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便所紙の洋一が顔を突っ込んだことから、ヤンキーたちは、学校前のどぶを、便器と呼ぶようになった。
そうなるともっと生贄遊びが面白くなって、「おい便所紙、便所紙は便器だ」と言っては背中を蹴り飛ばしてどぶに落とした。
そんなことが毎日毎日毎日毎日続き、そのうち洋一は中学三年になり、やがて卒業を控えるほどの最後になったころ、それは起きた。
その日、洋一は何だか世界が違って見えた。
ヤンキーに便所紙と呼ばれても、あんまり震えなかった。
おいこっちにこいと呼ばれ、歩き出した時、なんだか世界が揺れた気がした。
ばりばりばり。
紙を裂くような音がする。青空の向こう側から、なにか気配がする。
でも、誰もそれには気づかなかった。
「便所紙は便器」
と、魔王の一人が言い、洋一の背中を蹴った瞬間、ばりばりばりばり音が大きく響いた。
そうして、空が裂けて、裂け目からぬうっと、校舎ほどもあるような巨大な手が伸びて来た。その手は、べちんべちんべちんとそこらを叩いた。そうして、通行人たちも、何もせずに眺めている先生たちも、洋一を生贄にしていた魔王集団たちも、巨大な掌に叩き潰されて、マッシュされるフレッシュトマトのように赤い糸を引いて粉々に飛び散った。
洋一は思い出す。
台所にゴキブリが出た時の、お母さんの様子を。
スリッパを片手に、べちんべちんと床中を叩いて回る。そうして、目標に命中した時、あんまりにも力任せだったものだから、ゴキブリは飛び散った。
それを静かに思い出しながら、裂けた空から現れた巨大な掌の様子を眺めていた。
べちんべちんべちんべちん。
掌は洋一を笑っていたすべての人たちを叩いて行って、やがて通りに誰もいなくなった頃、ぬうと掌は空の向こうに引っ込んだ。
かわりに、空の隙間から覗いたのは、おそらく掌の持ち主の顔の一部、巨大な目玉だった。
赤く怪しく光る目玉はぎろりと洋一を見下ろした。
もう、洋一は震えてはいなかった。
はなたれでもなかった。
無表情で、世界で最も恐ろしい目玉の視線を受け止めて立っていたのだった。
「まあ、始めようか」
目玉の主は空の向こうから、よく響く声で言った。
ぶるぶるぶるぶる震えて、だらだらだらだら鼻水を垂らし、人からさんざん馬鹿にされてきた。
そんなお前でいることはないのだぞ。
例え、世界が滅んでも。
「そうだね、今からだ」
洋一は答えると、にやりと笑ったのだった。
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