君と最後のダンスを

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君と最後のダンスを

『―――()()()君にとって良い婚約者が現れることを祈っている』 (少し言い過ぎただろうか…)  テオドールは元婚約者ヴェネットに言った言葉を思い返していた。  お互い貴族の子である以上、家のため新しい婚約者を探すのは当然の流れだ。でも、あんな風に突き放したものの言い方をする必要なんてなかったはずだ。彼女も少なからず傷ついたような顔をしていた。  どうもテオドールはヴェネットのことになると冷静さを保てないことがある。彼女が、他に婚約者がいるオーランドと仲良くしているのを見るとどうしても気になってしまう。  ヴェネットとは5年も婚約していたので、きっと元婚約者としての情が捨てきれてないのだろう。         ◇ 「テオドール様、卒業舞踏会のパートナーになってくださいませんか?」  冬季休暇があけて、すぐのころテオドールはフロレーラに呼び出された。  彼女は頬を赤く染め、緊張した様子でテオドールの返事を待っている。  フロレーラはテオドールの父も新しい婚約者にどうかと名前をあげている人物だ。  フロレーラの母親は侯爵家の出だったが、恋に落ちた平民の男と結婚するために家を出ていた。その後一人娘のフロレーラも生まれ、生活は貧しかったが慎ましく幸せに暮らしていた。しかし昨年、突然の事故で男が亡くなり、生活が立ち行かなくなった母親はフロレーラを連れて侯爵家へ出戻ったのだった。  フロレーラの祖父にあたる侯爵はフロレーラを孫と認め、現在は意欲的に彼女の婚約者を探している。  フロレーラは素直で人当たりのよい人物で、もし婚約するようなことがあっても上手くやっていけそうだとテオドールは思った。  だからフロレーラに卒業舞踏会に誘われた時、すぐに了承しても構わなかったはずなのにテオドールは即答することができなかった。 (ヴェネット…彼女はどうするんだろう…)  頭に浮かぶのは元婚約者のことだった。  婚約解消した彼女とはもうなんの関係もないはずなのに、長い付き合いだったからなのかついつい気になってしまうのだ。  彼女の本命はオーランドなのだろうが、彼には婚約者もいる。普通に考えれば婚約者をパートナーにするはずだ。そうすると、ヴェネットは卒業舞踏会にひとりで行くか、他の誰かにパートナーを頼むことにするだろう。ひょっとしたらテオドールのところにパートナーを頼みに来る可能性もある。 『卒業舞踏会の日なんだけど、もしよかったら私とダンスを1曲踊ってほしいの』 『…………君はパートナーはもう決まったのか?』 『えっ?あっ…パートナーのことは…もう…いいの…』 (他にパートナーを頼んだのか?まさかオーランド…?)  別にヴェネットからパートナーを頼まれるのを待っていたわけじゃない。頼まれたとしても引き受けるつもりもなかった。  でも、テオドール自身なぜだかわからないが、彼女の口からパートナーはもういいと聞いた瞬間、もやもやした気分になった。  その理由について深く考えたくなかった。だからちょうどそこにフロレーラの姿を見つけたとき、テオドールは保留にしたままだった彼女のパートナーの件を了承することを伝えたのだった。         ◇  卒業舞踏会当日、フロレーラと待ち合わせ、一緒に会場に入る。  ラベンダーの爽やかなドレスが彼女に似合っていてそれを伝えると、とても嬉しそうにしていた。パートナーを引き受けたからには今夜はその役に徹しよう、そう思ったテオドールだったが、会場に入ってすぐその視線はヴェネットを探していた。  彼女の赤毛に一部桃が混じった髪色は目立つから、すぐに見つけることができた。友人と話す彼女の隣にパートナーらしき人物はいない。彼女はひとりで来ているようだった。そのことにホッとして、すぐにその矛盾に気がついてテオドールは頭を振った。 『……テオドール様…ずっと、すっ…ゴホッ……ステッキ…です』 『ステッキ?』 『いえ、なんでもありません。それでは』  ダンスが終わった後、謎の言葉を残し足早に去っていくヴェネットをしばらく見つめる。  その場に立ち止まっていたテオドールだったが、フロレーラが呼びに来たので、友人たちとの歓談に戻った。  しかし頭の中は先ほどのヴェネットの言葉でいっぱいになった。 (()()()()ってなんだ?…)  確か…ヴェネットにそう言われたのは2度目だった。1度なら言い間違いで片付く話だが、2度同じことを言われるとさすがに何か意味があるような気がしてならない。  ちょうどそこにヴェネットと親しかったクラスメイトのハンナが通りかかった。 「ハンナ嬢」 「あら、テオドール様。ご卒業おめでとうございます」 「ああ、ハンナ嬢もおめでとう。 ところでハンナ嬢、少し教えてほしいことがあるんだが…  最近、“ステッキ”という言葉が女子生徒の間で流行っているのか?」 「ステッキ?何それ…?」 「実はさっきヴェネット嬢に何の脈絡もなくステッキと言われて。意味がわからなくて」 「ヴェネット?……ああ!うふふ」  突然ハンナが何か思い出したように笑みをもらす。 「何か意味が?」 「いえ、私も以前彼女がステッキ、ステッキって必死に呟いているのを聞いたことがあって不思議に思って尋ねたんです。そしたら彼女…」 「そしたら?」 「ステッキってずっと言ってたら()()に聞こえるかなって真顔で言ってきたんです」 「すき……?」 「ええ。ヴェネットって天然なところがあってなんか憎めないですよね」 「そ、うだな…」  ハンナに話を合わせたものの、テオドールはますます混乱していた。 (ヴェネットが僕に()()、だと?)  ――いや、そんなはずはない。  そもそもテオドールにわからないようにわざわざ“ステッキ”などと言い換える意味がわからない。  きっと、からかわれたのだろう。こちらが不思議がったり、狼狽えるのを見て内心面白がっていたのかもしれない。  そう思っても、さっきからテオドールはヴェネットを探す足がとまらない。 (もう帰ったのか?)  やっとバルコニーに彼女の姿を見つけ声をかけようとしたとき。 (!)  彼女がオーランドに抱き締められているのが見えた。 (ああ、まただ…)  テオドールは自嘲した。どうして自分はヴェネットに対していつも冷静でいられないのだろう。  やはり彼女にはからかわれたのだ。あくまでも彼女の本命はオーランドなのだ。  オーランドと一緒にいたはずの彼の婚約者はどうしたのか、と一瞬疑問が過ったが、これ以上自分は関わるべきことではない。 『オーランド様、好きです』 『テオドール様、ステッキ…』  彼女はオーランドには素直に気持ちを伝え、テオドールにはそうはしなかった。それがすべてだ。  声をかけるのをやめ、テオドールはその場を立ち去った。  ただ、胸のうちがチリチリと熱くて、さすがのテオドールも自身の気持ちに気づかずにはいられなかった。  これは“嫉妬”だ。  婚約解消を言い出したのは自分なのに、まだ彼女に未練を残していたのだ、と。  テオドールは両の手の平を握りしめた。 (もう、すべて終わったことだ…)
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