外になりゆくならひこそ、なき人の別れよりもまさりて悲しきものなれ」 「……何ですか、それ」 「徒然草の第二十六段です。人の心は花のように変わってしまう、という意味です。人の心は移ろうもの。大丈夫ですよ」  一ノ口はベッドの向かいのソファに座ると、一人の頭を撫でた。 「火傷の痕が残らないといいんですが」  薄い色の瞳でじっと見つめられると、一人はなんだかむず痒いような感覚になった。 「嫌われるのには、慣れてます。それに、周りがどうなっても、一ノ口さんは変わらないでいてくれるでしょう?」  一人が一ノ口の瞳を見返すと、彼はふっと笑った。 「弱みを握られているのは、どうやら僕の方みたいだ」 「別にそんなつもりは……」 「いえ、そうですね。僕は自分がどう感じるか以外に興味はありませんから」  一人の前髪を指先で梳きながら、一ノ口は楽しげに言った。 「ゆっくり大人になればいいんですよ。嫌われることを怖がっていいし、めいっぱい周りに心配をかけていい。みんながどう言おうと、榊さんの人生は幸せにしかなりません。そうでしょう?」  だって今、こんなにも幸せになろうと頑張っているんですから、と言われて、一ノ口の言葉が、一人の心にじんわりと沁みた。  本当は、嫌われるのは怖い。憎まれるのも、怖い。けれど、慣れていると言わなければ心配をかける気がした。けれど、一ノ口には一人のそんな虚勢はお見通しなのだ。  不意に、一ノ口の手に擦り寄りたい気がした。幼い頃、父や母に甘えたように、無心で甘えられたら。でもプライドが邪魔して、そんなことはできなかった。むずむずと口が動くのを必死で引き結んで、一人は氷嚢の冷たさに意識を集中させた。  一ノ口は、何も言わずに優しい瞳で、ずっと頭を撫でてくれた。一人は安心して目を閉じた。風の音だけが聞こえる、静かな夜だった。  一人が一ノ口のトラックで寝泊まりし始めて一ヶ月も経つと、@homeの事務所のまわりや炊き出し現場にメディア関係者が来ることはほとんどなくなった。  嫌がらせの電話やメールも、ほとんどこない。逆に、これまで一人が「不要だ」と切り捨ててきた、社会貢献はしているが規模が小さく影響力が小さいメディアや一部の業界でしか名が知られていないようなニッチなメディアから、好意的な取材依頼が来るようになった。嬉しい変化だった。  一ノ口は、「隣で支えさせてほしい」という宣言通り、よく働いた。  メディア嫌いは相変わらずだが、彼の引き受けた講演はどれも大盛況だ。一人の右腕としても優秀で、何事も先回りして雑務を片付けておいてくれる。  一介の作家にしておくにはもったいない、と一人がぼやくと、あなたのパートナーになるつもりなのでこれくらいできないとね、とウインクされた。ウインクを避けると一ノ口から非難の声が上がったが、二人の関係は万事良好だった。  一人に対するメディアや世間の目は未だ冷ややかだったが、一ノ口が一人の生まれ変わった姿をことあるごとに話してくれるおかげで、徐々にイメージは回復している。  「みんながどう言おうと、榊さんの人生は幸せにしかなりません」という一ノ口の言葉が、少しずつ現実になっているようだった。  @homeに一人が注力しはじめて、早くも二年の月日が経った。  一度は資金不足で事務所を縮小したり職員を削ったりと壊滅の危機に瀕したが、一ノ口や多くの職員の努力のおかげで、ホームレスの人々への支援内容は以前より拡大・充実している。  一ノ口は「悪い虫がつかないように見張っている」と口ではふざけながらも真面目に一人の補佐に徹していて、今や彼がいなければ@homeは回らないと言ってもいいほどの重要人物になっていた。@homeはもはや「榊一人のNPO法人」ではなく、「榊一人と一ノ口豊のNPO法人」だった。  今日は、都内の小さな事務所で、一人は取材を受けていた。一人と一ノ口の社会起業家としての側面をフォーカスしたいという話だった。 「TECHLABOから離れて、榊さんが変わったという声が多く聞かれます。その点についてはどのようにお考えですか?」  TECHLABOで奔走していた日々が、もう懐かしい。一人は目を細めて遠くを見つめた。あの頃の自分は、社会的名声や金が得られれば幸せだと思っていた。母に復讐するにはそれが一番の手立てだと信じて、突き進んでいた。自分は母に復讐したいのだと思い込んで、寂しいと叫ぶ心を塗りつぶして、無理に前に前に進もうとしていた。 「変わったと思います。TECHLABOから離れたからというより、ある人との出会いで変われたと思っています」  記者に視線を戻してそう答えると、記者からはすかさず次の質問が飛んだ。 「ある人というのは?」 「それは……」  一人がちらりとカメラの方に目をやると、その横にのんきにあくびをしている一ノ口が立っていた。周囲は「あれって一ノ口豊だよね」「写真よりイケメンじゃん」と色めき立っているのに、本人はまったく気にしていない。相変わらずだ、と一人は笑いを噛み殺した。  目の前には前のめりの記者がいる。 「秘密です」  一人がにこりと美しい笑顔を見せると、記者はほのかに頬を染めた。 「今日のインタビュー長かったですね……疲れたので甘いものでも食べて帰りませんか?」 「いいですよ、一ノ口さんの奢りなら」 「何言ってるんですか、榊さんの方がお金持ってるでしょ。当然榊さんの奢りですよ」  当然というように一ノ口がにんまり笑って、一人は大げさにため息をついた。スマホを取り出すと、すい、すいと画面をタップする。 「徒歩五分くらいのところにお気に入りの紅茶専門店があるので、そこでいいですか」 「ぜひそこで」  鼻歌を歌う一ノ口は幸せそうで、一人は思わず頬を緩めた。  この世の何もかもを手に入れたと思った時もあった。それが幸せなのだと思っていた。けれど、今の一人には分かる。見せかけの栄光は心の闇を深くするだけだ。自分の心に向き合って素直に生きていけば、おのずと幸せは掴める。ありのままの自分を愛してくれる人とも出会える。  一人は隣を歩く一ノ口の手を見ると、思いきって手を握った。  一ノ口が弾かれたように一人の方を振り向き、逃すまいと手をぎゅうと強く握りしめる。一人は一ノ口の顔を見られず、赤くなっているであろう顔を下を向くことで隠した。自分が今どんな顔をしているのかは、知りたくない。でも、きっと耳まで真っ赤になっているだろうから、彼には一人の動揺などお見通しだろう。  暖かい陽の光に照らされながら、二人は店までの道を手をつないで歩いていく。  一人の人生は、まだ始まったばかりだ。
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