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第一章
ワタシは自分を可愛そうだと思っていた。
言い訳ばかりしてきた、なんでも人のせい、過去のせいにしていた。
全ては間違いだった、それは負け犬の遠吠えだった。
だけど、この話を聞くことで、勇気が出る人、救われる人、支える人……etc
良い影響が与えられればと思って書くことにします。
ワタシの地獄が始まったのは小学校3年生の時でした。
それまでの私は、なかなか活発で普通なりに勉強もできて、友達もいる方でした。
しかしある日突然、お母さんが家を出ていってしまったのです。
なんで出ていったかってわかったかって言うと、学校から帰ってきたら、タンスの上に手紙があったんです。
読んでみると「子供たちには死んだとお伝えください」との文字。
私は一気に奈落の底に落とされたような気持ちになった。
でも、実感はなく、不安だけが胸を刺した。
父が帰ってきたので、その事を知らせると、車に乗って探し回りに行きました。
千歳空港にまで行って探し回った。
だけど母は見つからなかった。
この出来事が起きる前日に、母に「あなたはお父さんとお母さんとどっちと一緒にいたい?」と聞かれた。
私は「二人と一緒にいたい」と答えた。
あの時、お母さんを選んでたら私の人生は変わっていたであろうと思います。
今更悔いても仕方ないが。
それからというもの、父が働きながら面倒を見てくれた、家庭菜園までやって、節約しながら、何とかやっていた、けど、それが破綻するのも時間の問題だった、いつの間にか父は仕事を休みがちになり、家の事もやらなくなっていった。
私は余りにも幼すぎた為、それが危険な予兆だとは分からなかった。
父はアルコールに溺れるようになり、仕事も休みがちになっていきました。
ここから事件が勃発します。
ある晩のこと、父が私の部屋にやってきて、私の処女を奪ったんです。
突然の出来事、そして、激痛、私は混乱した、声の限りに助けを呼んだ、だけども助けなんて来なかった、いくら痛いと叫んでも、いくら助けてと叫んでも、みんな父親のことを怖がっていたのか、無関心だったのか、助けには来なかった。
それから、暴力によるコントロールが行われた。
抵抗すれば「殺す」と言われたり「児童養護施設に入れるぞ、あそこは地獄だぞ」と脅され、そして、叩かれた。
弟が二人いるが、弟達は私よりも幼いのだ、そんな恐怖に打ち勝つことなんてできるわけない。
最低だった、父は仕事から帰ってくると酒を呑んで、AVビデオを見て自慰行為して
それに飽きたら、今度は私の部屋の襖を無理やり開けて、犯す。
その行為はほぼ毎日続いた。
舐める音、酒臭い息、全てに嫌悪感と痛みしかなかった、なのに父は「そのうち気持ちよくなる」と言って聞かなかったし、夜は寝かせてもらえないしまつでした。
そんなただでさえ恥ずかしい事を毎日されている上に、私には学校に来ていく服もなければ、お風呂に入る習慣もなかったので、学校ではもちろんいじめられました、机は離され、バイ菌呼ばわりされ、誰にも話してもらえませんでした、話しかけても逃げていく、当たり前ですよね、汚くて臭くてみすぼらしいのですから。
唯一幼なじみの女の子がいたのですが、学校では違うクラスだったし、自分が悪いとでも思い込んでたんでしょうね、全く事情は話せませんでした。
そして、私は3年生か4年生の時から完全に不登校になりました。
唯一の楽しみはテレビとラジオでした、教育テレビが一番好きだったかな?それが終わったらラジオをつけて音楽を聴いていました。
小学校高学年になる頃には、父の監視付きで図書館に行く事が許されたので、小説を読んでました。
私だけが我慢すればいいと思っていたんです、そしたら弟達が路頭に迷うことも、怖い養護施設に入れられることも無いと、勘違いしてたのです。
なんせ子供にとって親は神様くらいに思ってしまう傾向があります、たとえ白でも「黒」だと言われればそう思ってしまうのです、私の場合は父以外の大人と接触する機会が本当に少なかったから、余計その傾向が強かったんだと思います。
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