開幕 二つの涙

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開幕 二つの涙

「エリカ様、今日の紅茶はジンジャーティーにしました」 「ありがとう。今日みたいな寒い日にはちょうどいいわ」  僕は二人分のティーカップをトレーの乗せ、食卓に運んだ。 「アイリスは私が欲しい時に、欲しい紅茶を出してくれるわよね」  エリカ様は紅茶の香りを楽しんでからカップに口をつけた。  紅茶を入れるのは、僕がここにきて一番初めに覚えた仕事だ。不老不死の大魔女として人間から恐れられるエリカ様こそが、僕の育ての親だ。母のようであり、恩師でもあり、僕の愛する人でもある。 「僕は薬を調合できませんから。サポートくらいは徹底したいんです」  エリカ様が作る薬は町でも評判だ。といっても、街の人々はまさか魔女が作った薬だなんて露ほども思っていないだろう。 「おかげで研究は順調よ」 「今までの薬の味を見直してるんでしたっけ」 「ええ。苦味を抑えられれば、小さな子供でも飲みやすくなるはず。休憩が終わったら続きをするわ」 「僕はその間に薪の準備をしてきます」  暖炉の方へ視線を移すと、ヘルが眠っている。見た目は大きめの黒い犬だが、エリカ様の使い魔で、僕を幼い頃から守護してくれている存在だ。  眠っていたヘルが突然顔をあげた。玄関の方を見て、また眠りの体勢に入った。 「誰か来ました?」 「ああ、だが問題ない。エリカ様のご友人だ」  森の奥深くに位置するこの屋敷は、敷地内を覆うように結界が張ってある。許可されたものしか入れないので、エリカ様の友人で間違いないだろう。  ほどなくして、扉の横に位置するベルが鳴らされた。  僕が扉を開けると、背が高く、優艶な雰囲気を纏った人が立っていた。主張は強いが、決して不快にならない甘さの花の香りがする。 「あら、もしかしてアイリスちゃん? 大きくなったわね〜」 「うわ、え、あ、あの苦し」  大きな体で抱きしめられた僕は、助けを求めるようにエリカ様を見た。 「ダリア、その辺にしてあげて」  エリカ様は呆れたように腕を組んだ。 「だって十年ぶりの再会なのよ」  僕はダリアさんをまじまじと見た。僕より一五センチは差が高く、腰まである長髪は青みを帯びたピンク色だ。瞳は深い紫色で、厚みのある唇も瞳と同じ色がのせてある。普通の人間ではないことは明らかだった。 「アイリスちゃんは覚えてないかもだけど、十年前に一度アタシたちは会ってるのよ」  その特徴的な見た目と、艶のある低い声に、僕の記憶は呼び起こされた。 「思い出しました。東の魔法使いのダリアさんですよね?」 「惜しい。東の魔“女”のダリアよ」  口元に人差し指を当て、妖艶に微笑みながら答えたダリアさんの喉仏が上下した。 「あなたがここに来るなんて珍しいわね」  エリカ様はダリアさんに座るように促した。僕は紅茶を用意するためにキッチンに向かう。 「……泣き笑い病?」 僕がキッチンから戻ってくると、エリカ様は首を傾げていた。 「フェルス王国の流行病よ。その薬を作るようにアタシに依頼されたの」  フェルス王国は僕たちが住む北の森から見て南東に位置する王国だ。ダリアさんは薬師としてフェルス王国に貢献している。もちろん魔女ということは隠しているらしい。 「でもね、これが調べてみたら流行病じゃなかったのよ」 「クスリの副作用ということかしら」 「ご名答。さすがはエリカね」  僕はダリアさんの前にジンジャーティーを置いた。 「ありがとう。アイリスちゃんはフェルス王国の王が最近変わったことは知ってる?」 「ええ、町に行ったときに噂を耳にしました」  僕もエリカ様の作った薬を売りに、フラワ帝国の町へ定期的に行っている。東のフェルス王国、西のヴァーク帝国に挟まれたフラワ帝国は、貿易の拠点となっており、流れてくるのは物だけでなく噂も含まれる。 「ここ二百年は平和だったけど、新しい王になってからやけに国外に対して好戦的になったのよ。泣き笑い病が流行り出したのもちょうどそれくらいなの」 「どこかの国が、意図的にフェルス王国に悪いクスリをもたらしたと考えるのが妥当ね」  エリカ様は眉を顰めたままカップを傾ける。 「アタシもそう睨んでるんだけど、特効薬を作るのに忙しくて、原因追求まで手が回らないのよ。今日ここに来たのは、薬の材料を採ってきた帰りに病のことを伝えるため」  ダリアさんはジンジャーティーを飲み干した。 「フラワ帝国が原因じゃないなら、次はターゲットにされる可能性があるわ。アイリスちゃんは定期的にフラワ帝国に行ってるでしょう? 気をつけなさい」  ダリアさんは優雅に立ち上がり、玄関へと向かった。 「ダリア、忠告ありがとう。また落ち着いたらお茶しましょう」 「ええ。またね、エリカ。アイリスちゃん、紅茶美味しかったわ」  ダリアさんを見送ると、エリカ様は顎に手を当てて立ち尽くしている。 「『人魚の涙』を用意した方がよさそうね」 「『人魚の涙』、ですか?」  『人魚の涙』とは、エリカ様が数百年前に作り出した薬らしい。戦争で多用された覚醒剤の副作用を和らげ、依存症を改善させる効果を持つ。『人魚の涙』という名称は戦争よりさらに数百年前に流行したおとぎ話からとったもの。人魚の涙そのものは含まれていないが、その材料の一つは人魚の協力がないと手に入らない。 「私も近いうちに人魚に会いに行ってくるわ。お留守番はよろしくね」             *
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