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◆⑮激突◆
――――――
「お前の殺しそこねた男は、ここにいるぞ!」
蜩は、自分を呼んだ東雲の顔をそのがらんどうの瞳にとらえるや、嬉々として薄い口もとを三日月型に引きあげた。
高い金属音が立て続けに響いた。
互いに手癖を知り尽くした仲である。
息もつかせぬ攻防は示し合わせたように互いの刃を弾き、かわし、また弾いた。
『東雲ェ!』
「なんだ!」
『死ね! 糞みてェにこっぴどく死にやがれ!』
「嫌じゃ!」
どこか活き活きとした命の奪いあいに、赤鬼たちは青ざめて遠巻きに距離を置いた。
すでに看過できないほどの死傷者が出ており、あわよくばやっかいな異人同士で相討ちにでもなってくれたらと、淡い期待を持ったのである。
そんなほの暗い思惑など蚊帳の外に、二人は苛烈にぶつかりあった。
先に押されはじめたのは東雲である。
生きるためには尻尾を巻いてでも逃げ回ってきた男と、率先して人を殺すことだけに執着した男の差が、徐々にあらわれる。
あの夜もそうであった。
結果として先に死んだのは蜩の方であったが、それぞれが負った傷の数は断然東雲の方が多かった。
腹を裂かれ、右眼を潰され、肺を貫かれ呼吸すらままならず、あとを追うように東雲は息絶えねばならなかった。
あの時の光景をなぞるように、澄みわたった青い空へ、細く赤い線が幾筋も散った。
対して黒い影法師のような蜩の肉体は、銛を突き刺してもまるで手応えがなく、たちどころに修復されてしまう。
糠に釘をうつとはまさにこのこと。
長引けば長引くだけこちらが不利である。
しかし東雲は冷静だった。
蜩が対人格闘という天賦の才を持つならば、東雲の十八番は、いかなる窮地においても活路を見出そうとする観察眼にある。
一手を交えるたび、東雲は生前の蜩と眼前の影法師との違いをつまびらかにしていった。
そして、東雲は眉をしかめた。
彼の知っている蜩という男は、剣戟のさなかに極近距離の肉弾戦を繰り出し、変幻自在に緩急を織り交ぜ、次の一手を予測させない狡猾な戦い方をする。
音無しであるために表だって評価されたためしはないが、里でも指折りの練達者であることは疑うべくもない。
しかしながら、この泥人形には致命的な欠陥があった。
決定的な一打を放つ瞬間、ただ一点、首ばかりを執拗に狙うのだ。
喉笛をかき斬られて転がっている死体の数が、その異様さを如実に物語っていた。
もともと殺しに対するこだわりが強い男ではあったが、これはそういう次元の話ではない。今の彼は、死んだ瞬間の遺恨だけが、人の皮をかぶって動いているようであった。
蜩は、もはや蜩ではなかった。
その事実が、東雲の胸に暗い靄を生んだ。
「それがお前のなりたかった姿か」
なじるような問いが出かかり、すんでに噛み殺す。
訊いたところで、ここにいる泥人形は生前の同僚ではないのだ。
ならば、もうかける言葉などない。
東雲は半歩足を引いて体を開いた。
誘うようにがら空きとなった首もとへ、一切の迷いなく黒々とした刃が襲いかかる。
しかしどんなに鋭い斬撃も、軌道がわかっていれば意味がない。
東雲は突き出された腕を掴み、懐へ飛び込んだ。
鋼鉄の銛が深々と蜩の胸を貫き、そのまま躰を縦に両断する。
途端にぐしゃりと肉体が崩れた。
そして東雲は見つけた。
物言わぬヘドロと化した塊の中に、太陽の光を反射してきらりと煌くなにかがある。
――あの宝石のような種だ。
漆黒のヘドロは淡く透きとおった種を中心にずるずると集まり、再び肉体をなそうとした。
東雲は、種がヘドロで埋もれる前にそれを拾い上げた。
直後、ヘドロから一本の刃が踊り出た。
しかしこれも東雲は予期していた。
馬鹿のひとつ覚えに咽喉を狙う軌跡から首をそらして、指先に力を籠める。
パキリ、とかすかな音をたてて、種は粉々に潰れた。
その瞬間、床に広がっていた黒いヘドロがざわりと波打ち、細かく震えだした。
沸騰したような気泡が無数に湧いて、そこからひどい臭気を放つ黒煙が抜けていく。
次第にヘドロの色が薄くなり、表面が朧に光りはじめた。
――厳かな光景であった。
蛍のような光の泡が、ぽつぽつと漂いながら空へと昇り、真白な月に呑み込まれていく。
東雲は眼を細めてそれらを眩しげに見つめた。
最後に残されたヘドロに小さなのっぺらぼうの口が開き、蜩のかすかな声が耳朶をかすめた。
「――……願わくば、お前の行く道に、禍事多からんことを」
消えゆく寸前までひねくれた笑みを遺して、魂の雫は遊ぶように宙をたゆたいながら、ゆっくりと天へ吸い込まれていった。
ヤツらしい、どうしようもない遺言である。
東雲は呆れた笑みをひらめかせながら、手の平でくるりと鋼鉄の銛をまわした。
「次の世ではせめて、笑って暮らせ」
穏やかに呟いた彼を目がけて、無数の矢が放たれた。
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